第3話 ヘイル侯爵家の令嬢

「アンナ、おかえり」

「今日は早いのね」

 

 ウルプ城から馬車で戻ると、ふたりが出迎えてくれた。

 アンナリセの父母のようだ。ウルプ小国が管轄するラテアの都で侯爵として広大な領地を治める、やり手の領主。娘には甘いようだ。

 

 アンナリセとウルプ小国の王子であるグレクスとの婚約は、親同士が決めている。アンナリセにせがまれ、渋々と装いつつ、父はウルプ家とのつながりが深まることが大歓迎だった、のだが。アンナリセ自身は舞い上がりすぎて気づいてなかったようね、と、わたしはアンナリセの記憶をひもときながら思考する。

 

「ただいま戻りました、父上、母上」

 

 馬車から父に手を取られて下り立ってから、丁寧に礼をして挨拶する。

 父母は目を丸くして驚いている。

 

「まあ、驚いた! ウルプ城に通うことは、アンナには良い教育になっているようね」

 

 母はアンナリセの所作や態度に、大喜びだ。

 あれ? 随分と、いつもと違う挨拶だった?

 わたしは慌ててアンナリセのいつもの態度を記憶に探る。

 

『ひどいわ、ひどいわ。グレクスさま、忙しすぎてちっとも遊んでくれないの』

 

 馬車を飛び下りるなり、非難囂々ひなんごうごう、母に抱きつき、ぽかぽかと叩く仕草。その後も、すごい勢いで文句をいいながら豪華な城内へと駆け込んで行く。挨拶など、全くしていないが、父母は微笑ほほえましそうにしていた。

 

 廊下ですれ違う兄が、ひょいと身を除けながら、ジト目で眺めてくる。

 

『早く結婚してしまえよ』

 

 皮肉っぽく呟かれているが、アンナリセはパアアッっと、明るい表情になる。

 

『ありがと、兄さま! 早く結婚したい~~!』

 

 とても、侯爵令嬢の振るまいだとは思えない態度だ。こんなしつけけのなっていない状態でウルプ家に嫁入りしたら、と思うと、ぞっとする。ウルプ家ともなれば、小国をとりまとめる王都・王宮で執り行う儀式に参加する機会も多い。王宮内で、こんな態度を通したらウルプ家の面子メンツが丸つぶれだ。

 いかに侯爵家であっても、出入り禁止になるかもしれない。

 

 とはいえ、そんないつもながらのアンナリセの態度を、わたしはとても真似ることはできない。

 身についてしまっている王都の王宮内での所作――たぶん、王女の侍女のような役職だったろう――を、破天荒はてんこうな態度に変えることなど、絶対に無理だ。

 

 気が変になったと思われても、わたしは馴染んだ所作と言葉遣いで過ごすことにしよう。

 

 アンナリセの記憶をたどりながら、自室へと戻る。すぐに侍女が、衣装替えに取りかかろうとしている。やっと重い頭から解放されそうだ。

 いつも座るらしい椅子に、大人しく座った。

 

「どうかお座りください! あら、今日はもう座ってらっしゃる!」

 

 侍女は、驚いたようすだ。びくびくしながらも、丁寧に頭飾りをはずし、自宅用の髪型に結い直してくれている。

 

「ありがとう。とてもホッとするわ」

「ひゃゃゃぁ、お嬢様! まさか、お熱でも?」

 

 一事が万事、そんな感じで。しかし、アンナリセが今までとは全く別人のように、令嬢らしい態度になっていることに驚愕きょうがくしながらも皆歓迎してくれている。

 

 ああ、それなら、安心して普段通りに生活させてもらおう。

 普段通り、といいつつ、わたしの記憶はほとんど戻ってこないのだけれど、だいぶ安堵している。無理にアンナリセらしくする必要は全くなさそうだ。

 

 鏡に映されたアンナリセの姿は、可憐な美少女だ。十五、六? 綺麗な金髪に鮮やかな翠の瞳。可愛い形の唇。人形のように整った顔に、透きとおるような白い肌。

 普段着らしき衣装も、侯爵令嬢らしく豪勢だ。とても良く似合っていた。

 

 

 

 食事のときも、父母も使用人も、声にはださないがアンナリセの一挙一動に、すっかり感心した様子だ。

 

「ウルプ家でこんな風に教育してくださるなんて。本当にすごい成果よね」

 

 何より母が嬉しそうだ。父も無理矢理にグレクスとの婚約を取り付けただけに安堵しているだろう。

 兄は、ずっとジト目のまま。いつ元に戻るか分かったものじゃない、といった表情だ。

 

 義理の妹は、不機嫌顔だ。

 別の馬車でアンナリセより後にウルプ城から帰ってきたらしいが、ウルプ城に義妹が来ていたことなど、アンナリセは気づいていなかった。

 というか、義妹がいるなどアンナリセの記憶のなかから引っ張り出すのに苦労した。

 

 アンナリセは、遠縁から養女として迎えられた義妹トレージュへも、嫌がらせをしていた。何しろ、グレクスに近寄る気配があったからだ。最近は、そんな素振りはないとアンナリセは安心していたようだが、ウルプ家にコッソリ来ていたなんて、全然安心できる状態じゃないじゃない!

 

 

 

 父母ともに、アンナリセの礼儀作法に関しては、教育を諦めていた節がある。娘可愛さに、わがまま放題にそだててしまったのだろう。

 

「トレージュ、ごめんなさいね。もう悪戯したりしないわ」

 

 食堂をでたところで待ち伏せし、不機嫌なままのトレージュへと、わたしはしおらしく告げる。

 

「悪戯はしないですって? 義父おとうさまたちは騙せても、わたくしはそんなこと信じません」

 

 トレージュはぴしゃりと、しかし、他の者には決して聞こえていないと確認してから、その言葉を吐いている。

 派手な衣装や髪型のアンナリセと比べ、トレージュが質素な衣装や髪型に整えているのは養女として遠慮している……という体裁だが、とてつもなくしたたかな印象を受けた。

 

 これは、ウルプ城にコッソリ来ていたのも、グレクスさまを狙っているのに違いないわね、と、わたしは確信する。

 

「そうね。信じてもらえないのも、全部わたしが悪いの。心を入れ替えたから、あなたのこと大事にするわ。大切な妹なんですもの」

 

 意気消沈したように前半は告げ、最後はにっこりと笑みを向けた。無邪気で罪のない、とても魅力的な笑みになっていることは分かる。アンナリセの容姿は素晴らしい。元のわたしでは、絶対、そうはいかない。

 それに嘘は言っていない。心を入れ替えたのだ。

 

 トレージュは、今後もグレクスを狙ってくるのは明らかで、清楚な聖女といった雰囲気で迫るのだろうと予想はつく。

 心から仲良くするつもりは全くないけど、とても大事な家族として親愛の情を示し続けてあげる。

 

 アンナリセが全力で愛情を示したら、トレージュはどうするかしら?

 ちょっと楽しくなってきた。

 

「とても信じられないです、お義姉ねえさま」

 

 棘のある響きでトレージュは言い捨てると、聖女と言われるに相応ふさわしい丁寧さで礼をし、さっさと部屋へ引き上げていった。

 

 まあ、たぶん、一番の難関よね、トレージュは。

 恋仇こいがたきなのだから、当然だ。

 注意深く動向を見守るのがよさそうね。

 

 わたしは、ゆっくりと二階の自室へと引き上げて行く。

 なんとか、ひとりの刻を作り、アンナリセの今までの所業を洗い出さなくては!

 

 謝罪しまくるだけでなく、敵対している者たちを、すべて味方に転じさせるくらいはしておかないと安心できない。

 それは、やがてウルプ小国を継ぐことになるグレクスのためでもある。

 

 自室へと戻り、侍女に結った髪を解いてもらった後、「もう今日は下がっていいわ」と、侍女に告げる。

 扉と鍵をしめ夜着に着替えると、ようやくひとりきりになれたことに、わたしは安堵の息をついた。

 

 

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