第17話 二度目の一目惚れ

 わたしは、グレクスの腕のなか。不思議な安堵感はある。もう、少なくともグレクスには嘘をつかずに済む。それに、なんだか擽ったいような気分だ。

 

「なんとなく、納得できません」

 

 張り詰めていた気持ちが緩み、少し拗ねたような響きで呟く。

 わたしが来るような気がしたから、アンナリセと婚約したというの?

 

「何が、納得できないんだ?」

「だって、アンナリセは可愛いですから」

 

 あら? わたしったら、ヤキモチなの?

 

「どうしてだろうな? だが、お前が来るような気がしていた。俺は、カンは良い方だ」

 

 グレクスは甘く囁く。

 

 だが、確かに、グレクスの言っていることは本当かもしれない。アンナリセと婚約したというのに、グレクスはアンナリセを放置だった。アンナリセが酷くままで、しつけのなっていない令嬢で、悪虐で……。それを知っても放置。恋心が募ってうるさくまとわりつくアンナリセを婚約者扱いはしていない。

 アンナリセは婚約してもらっても、婚約者として見てもらっていないことに気づいていた。

 だから、余計にグレクスに近づくものに、嫌がらせをしつづけたのはある。

 

「そんな、都合良くなんて……普通、来ないです。来なかったら、アンナリセと婚姻でしたよ?」

 

 自分でも不思議なんだ、と、呟いてグレクスは微かに笑った。

 

「二度目の、一目惚れだ」

 

 グレクスの言葉に、びくんっ、と、心が痛んだ。

 

「アンナリセに……ですか?」

 

 泣きそうな響きの声だった。グレクスは、わたしの肩をガシッと掴んで身体から少し引き離し顔を覗き込んできた。

 

「何を言っている? お前に、二度目の一目惚れだ」

 

 アンナリセが変化したとき、一瞬で、お前だと分かった、と、小さく言葉が足された。

 

「それなら、その場で言ってくだされば良かったのに……っ」

 

 なんだか心が混乱し、嬉しいのだけれど、涙があふれた。アンナリセの身体の思い通りにならなかった部分が、少し緩和したようだ。

 

「済まないな。俺も、確信を得たのは……少し経ってからだった。だが、あの瞬間に、間違いなく俺は一目惚れしていた」

 

 真っ直ぐに見詰めてくる青い眼に、涙が止まらなくなっている。

 

「……嬉しいです。わたし、自分が誰だか分かりませんが。アンナリセとして生きます。グレクスさまと」

 

 今度は、わたしのほうから背へと腕を回して抱きついた。豪華な衣装を濡らしてしまうけれど。そんなことに気をつかう余裕もない。

 グレクスの両の腕が、背へと回り抱きしめてくる。

 

「お前を愛している。はじめて王宮で出逢った……あの時からずっと」

 

 信じがたい話ではあるが、わたしは、ずっとグレクスに愛されていた。アンナリセに憑依する前から。そしてグレクスは、アンナリセの身体へとわたしが来ることが無意識に分かっていたのだ。

 

 

 

 しばらく、ずっとグレクスの腕の中だった。途中から嬉し涙に変わったが、ようやく泣きやむことができたようだ。すると、どどっと昨夜の出来事が心に戻ってきた。

 

「……夕べ、シーラム・ルソケーム侯爵からアンナリセ宛てに手紙が来ました」

「何だって?」

 

 グレクスは、驚愕きょうがくした表情だ。アンナリセの悪事の後始末をしていた執事の報告は、グレクスまで届いていない。いや、あの執事は誰にも告げていないのかもしれない。わたしがアンナリセとは別人であると分かったことで、自分から話すだろうと気づいたか、期待したか、どちらかだろう。

 

「アンナリセの身体が、いつものような行動を……」

「まさか、逢いに行ったのか?」

「外套を羽織って裏口から外にでました。即座に魔道師らしきに転移させられてシーラム・ルソケーム侯爵の書斎でした」

 

 グレクスは心底不安そうな表情になっている。

 

「なんて危ないことを! よく無事に戻れたな」

 

 ウルプ家の執事さんが助けてくださいましたので、とだけ、わたしは先ず告げた。

 

「……わたしは、アンナリセの身体に入ってしまいましたが、記憶はなかなか確認できませんでした。特に、アンナリセは……本当の悪事の部分は、自分にすら隠していた。それが、シーラム・ルソケーム侯爵からの手紙を見た途端とたんに、あふれてきました」

 

 まだ全部は見ることできていません。と、わたしは言葉を足した。

 シーラム・ルソケーム侯爵からの手紙をキッカケに、記憶が戻るようにアンナリセ自身が仕込んでしていたのに違いない。

 

「……アンナリセの記憶は、もう視るな」

「グレクスさまが、そう仰るなら努力します」

「俺も、全部は知らされていないが、さすがに察しはつく。アンナリセはやり過ぎた」

 

 ……そんな身体に入ってしまいました。グレクスさまは、それで大丈夫ですか?

 

 小さく訊いた。とても、普通に訊くことなどできない。また、涙が込みあげてくるのを必死で耐えた。

 

「俺は、お前の魂に惚れている。身体など、何でも構わない。悪事で汚れた身体も、お前なら浄化するだろう?」

 

 なぜグレクスが、そこまで分かっているのか不思議だ。王族由来のウルプ家であるからには、魔法のような力を宿しているのは確かなはずだが。それでも、不思議だった。

 

「アンナリセは……ルソケーム侯と共謀してトレージュを奴隷として売り払う予定のようでした。話は、進んでいます」

 

 トレージュが危険なのです。と、切実な声で告げた。

 

「そうか。トレージュがいかに策士でも、とても太刀打ちできなかったか」

 

 溜息まじりの言葉が、トレージュにか、元のアンナリセにか、どちらに向けられたのか謎だ。

 

「ルソケーム侯は、アンナリセが別人だと気づいています。脅しをかけてきました。証拠はない、と、突っぱねて逃げました。ただ、アンナリセが魔物が見たいと異界への通路を開けさせ、その魔道師を引き込むために都から魔気を奪わせたりしていたようです。目論見が失敗したので、ルドルフ・マランという大魔道師は手を引いたそうで。侯爵は激怒しておりました」

 

 異界への通路がまた開くことや、魔気が都から奪われる危険は無くなりました、と、言葉を足した。

 

「そうか。それであれば、俺にバレることも分かっているだろう。自暴自棄になって、何かやらかしそうだな」

「そうです! デザフル・ティクを、かくまっているどころか、悪事を手伝わせています」

「なるほど。どうりで見つからないわけだ」

「トレージュを助けたいのですが、ルソケーム侯爵のところには厄介な魔道師がいます」

 

 わたしをルソケーム侯爵城へと転移させた魔道師が、悪事に荷担しているのは間違いない。警邏けいらを増やしても、ヘイル侯爵城からトレージュをさらうことくらい容易いはずだ。

 

「かなり警戒する必要があるな。お前も気をつけるんだぞ」

 

 そう言うと、心配そうにグレクスは、またわたしを抱きしめた。

 

 

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