第21話 合鍵が減る、また1つ

 私は現代日本の生まれなので、貨幣経済が発達していない世界のことなど想像もつかない。


 遠目に見えた城壁や、バイリィの服装、丈夫そうに組み上げられた符の出来栄えなどから、ある程度は栄えている文明なのだとは思う。


 物々交換という原始的な経済で、よくもまぁここまで発達したもんだと、驚嘆の念を覚える。同時に、一体どんな文化が形成されているのか、興味が沸いた。


 かつて、単位のために嫌々受講した、文化人類学の講義を思い出す。その時の付け焼き刃が今、輝く時かもしれない。


 だが、今日はもう、限界だった。


 普段使わない筋肉を酷使しすぎて舌が痺れてきたし、脳みそも稼働しっぱなしでオーバーヒート寸前だ。


 これ以上、思考を紡ぐ余裕はない。


 初回にしては情報を引き出せたほうだろうと思って、私は、そろそろ引き上げることにした。


「バイリィ。ありがとうございます。助かりました」


「もう、満足したの?」


 私はお手上げのポーズを取った。


「知りたいことは、まだ、たくさん、あります。でも、私は、疲れました。この世界の、言葉は、難しいです」


 私の疲弊を見てとったのか、彼女も、


「そう」


 と一言漏らしたきりだった。残念がりもせず、静かに私の言葉を受け止めたといった感じだ。


 直情的かと思いきや、深い器量を持っており、子供のように表情豊かかと思えば、静かに相手の意思を受け入れる姿は大人びて見えた。


 さすがに、対価を払わねば失礼だと思った。


「私は、あなたに、お礼がしたいです。何か、欲しい物は、ありますか?」


 予め考えていたのか、その返答は早かった。


「権利が、欲しい」


「権利?」


「この建物を、自由に、見ることができる、権利」


 どうやら彼女は、この薄汚い『監獄』に興味があるようだった。


 現代日本では廃墟マニアの目線しか集まらないこの建物に、見るに値する部分などないだろうとは思ったが、所変われば品変わる。


 異世界に住む彼女には、まったく異なる建築技術で建てられた建物というだけで、見るべき価値というものがあるのだろう。


 そんなものを眺める権利でいいのなら、いくらでもくれてやると思った。


「わかりました。では、私は、これを、あなたに、与えます」


 私はジーパンの右ポケットに入れていた鍵を取り出し、彼女に渡した。


 この『監獄』の正面玄関及び、私の自室の鍵である。


「……これは、何?」


 何の変哲もない、革のストラップがついただけの鍵であったのだが、バイリィはそれを物珍しそうに眺めた。


 私は辞書を開く。『鍵』という単語自体は存在していた。


「これは、鍵です。この建物に、入るための」


「これが、鍵? ふぅん。モノなんだ」


 魔法が存在する世界においては、『鍵』というのは、一般的には合言葉のようなものなのかもしれない。


「もらって、いいの?」


「ええ、どうぞ」


 自室の引き出しを開ければ、どうせスペアがある。あえて詳らかにはしないが、最近、1つ返ってきたので、在庫にも余裕があった。


「まだ、教えてもらいたいことは、たくさんあります。よければ、また、来てくれませんか?」


 彼女は言った。


「来る」


 そして付け足した。


「時間は、たくさん、あるし」


 その後、私は鍵の使い方を彼女に教え、この『監獄』は自由に見学してもよいと伝えた。


 伝えると、もう眠気が限界だったので、そのまま談話室の畳に寝転がり、寝た。


 なにかあったら起こしてくれていいとは伝えたものの、バイリィはその後、『監獄』内をうろつき、いつの間にか帰っていた。


 昼寝から覚めた時、机の上には、まるで書き置きのように、彼女の符が置かれていた。


 私は、まだ、それを読むことができない。

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