第27話 ポテンシャルVSテクニック

 かくして、戦いの火蓋は切って落とされた。


 実況及び解説は、符や魔術のことについて、ほとんど何も知らない私がお送りする。


 力不足なのは知っているが、他に見物人はいないのでやむを得まい。


 さて、先手を取ったのはバイリィだ。


「Yuè Jìn」


 符を用いず、解号のみを呟いて、彼女は魔術を行使する。


 ゆら、と体を揺らめかせたかと思うと、次の瞬間、残像を残さんばかりの勢いで駆け出した。


 空気の切れる音がした。地面の灰が舞い上がって、軌跡が見えた。


 ケンネとの距離が、一気に詰まる。


 単純明快。猪突猛進なぶちかまし。ドラゴンを一撃で沈めた動きでもある。


 しかし、


「Guò Yóu Bù Jí」


 防がれた。


 私には、ケンネの指先から舞い落ちた符が、光り輝き、薄紫色の力場を発生させたように見えた。


 バイリィの拳は、その力場に阻まれ、ケンネの懐まで届いていない。


「駄目。駄目ですよバイリィさま。その動きは、wèi chī相手に仕掛けるものです。私のように、バイリィさまの手を知っている者には、こうして、簡単に対処されてしまいますよ?」


 ケンネは、ドラゴンをワンパンで沈めたバイリィの拳を、力場と共に受け止めている。


 少し大きな手が、バイリィの握り拳を上から包んだ。


「そんなの、知るかッ!」


 しかし、右拳を止められたのなら、左拳で殴ればいいじゃないと言わんばかりに、バイリィは愚直にパンチを繰り出し続けた。


 いずれの攻撃も、バリアに弾かれ、ケンネの体には届かない。


 だが、あながち悪手というワケでもないらしい。


 時間制限か、あるいは度重なるダメージによってか、魔術の効力が切れかけているようなのだ。


 符は今にも燃え尽きてしまいそうなほど小さくなり、力場の色は次第に薄くなっている。


「駄目。駄目ですよバイリィさま。この壁は、ただの時間稼ぎです」


 微笑を浮かべたままで、ケンネが、懐から、するりと何かを取り出した。


 束ねられた巻物である。


「Ne zai sen shoh, yuē『Sei ja shi zen fu,hu shah zhòu yè』」


 ケンネは巻物を開き、詠唱を始めた。


 明らかに文節の多い詠唱が、はっきりとした発音で紡がれる。


 サンプルは少ないものの、魔術の類はこの目で見てきた。私の考察によれば、魔術は、その符に記された文字数に応じて効果が高くなると思われる。


 だとすれば、この詠唱の長さは、マズい。


「『Lún yǔ』zǐ hǎn piān, Shàn Gliú zhī Tàn」


 バイリィの拳が、ついにバリアを打ち砕く。しかし、一手遅かったことは明白だ。


 ケンネは、既に詠唱を終えている。


「駄目。駄目ですよバイリィさま。もう、手遅れです」


 彼女の背後には、ミニチュア化した太陽のような、無数の光球が浮かんでいた。


「shè」


 ケンネの合図と共に、それらはバラバラの軌道を描いてバイリィへと襲いかかる。上から、横から、あるいは回り込んでから。


「Gan Giàn!」


 バイリィの身体がまばゆい光に包まれる。防御魔術の類だろう。彼女は、あくまで攻撃を真っ向から受け止めるつもりだ。


「駄目。駄目ですよバイリィさま。そこは、逃げの一手が、正解です」


 ケンネがほくそ笑む。光球が、四方八方からバイリィを襲った。


 まずは上方からの一発。


 ずどんと、バイリィの脚が地面に沈んだ。


「なッ!」


 バイリィにダメージは通ったようには見えない。だが、衝撃を防ぎきれてもいない。


 二発、三発四発五発。次々と光球がバイリィに命中していく。どすんどすんと、その度に重い音が響く。


 衝撃を吸収しきれず、バイリィは光球に翻弄され、踊った。


「駄目。駄目なんですよ、バイリィさま。後手に回ってしまっては。実はそれすらも、ただの布石に過ぎません」


 光球の魔術を打ち出した巻物は、まだ半分以上形を残していた。光球の雨あられは、なおも続いている。


「あーッ! もう! 邪魔ぁ!」


 バイリィは、未だ身動きが取れていない。


 ケンネは迫る光球の対処に追われるバイリィを尻目に、袖口から一枚の符を取り出した。


「Jǐ Kè Rǐ Fù」


 歌うように詠唱してから、光球の弾幕の隙間に手を差し入れ、符をバイリィの額に貼った。


「はい。おしまいです」


 ぴたり。


 途端に、バイリィの動きが止まった。


 光球を対処するための、防御の不動ではない。体の芯が凍りついたかのような不動である。


 類推するに、額に貼られた符に、拘束の魔術でも込められているのだろう。


「バイリィさまもシューホッカ家に生まれたのですから、そろそろRǐを修めてもらわなければなりません。この魔術は、バイリィさまの一助になればと思い、私自ら、考案いたしました」


 いつの間にか、光球の雨も止んでいた。


 バイリィは、拳を突き出したままのポーズで、ケンネを睨む。


「……身体が、動かない。なに? この魔術?」


「それは、相手にRǐを学ばせる魔術です。おてんばしようとしても、駄目です。Rǐに則った行動でなければ、バイリィさまは動くことができません」


「こんな無理矢理で、あたしが従うとでも?」


「今はそれでいいのです。このKué Lìを制すれば、お勉強の時間は手に入りますので」


 そっとバイリィの頭を撫でてから、ケンネはバイリィが投げ捨てた角帽に向かって歩を進めた。


 どうやら、あの帽子を手に入れるなり、壊すなりすることが、この決闘の勝利条件となるらしい。


「Tuò Qì! な、んでッ!」


 そして、バイリィの身体もまた、ケンネの後を追って動いた。


 拘束魔術は、一時的に主従の関係を逆転させる効果まで有していたようだ。


 バイリィは、おしとやかに、手を腹の前で重ね合わせて、ケンネの後に付き従う。彼女の性格を知っている者からすれば、違和感を覚える光景だ。


「良い。良いですよバイリィさま。その調子です。今は屈辱だとは思いますが、その気持ちを飲み込むことも、また、Rǐなのです。今回は、それを学ぶことができたのだと、帰ってから符に記しましょう」


 にこやかに、ケンネは己の勝利を確信していた。


 バイリィの角帽まで、あと数歩とない。


 このままではお家へ強制送還だ。


「頑張れ! バイリィ!」


 彼女を応援したことに、特に深い理由はない。


 ただ、バイリィの顔が、真っ赤に染まっていたので、思わず声を上げてしまっただけである。


 その紅潮は、大見得切ったのに敗北寸前に追い込まれている羞恥心によるものか、あるいは、性格に合わない、おしとやかな振る舞いを強制されている怒りによるものか。


 どちらにせよ、ただごとならぬ心境であったのは確かなのだ。応援の1つくらい、捧げてやらねばなるまい。


 我々は、友人なのだから。


 私の応援が心に響いたのかどうかは知らないが、


「……Chuáng Qián Míng Yuè Guāng」


 バイリィの詠唱が、微かな調子で聞こえてきた。


 太い光の筋が差し込んできて、まるでスポットライトのように、彼女を照らした。

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