第22話 ふたりきりなら良いのか?

 売られそうになっていた少年少女たちは、多数の客が泊まれる別棟へと案内された。闇の力からの媚薬や催眠が抜け切れていない。たぶん、わたしの霧で浄化できると思うので泊めてもらうことにした。

 媚薬や催眠が抜けない状態で帰すわけにもいかない。

 帰る場所のない者もいる。

 

 一段落ついたところで、わたしはグレクスに連れられて静かな部屋へと招き入れられた。

 

「牢が満杯だ」

 

 グレクスは少し呆れた口調で呟く。確かに、被害者とは違い罪人を客間に通すわけにもいかない。

 帆船にいた者たちと、『黒翼結社』の者たちは大人数でウルプ城の牢はさすがに一杯のようだ。

 

「皆、闇の力に支配されています。浄化しないとまずいです」

 

 牢に入れられた者の中には、闇の力を祓うことで正気に戻る操られていただけの者もいるはずだ。事情聴取をするとともに、罪人たちも浄化が必要だと思う。

 

「お前には、ウルプ城に泊まってもらうからな」

 

 グレクスは少し強めの口調だ。

 

「はい。明日は直ぐに浄化を始めたほうが良いですよね」

 

 今日は、もう、さすがに魔法を使いすぎた気がする。だが、グレクスは頷くでもなく、少しめつけるような視線だ。

 

「それもあるが……」

 

 口籠もるグレクスが、不意に抱きしめてきた。アンナリセの小さな身体は、グレクスの腕の中にすっぽりだ。

 

「……どこにも行くな」

 

 グレクスは切実な響きで呟いた。ギュと強く抱きしめられ苦しいほどだ。だが、今日は、グレクスの言葉に従わず、だいぶ勝手をしてしまった。心配させてしまったのだろう。

 

 自分がこんなに勝手に行動する者だと、わたしは全く自覚していなかった。

 元のアンナリセであれば、元より何もしなかったろう。悪事を仕掛ける側だ。

 だから、咄嗟とっさの判断と行動は……わたしの魂の特性なのだろう。王都・王宮で、そんな勝手をした記憶は全くないのだが。

 

「グレクスさま、申し訳ございませんでした」

 

 抱きしめる力が強すぎて苦しいなかから、くぐもった声で謝罪した。

 

「お前が謝罪することなど、何もない。お前には、本当に助けられてばかり。俺が不甲斐ないだけだ」

 

 抱きしめていた片腕がゆるむ。

 わたしは、そっと見上げる視線を向けた。

 じっと見詰めてくるグレクスの視線が近づく。

 おとがいにグレクスの指先が触れ、わたしの顔は更に上向けさせられた。

 

「――!」

 

 不意に、唇へと唇の感触が重なっている?

 な、な、何? これ、なんなの?

 ふわっ、と、意識が遠退きそうになっていた。腰がしっかり支えられていなければ、くずおれる。

 

「……これは……」

 

 少しして唇を離すと、グレクスは驚いたような声をたてている。青い眼は、瞠目どうもくしていた。

 

「……グ、グレクスさま、い、今のは……?」

 

 翠の瞳を驚きに見開き、わたしはグレクスの顔を見詰めた。

 驚きすぎて声は震えているのに、甘美な思いで身体は満ちている。

 

「……貴族の婚儀で流行はやっているらしい。城塞都市カルパムでの風習でキスというのだそうだ」

 

 少しほんわりとした雰囲気で、グレクスは呟いた。

 

「キス? 婚儀の儀式なのですか?」

 

 王都・王宮では聞いたことがない。いや、巫女だったから自身の婚儀には縁がない。王族に関する婚儀以外の情報は極端に少なかった。

 

「お前だからだろうが、凄まじい衝撃だな」

 

 元のアンナリセには、キスなどしたことはない。こんなことされたら元のアンナリセの悪虐も、吹っ飛んでしまったかもしれない。

 

「婚儀の儀式ですることを……今してしまって良いのですか?」

 

 頽れそうなせいで、わたしはグレクスにしがみつくように抱きついていた。

 

「いや、別にいつでも構わないだろう?」

「いいえ、こんなこと、人前じゃ困りますっ」

「ふたりきりなら良いのか?」

 

 ええっ? あ、そういう意味になってしまう、わね……。

 あ、でも、婚儀の儀式なら、皆の眼の前ってことよね? あら、あれ? ああ、もぅ、どうしましょう?

 困惑し、瞬きが増え、グレクスを見詰め続けていいのか、早く視線を外したほうがいいのか、もう、大混乱だ。

 

「……俺は、儀式でも、ふたりきりでも、どっちも味わいたい」

 

 もっとほしい、と、小さく囁かれたかと思うと、もう一度、言葉を封じるように唇が重なった。

 あ、そんな……。こんなこと、絶対、ダメなのに。

 わたし、巫女なのよ……? あ、でも、グレクスさまに嫁ぐのだった……。

 

 目眩めくるめく思いと感覚が、かすかに魂の記憶を解しそうになる。

 

 長いこと触れ合う唇の感触に、甘く吐息がこぼれる。唇を淡くすりよせ返しながら、わたしは意識が遠退くのを感じていた。

 

 

 

 魔法を使いすぎたかも。魔気が足りてない……。

 ぼんやりと意識が戻ってくるのを感じ、ゆっくりと目蓋まぶたを開く。

 グレクスの姿が近くにある。

 

「気がついたか。まさか意識を失うとは思わなかった。済まない」

 

 グレクスは、わたしを寝室まで運んでくれたようだ。

 

「……魔法使いすぎました。魔気が……足りなくて」

「そうか……。それなら良いというか、残念というかだ」

 

 グレクスは微笑しながら囁き、近づくと横たわるわたしの髪を撫でる。

 

「残念……?」

 

 問い返す途中で、キスの感触を不意に思い出し、真っ赤になっていた。

 あっ! わっ、そう……キスの途中で意識が遠退いて……。魔法のせいだけじゃなかったのかも?

 

「お前……なんて可愛いんだ……」

 

 名が知りたい、と、しみじみとグレクスは呟き、寝台に横たわるわたしを抱き起こし、抱きしめる。

 

「わたしを元の名で呼んだりしたらまずいです」

 

 そういえば、グレクスは最近、アンナリセの名は他の者がいたり名が必要なときしか呼ばなくなっている。お前、と呼ばれることが増えていたのは実際の名が分からないからのようだ。

 グレクスの腕のなかは心地好い。だけれど、元の名で呼んでほしいとは、やはり言えない。そうでなくても、まだ擦り変わったと疑いを持つ者や、確信している者がいる。元の名で呼ぶのは、さすがに拙かろう。

 

「思い出したら教えてくれ。ふたりきりのときなら良いだろう?」

 

 キスと同じだ、と、耳元で囁き足された。

 

「立ち聞きされるかもしれません」

 

 小さく囁き返す。

 

「そんなヘマはしない。もう一度、キスしたい」

 

 グレクスは、真剣な表情で、つながりのないようなことを言う。

 

「ダメです。なんて言いません」

 

 意識が遠退くような衝撃は、何だか癖になりそうな気がする。

 巫女だったら、とっくに巫女術的な力は失っている。恋心を抱いた瞬間に、巫女でいられなくなる者は多かった。

 だけど、わたし……巫女だったのに、グレクスさまに惹かれるたびに、魔法が強くなってるみたい……。

 

 そんな思いが廻っていたが、唇が触れ合う感触が訪れる。意識が遠退くような感触に、思考はすべて惑乱されていった。

 

 

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