第2話

「ふ~...今日はいっぱい遊んだね。身体すっごいべとべと~!」


「そうだね。...なんか悪いな。人ごみとか気にしなくて済むかなって思って来たけど有名な海水浴場だったらシャワーとかあったのにな。」


「ううん!全っ然!!なんか凄い....今見えてるこの綺麗な海、私達二人だけで貸し切りしてるみたいで超エモいじゃん!こんないい場所、連れて来てくれてありがとうねユキト!」


結衣は波打ち際で笑顔を見せる。

遥か地平線の先に見える夕日からの光が、オレンジの水着の彼女と映えてまるで映画のワンシーンかのよう。

やっぱ、滅茶苦茶可愛い。

もし、そんな彼女の隣に誰か俺じゃない男が立ったらと考えたら胸が絞めつけられるほどに。


....だから、今日ここで決めるんだ。

覚悟が決まらなかった、情けない俺だけど。

このままなぁなぁの関係なんて耐えられないから。


だからこそ二人きりになれるようにこうして景色の綺麗な穴場の海岸、嘉羽海岸まで来たのだから。


「んじゃあ、そろそろかえろっか。今日、夜ごはんどうする~?宿の周辺で良い所あるかな~?」


「結衣!...ちょっと、良いか?」


足を付けていた海から出て、砂浜の方へと歩いていく結衣。

そんな結衣を止める。


「....なに、かな。」


結衣は足を止めて、振り返る。

その表情はどこか物憂げで....まるで何かを期待しているかのような熱っぽい表情だった。

....もしかしたら、結衣は全部わかってたのかもな。

やっぱり...敵わないや。


「俺達、初めて話すようになったのは...心理学の講義でのグループワークの時からだよな。」


「...そうだね。東京に来たばかりで色々あって、人が怖くなっていた私にユキトが優しく話しかけてくれたよね。」


「あぁ。...正直、最初はやっぱり可愛いなって思ったから、一緒のグループに慣れて運が良いってなったから...やっぱそういう下心はあったんだけどさ。」


「ユキトに可愛いって思ってもらえたとか...すごい嬉しいし、それにこう...そういうつもりで男の人に話しかけてもらったことなかったから、私はすごく嬉しかったよ。それに、優しくしてもらって救われたのは事実だし。」


結衣は優しく微笑む。

そうだ、この笑顔だ。

俺が守りたいって、ずっと傍で見ていたいって思った笑顔は。


「でもこうして一緒に過ごして...俺、気づいたんだ。もし、お前の隣に俺じゃない男が並ぶようになったらって考えると、胸が張り裂けそうになる。お前のことを考えない日はないくらい...考えるだけで今日一日頑張ろうって思えるような.....。そうだ、俺はきっとこれからの人生...お前の笑顔をずっと傍で、隣で見ていたいって思ったんだ。」


「ユキト....。」


俺を見つめる結衣の視線に、真っ直ぐに向き合う。

そして意を決した。

俺の自惚れじゃなければ、きっと結衣もおんなじ気持ちだろうから。

これは、男の俺から言わなくちゃいけないことだから。


「今までグダグダと、遅れちゃって...ごめん。吉崎結衣さん....俺と結婚を前提にお付き合いしてくださいっっ!!!」


そう言って頭を下げた。

緊張から鼓動が高鳴り、頭の中で心臓の音が響く程だ。

唇が乾き、喉が渇く。

後は結衣の返事を待つだけ。


....けれども、暫く待っていても結衣からの反応はない。

応えてくれるなり保留なり....あまり考えたくはないが断るなりあるはずだ。

彼女はちゃんとこういうことにはしっかりと答えを出してくれる人だってことは俺が一番よく知ってる。


「結衣....?」


顔を上げる。

すると、目の前の結衣の表情が普通でないことに直ぐに気づいた。

先ほどからは考えられないような虚ろな目で、俺の背後をジッと眺めている。


「結衣?...おい、どうしたんだよ結衣!!」


「.....」


俺が声を掛けても返事どころか視線すら向けない。

そしてフラフラと歩きだすと、俺を避けてそのまま海の方へと歩みを進めだす。


「おい、待てよ結衣!!.....は?」


俺の横を通り過ぎる結衣の手を掴んで止めようと振り返る。

すると、そこに“それら”は居た。


さっきまで夕日が差し込んで来ていた海の海面。

そこから夥しいほどの病的に白い腕が、前日の水族館で見たチンアナゴのように突き出ている。

その数多の腕はゆっくりと手を縦に....まるで自分達の方に俺達を招いているかのような動きを見せる。


「なんだよ....あれ...。」


常識では考えられないような光景に啞然となる。

しかし、直ぐになんだか頭がぼんやりしてきたことに気づく。

それはまるで微睡んでいるかのような、そんな夢見心地。


招く手に、眼が離せない。

寧ろその手がこちらを招けば招く程に、視線が吸い寄せられて......。

手を掴んで止めたはずの結衣の方を見れない....。

あれ、....そもそもなんで止めたんだっけ?

俺は何をして....。

あ....。


「......」


「...ゆ....い......」



潮騒響く中、二人は手を繋いだまま幽鬼のように海の方へと歩み出した。









燦燦と輝く太陽と雲一つない青空。

財部さんの家に訪れた時と比べれば流石にマシではあるが、結局暑いことに変わりはない。

サンダル越しに踏みしめる砂も熱が籠っていた。


見渡せば白い砂浜に、緩やかな波が浜辺を寄せては返す。

嘉羽海岸。

こんなのどかな浜辺が、少なくとも二人の人間が死にかけた場所だとは言われなければ思わないだろう。

いや、海は危険だと昔から海水浴場などでは注意喚起されてきたわけだし、どこもそんな物なのかもしれない。

怪異と同じで火のない所に煙は立たない。

人の死傷例自体、どこの海岸や海水浴場でも前例がありそうだ。


この海岸で一組のカップルが心中未遂を起こした。

男性の方は意識はあるらしいが、女性の方は今でも意識不明らしい。

男性によると自分達は心中する気なんかなかった、海面から無数に出てきたこちらを招く手に引かれたと語ったそうだ。


もしかしたら、ただ単純に二人で心中しようとして男の方だけ生き残っただけかもしれない。

それでも嘉羽市という彼女の....財部家にとって庭、言い方を変えれば領分でこのような怪異絡みの事件が起きれば調べざるを得ない。

それが財部家の家業であるからだ。


僕はそんな財部さんの家業の手伝いに来たはずだ。

そう、そのはずなんだ....。


「ど~よ?オタクくぅ~ん!この水着可愛くね!?めちゃイケてるっしょ~~~~?イェ~イ❤」


ニヤニヤと笑みを浮かべながらも、こちらにポーズを決めて楽しそうにピースサインを見せる財部さん。

豹柄のビキニは小麦色の肌とマッチして、その類い稀なプロポーションを引き立てている。

ある種の溌剌とした...健康的な淫靡さ、砂浜なのも相まってジョッキを持たせたら一昔前のビールの広告のポスターとかでありそうな感じだ。

そんな恰好でポーズ決めてピースしてるもんだから、『あれ....?これからするのって怪異の調査じゃなくてイメージビデオの撮影だったっけ?』と一瞬思ってしまう程である。


何故だか水着とか持ってないと言ったらアロハシャツと海パンを渡されたものだから、なんかおかしいとは思っていた。

しかし、目の前で彼女を目にするとそんな違和感は疑惑へと昇華していた。

...まさか財部さん...遊びのつもりじゃ、ないよね......?


「あー、えっーと...財...部さん?その今から僕達がやるのって財部さんの家業である怪異の調査と場合によっては退治....ですよね?」


「ん~?そうだけどぉ~?シート敷いてぇ~...パラソルって立てんの結構めんどくね~?あ~なんでアタシ台座付きの奴買わなかったんだろぉ~!」


「遊んでません?」


財部さんは足元に置いていた大きな鞄から続々と組み立て式のビーチパラソルや所謂レジャーマットの設営を始める。

結構重たい物を持たされたからなんか家業に必要な物積んでるのかなって思ってたら、これレジャー用品じゃん。

つーか明らか今やってるのレジャーの準備だよね?やっぱり遊ぼうとしてるよね!?


「よっと...あ、立った。つーかオタクくんめちゃ失礼じゃ~~~ん!べつに遊んでないしぃ~?アタシはあくまで真面目に状況再現しようとしてるだけだしぃ~?なぁんか酷いわ~マジないわ~、こんなん鬼萎えなんだけどぉ~?」


「状況再現...?」


「そっ!被害者はここで遊んで告ったら怪異を見たわけじゃん?だからそれまで被害者のここでの行動をなぞってそれで出現するかどうか検証するってワケ。もし出現しなければ行動や時間帯以外の何か条件があるのか...それともただ心中未遂を誤魔化す為の嘘か。出れば祓ってハイ終わり~ってカンジぃ?ちょうどアタシとオタクくんで男女一組だから状況再現できるし、そうするのが検証の手段の中で一番手っ取り早いんだよねぇ~。」


なるほど...確かに財部さんの言う事はその通りだ。

前に財部さんが怪異の原則として教えてくれたことはある。


『怪異は、そこに居る理由が必ず存在する』

それは浮遊霊などの地に縛られていない霊も然りで、必ず何かしらの行動論理が存在しているんだとか。

つまりは人に干渉した場合には、何かしらの条件やルールがあるということになる。


この嘉羽市は穴場というか、有名な海水浴場のようにレジャー客もほとんど来ない海岸だ。

そして被害者である一組の男女の行動も普通ではないと言えるだろう。

地元の住人でもない外からの男女が態々こんなシャワーとかの海水浴場としての設備が整っていない海岸に3時過ぎ頃から押しかけて夕日が見える時間に告白だなんて。

であれば、その行動をなぞることはある意味一番有効な調査であると言えるだろう。

出現すれば彼らの行動や時間帯のどこかに条件があり、出なければそれ以外の条件...もしくはただの妄言であると仮定づけることが出来る。

要するに考えられる可能性を潰して見解を見出すにはもってこいの方法だということだな。


「そう...だったんすね。それならその...すいません、遊びって言っちゃって。」


「そーだぞ~、反省しな~?じゃ、オタクくんも分かってくれたことだし....これ、頼むわ。」


冗談めかして責めるようなことを言うと、ニマニマと笑みを浮かべながら鞄から何かを取り出してこちらに投げ渡してくる。

慌ててキャッチすると、それが何か見やる。

....サンオイル?


視線を財部さんの方に戻すと既に財部さんは自分が敷いたシートの上に横になってて、こちらに愉快そうに細められた視線を向けるとうつ伏せになって後ろ手でビキニの紐を解いた。

それだけで、僕には財部さんが何を頼んできたか察する。

...いや察したは良いけどさぁ。


「...マジで言ってます?」


「マジのマジ、大マジ!被害者の行動なぞるって言ったっしょ?サンオイル塗ったり海で水掛け合ったりと告白までの間イチャついてたっぽいし?オタクくんとアタシも同じ行動取らないといけないんだからそれもなぞらなきゃじゃんねぇ?つーわけでぇ~、オタクくんサンオイル塗って塗って~~~♪」


財部さんは楽し気に足をばたつかせる。

その度にお尻が震え、思わず目を逸らしてしまう。


正直、僕には滅茶苦茶辛い状況だ。

童貞の....それもこの街に来るまで女の子とあまり関わりのない日々を送ってきた僕にとってはこんなん数段飛ばしなんてもんじゃない。

ビキニによってお尻は強調されていて、それに加えて財部さんは上のビキニの紐を解いている。

つまりは今身体を起こしたら...見えるということ。

つーかそもそも身体なんか起こさなくてもうつ伏せになってるせいで、シートと身体の間で押しつぶされてむにぃとたわんだ横乳が背中からでも見えている。


胸元が大きく開いた巫女服など比にならない。

あれでも僕にとっては目に毒だったんだ。

そんな僕に目の前の半裸に直接触れてサンオイルを塗れだなんて正気の沙汰でない。

ニヤリと笑みを浮かべていた辺り、絶対面白がって言ってる...。


「財部さん...分かってて言ってますよね?」


「え~何がぁ~??アタシわかんなぁ~い!オタクくん早くしてくんね~?このままオタクくんがサンオイル塗ってくれないとアタシこのままなんだけどなぁ~困ったなぁ~❤」


「ホントに困ってるのは僕なんですけど...分かりましたよ、もう....。」


相も変わらず足をばたつかせて、わざとらしい口調でとぼける財部さん。

どうやら頑として譲るつもりはないらしい。

こうなった以上、僕がいくら言っても無駄だろう。

諦めると、僕はサンオイルを持って彼女の傍へと歩み寄る。

そして横に座り込んだ。


「あ、ちゃんとアタシに跨って塗ってくんない?ほら、マッサージするみたいにさ。」


「なんでそんなことする必要があるんですか?」


「そりゃ状況再現だから?被害者がそうやってイチャついてたんだからアタシたちも形だけでもそうしないとっしょ?違う?」


「...ほんとにそうしてたんですよね?その人たち。」


「ホントホント♪アタシにそんな嘘吐く理由なくね?信じろって~!」


軽い調子でそう答える財部さん。

ホントか....?ただ僕を揶揄ってるだけじゃないのか...?

いやでもまぁ、財部さんがそう言うのであれば....そうするしかないわけだが。

跨る....つまりはこのお尻もしくは腰に跨るということだ。

今の僕は海パンを履いている...海で遊ぶのだから下にパンツなど履いているわけもない。

海パン内部にインナーが縫い付けてあるとはいえ、それでもだ。


つまり、跨った場合にその....感触が、伝わる恐れがあるのである。

その...ほら、僕のその男にしかない部分にさ。

正直それは滅茶苦茶不味い気がする。

つーかそれ以前にそんな肌に触れながら人にオイル塗るとかこれ結構なことしてると思うんだけど...。

財部さんはそのことを気にしている様子はない。

どうやら意識しているのは僕だけ...って感じだ。


言われるがままに、彼女のお尻と腰らへんに跨る。

うわぁ...柔らかいし、なんか温い....。

僕が懸念してたこと、現実になったよね。

考えるな....考えるなよ.....。


「ひゃっ...!ちょ、オータークーくーん?そのまま付けたら冷たいっしょ?手である程度あっためてから塗ってよね~~!」


「うるさいですね....。」


人に塗らせている割に注文の多い人だ。

手の上にサンオイルを落とすと、手で温める。

そしてゆっくりと背中にそれを広げていった。


「んっ....そーそー。そんな感じ~♪い~よ、中々うまいじゃ~ん?」


「どうも...。」


こんなこと褒められてもな....と思いながらも、オイルを彼女の身体に塗り広げていく。

褐色の彼女の肌はオイルを塗られることで、てらてらと淫靡に艶めいている。

正直滅茶苦茶不味いと思う。

ここから腰、そして臀部へと塗っていかなければいけない。


自分にはハードルの高い行為だ。

けれど、やらなければ財部さんは意地でも動かないだろうなってことは予想に難くない。

どうすれば....そうか。


僕は今肌に触れている。

同級生の女の子の肌。

だから凄い気恥ずかしいし、気まずく...それでエッチだなと感じてしまう。

けれど、これがもし別のモノであったとしたら?


発表などを行う際に緊張しがちな人に、『聞いている人をみんなジャガイモだと思え』と言うのを聞いたことがある。

ある種の自己暗示。

本当に効果があるのかと問われれば眉唾だが、廃れない辺り効果がある人が居るのだろう。

ならば、試してみる価値がありそうだ。


腰まで塗ったので臀部に手を付ける。

これに似た物があるか、考えてみる。

まん丸だし、褐色で柔らかいが肉付きがよくて弾力がある。

...煮卵、そうだ煮卵だ。

形容するなら、煮卵としか形容出来ないだろう。


それを想起したら僕は目を閉じる。

余計な情報が入って思い込んだモノから引き戻されないようにする為に。

煮卵はこんな豹柄の水着を食い込ませてたりしないからな。

これは煮卵...煮卵....煮卵.....。


「えっ、ちょ...力つよっ...オタクくんがっつき過ぎ~!めちゃ揉み込んでくるじゃ~ん!エッチなんだぁ~❤」


「黙ってください!煮卵は喋らない....。」


「え、煮卵...?いや、アタシ人間だけど...どしたんオタクくん、だいじょぶ...?」


なんか心配するような声が聞こえるが、僕には関係ない。

僕はただ煮卵の表面にオイルを塗るだけ....。

今はそれだけの存在だ。

...うん、まぁこの程度で大丈夫だろう。


「後ろはこのくらいで良いっすよね?後は前とか自分で出来るところは自分でしてください。」


ある程度塗ったら僕は立ちあがる。

彼女の背中から臀部にかけて、テラテラとオイリーな艶めきを見せる。

うん、これなら文句ないだろう。


「...う~ん、まぁいっか。ありがとオタクくん、お疲れ様~。」


後ろ手でビキニを結ぶとそのまま起き上がる。

そしてサンオイルを手渡すと、自分で胸やら腕やらに塗り始めた。

...自分で塗らないだけマシだが、これはこれでなんかいやらしいので目線を外す。

なんか釈然としない声音だったが、納得してくれたなら何よりだろう。


「あっ、今度はアタシがオタクくんに塗ったげるから。さっさとそこに横になって?」


「...聞いてないっすけどそんなの。」


「そりゃ言ってないし?つーかさ、カップルで海来てオイル塗るってことは大体塗り合いっこしてるってふつー分かるくね?そしたら、アタシたちも再現しなきゃなんだからやらなきゃじゃ~ん?」


「いや...確かにそう、確かにそうなんですけど....。」


「なに?ただオイル塗るだけじゃん。日焼け止め塗んのと同じだよ?...まさか、オタクくん..変な事考えちゃってるぅ?え~困るなぁ~、手伝いで呼んだんだから真面目にしてくんないかなぁ~❤」


「変な事なんか考えてないですよ!分かりましたよ、オイル塗られるだけですもんね!そのくらい何ら問題ないですよ!そこに寝そべれば良いんでしょ!?やったりますよほら!!」


ニヤニヤと茶化すような物言いについ売り言葉に買い言葉でそう言ってしまった。

その言葉を聞いてどうぞと言わんばかりにニコニコと笑みを浮かべてさっきまで自分が寝そべっていたシートを叩く財部さん。

うぅ...なんでこんなことに.....。


正直、今の財部さんに背中を委ねて...それもオイルみたいに温めないと冷たいような物を任せるのは怖い。

いや、でもただオイル塗るだけ....手で温めることも自分で言ってたわけだし、どうってことないだろ。

きっと僕の考えすぎだ。

背中を塗ってもらって、オイルを手渡されてハイ終わり!

それだけのことだ。


シートにうつ伏せになると、腰辺りに重みを感じる。

多分彼女が跨っているのだろう。

鼻歌と共に、ぴちゃぴちゃとオイルを温めている感じの水音が聞こえてくる。

よかった...サンオイル温めてくれてる。


「にしても、オタクくん結構器用だね~?アタシ、オイル出しすぎちゃって...ほら、自分で塗った前の方とかちょっとヌメッとしちゃってるし....あ、イイこと思いついちゃったカモ~...!」


「良いこと?良いことってなん.....」


なんかテンション高いので尋ねようとした。

けれど、その言葉を最後まで吐くことは出来なかった。

それは“感触”。


熱く、ほっこりとして...それでいて汗とオイルでヌルっとした人肌。

それでいて脳髄を甘美に刺激するような柔らかい二つの感触。

それらが背中をずりりぃ~って擦れて行った。


「っっっっっっ??!!」


その突如襲い掛かってきた感触によって身体がビクビクッと跳ねて、驚きから声にならない悲鳴を上げてしまった。

その感触が何かは分かる。

分かるからこそ、とんでもないのだ。


「にひひっ❤こうしてアタシの塗り過ぎたオイル使えば、無駄遣いしなくて済むしちょうど良いじゃん!既に人肌で温められた後だしぃ?オタクくんもそう思うっしょ~♪」


首元に感じる熱い吐息。

それが耳元に近づいたかと思えば、財部さんは悪戯っぽく笑った。







「ちょっ、待っ...ぷわぁっ!!?アンタ、的確に人の顔狙って、水当てすぎ...ぶふぉっ!!?」


「オタクくんの方は水ぱちゃぱちゃさせんの鬼ヘタクソだね~♪や~いザ~コ❤こんな弱いのやばたんじゃね~?ぶふぉっだってぇ~マジウケる~、大丈夫そ~?」


「こっちは執拗に顔に海水ぶっ掛けられて何もウケないんですけどっ!?っていうか、パチャパチャなんてレベルじゃないよね!?毎回的確に水の塊が顔捉えてくんだよ!水の掛け合いって絶対こういうことじゃないから!!ほんといい加減にブフォッ!?....財部ぇぇぇ!!!」


「うわぁ~怒ったぁ~!でぇも、当たらないんだなぁ~これが。ホントにやさし~ね~オタクくん。女の子の顔は狙えないって奴ぅ?鬼カッコいい~❤」


「思ってもいない事を...あと単純にアンタみたいに水飛ばせねぇだけだよちくしょう!!」


ケラケラと楽しそうに笑う財部さん。

その舐めた態度につい熱くなってしまって、結構本気で水を彼女に掛けようとする。

けれど、やはり彼女よりもうまく行かずに却って水の塊を百発百中で顔面にぶち当てられていた。

ホントに僕と同じで手で水掬ってる?バケツかなんか使ってない??


そうして水かけに図らずも熱中すること暫く。

息が切れて冷静になった頃合い、気づけば夕日が出て海を茜色の光が照らしていた。

思えば一緒に砂浜でカニにちょっかいかけたり、砂に埋められた挙句になんか首から下を女性な感じに砂像を作られたりと色々と...まぁ、楽しんだものである。


「そろそろ帰る時間か、普段海に来ることすらなかったから疲れたな....。」


「ちょっとちょっと!オタクくん?これで終わりじゃないよ?まだ肝心なのが残ってんじゃん!」


「あ、そうでしたね....すっかり忘れてた....。」


砂浜の方へと歩いていくと、財部さんに止められる。

さっきまで熱くなっていたのも相まって、完全に頭からすっぽ抜けてた。

肝心なこと...被害者の男女が海面から出てきた無数の手に遭遇する前に行っていた行動。

そう、告白である。

形だけとはいえ状況再現、僕も告白とやらをしなければいけない。


いざしなければならないとなると正直何も思いつかないし、それにすげぇ気恥ずかしい。

なんか知らないけど緊張してきた...手汗掻いて来たし。

大体何を言えば良いのか分からないし...。

あぁ、今から向かい合っている財部さんに言わなければならないと考えると、身体がガチガチになってくる。

ヤバい、頭真っ白になる....。


「ちょっ、緊張しすぎ~!形だけでも告白してくれれば良いんだから、そこまで深く考える必要ないって!なんなら一言二言、てきと~に済ませるくらいでもいいし?ね?」


そんな僕を見て、面白そうに笑う財部さん。

...まぁ、確かにそれもそうだ。

でも一応状況再現なわけだ。

普通は告白となれば適当に一言二言で済ませようとすることなんてあり得ない。

ならば、僕が緊張するからって理由で一言二言適当に済ませてしまうのは状況再現をするという趣旨から外れてしまうように感じる。


...なら、一応形式として少なくともちゃんとした体は整えよう。

確かに告白なんてまったく思いつかないが、それでも目の前の財部さんに感謝の言葉がないかと言えば噓になる。

揶揄ってきたりするものの、余所者である僕にとっての唯一のれっきとした友達。

それでいて恩人でもある凄い人。

その人に感謝を伝えると考えれば、案外...出来そうな気がしてきた。


感謝を伝えて、その末尾に取ってつけたように告白の言葉を入れる。

正直映画や漫画の知識しかないが、告白する時って大体前置きとして好きになったポイントとしてこれまでの出会いとかそういうの語りがちだ。

それなら、案外僕がやろうとしていることとそんなに変わりがないじゃないか。

末尾に取ってつけたように告白の言葉を入れてもそう感じられないのは、ちゃんとお互いが告白をするされるという関係性で正しくその前に語ったきっかけなどを共通認識として持っているからなのかもしれないな。

なんとはなしに、そう思った。


「すぅ~~~、はぁ~~~...。財部彩....さん、ちょっと良いですか....?」


「うん?なになに~オタクく~ん?」


適当に済ませて良いと僕に言ったように、軽い調子で財部さんは返事する。

もしかしたら、僕が緊張しないように気を遣ってくれているのかもしれない。

そんな彼女に対して、僕は真っ直ぐに視線を向けた。

さっきよりも、身体は固くない。

告白云々とかじゃなく、僕はただ僕に言えること....日頃の感謝とかそういうのを言うだけなんだから。


「...この街に来てから、色々ありました。怪異とか...色々と自分の中で固定観念が崩れたようなそんな日々でした。そんな中で、...僕にとって一番最初に僕に話しかけてくれて、そして僕を助けてくれた恩人が貴女です。」


「え...え...?あ、あぁ...うん、そうっ...だね。うん...なんかこの街に来てからすぐ変な怪異に目ぇ付けられたし、オタクくんの体質ほんとエグイよねぇ~...!」


「最初だけじゃない。この前だって怪異に襲われた所を助けてくれたし...それにお守りだったりと僕のことを気にしてくれていた。僕はいつもそんな貴女が怪異を祓う姿を見て、本当にこの人は凄い人なんだなぁって思ってました。それに...いつも話しかけてくれた。なじみのない土地に来た余所者の僕にとってはそんな人が一人でも居てくれるだけで、なんていうか毎日学校に張り合いがあるっていうか...楽しいって思える。...本当にありがとうございます。」


「え、ぁ...うん。そ、そんな風に思っててくれたんだ...ど、どういたしまして?オタ...御宅くん。」


僕の言葉を聞いて、さっきまで軽い調子でニコニコしていた財部さんは目を伏せて視線を右往左往させる。

困ったように頬を掻くその顔はどことなく紅潮しているように見える。

その感じはなんて言うか、なんかそれっぽい感じの表情...だと思った。

軽い感じで行っても良いと言ったのに、存外真面目に取り組まれて驚いたのだろうか?

それでも直ぐに真面目な方に切り替えて、表情とか仕草もそちらに合わせたのは驚嘆という他ない。

やっぱり、この人は凄い....流石プロだ。


...まぁ、普段からオタクじゃなくてみやけって呼んでほしい物ではあるけど。


とにかくこれで僕に言えること....日頃の感謝は言い切った。

普段からお礼を言う時は言っているが、こうして纏めてちゃんと言葉にするとちょっと照れくさい物がある。

けれど人に感謝を伝えるのは悪いことではないはずだ。

自分の中から出せるだけの言葉は出した。

あとはそれに、まぁ...告白ですよってことを付け加えるだけだな。


「僕は...そんな貴女が好きです。僕と付き合ってください。」


...ダメだ。

告白の部分がまったく思い浮かばな過ぎて滅茶苦茶簡素になってしまった。

感謝の部分はそりゃ日頃感じたことだからスラスラ出るのは当然だが、いくら何でもこれは酷いと思う。

もっと恋愛映画とかそういうドラマを見るべきだった....見ないわけではないが、積極的に見てこなかったからなぁ.....。

いやでも、そういう恋愛経験とかない男子高校生に日頃から恋愛モノを見ろって言う方が厳しくないか?

そりゃバトル物とかファンタジー系のアニメとか小説見ちゃうよ。


今までの自分に僕が後悔する中、財部さんは僕の瞳をずっと見つめている。

視線が交錯する。

けれどその目線を最初に外した...いや、外してしまったのは僕だった。

それは、彼女の背後....海の海面で何かが動いたのが見えたから。


「そのっ、アタシもそう言ってもらえてうれし.....オタクくん?」


それは、水面からゆっくりと...それでいて続々と生えてくる病的に白い腕。

どれもこれも小汚いが、それぞれ細かったり太かったりと個体差があった。


そして、腕は全て手招きをする。

瞬間、目線がまるで縫い付けられたかのように離せなくなる。

頭がぼやけ、思考が定まらない。

そして身体を自由に動かせない....。


「たか、ら、べさ....で...た.....。」


なんとか伝えようとするも、喉から声が思い通りに出ない。

それどころか、視界の隅に入っている筈の財部さんすらぼやけていく。

このままじゃまずい...はやくなんとかしないと。


なんとかって、なんだ?

そもそも僕はどうしてここに...いや、そうだここで心中未遂した男女が居て...。

いや、それがどうして僕がここに居る理由になるんだっけ...?


耳元ではさざ波の音が何故だか凄く近くに聞こえる。

その波の音を聞いていると、なんだかその音に合わせて思考も溶けて.....。


「オタクくんっっっっ!!!!!!」


波の音のままに一歩踏み出す。

その瞬間にバチンという音と鋭い痛みが頬を走る。

そして無理やり何かに手への目線を外され、その勢いのままに砂浜に手を付いていた。


なんか凄い脳が揺れたし、頬がじんじんと痛む。

顔を上げると財部さんが平手を構えてこちらを見ていた。

....ビンタ、されたのか?僕。


「オタクくんっ!大丈夫!!?アタシのこと分かる!?」


「え、えぇ....わ、分かりますけど....。」


「マジ!?よかったぁ~~~。ほんとゴメンね、ほっぺの事とか....あと海から出るって話だったんだからアタシと位置逆にした方が良かったわ。そしたらオタクくんが海を水に済んだし。...アタシ、浮足立ってた。ほんと、ごめん。」


「は、はぁ....別に良いです、よ....?」


しきりに謝ってくる財部さんによく分からないながらも返答する。

しかし、段々と思考が明瞭になっていくごとに背中に冷たい汗が流れた。

僕はさっき....確かに海へと歩こうとしていた。

どうしてここに来たのかすらも忘れ去って。

あの手のことしか見えなくなっていた。


きっと、心中未遂の男女も僕と同じ状況で....それでいて財部さんみたいに止めてくれる人も居なかったから。

改めて考えるとゾッとする。


「財部さんっ!僕...っ!!」


「あぁ、ちょい待ち?そのまま立っちゃったら海見てまた惹かれちゃうカモだし....。」


そう言うと、財部さんは僕の目の前に屈むとそのまま僕の目元を自分の右手で覆う。

そしてすぐに手を離すと、また立ち上がった僕に手を差し出した。


「うしっ!これでダイジョーブっ!あの海の怪異、見てもいいよ。」


「あ、ありがとうございます....。」


財部さんの手を取って立ち上がる。

そして恐る恐る海の方へと目線を向けた。

手は相変わらずこちらに対して手招きしている。

けれど、意識が曖昧になることなく見ることが出来た。


「いや~ほんっとゴメンね~、ほらお守り持たせてるっしょ?だからこういう干渉は余程ヤバい怪異じゃない限り、普段なら弾いてるんだけど....海に行くんだからそりゃ着替えるし?そりゃオタクくんお守り持ってるわけないもんね~マジ頭からそのこと抜けてたわ。そもそもアタシ、こういうの効かないしさ。」


「あ、そうっすね。いや僕も言っとけばよかったです。」


お守りは学生服の内ポケットに入れっぱなしだ。

だから海に行く為の服装に着替えている今は持ち歩いてない。

ていうかあのお守り怪異自体だけじゃなくて、怪異の影響からも守ってくれるのか。


「...あの、状況...不味くないですか?ほら、怪異は海の方に居るわけだし....あんな海のど真ん中だといくら財部さんでも殴って退治は出来ないんじゃ.....。」


「別にそんなことする必要なくない?全然マズくないって、寧ろ面倒なカンジじゃなくて安心した的な?さっさと終わりそうでマジ助かるわ~!」


僕の懸念を離すと、財部さんは首を傾げる。

そしてすぐにこちらを安心させるように勝気な笑顔を見せると、直ぐに海へと向き直って一歩踏み出した。


「今日はオタクくん、ありがとね。オタクくんのお陰で状況再現出来てこんな早くに祓うコトが出来るワケだし。つーわけで、今からはアタシの番。見ててよ、アタシのこと....見惚れてて。」


そう言うと、彼女は右手を握りしめて上げる。

すると、右手に青い光が纏わりついて揺らめく。

そのまま人差し指を立てた。


青い光は指先へと集まっていき、ちょうどパチンコ玉くらいの大きさの光の球になる。

それは彼女の指先の上でふよふよと浮いている。

財部さんはそのまま上げた右手で海の方を指差した。

すると、指先で浮いていた青い光の球は海の方へ....海面から生えている数多の手へと飛んでいく。


「破っっ.....!!」


財部さんはいつもよりも短めに気迫の籠った声を発する。

瞬間、海上で小さな球がパッと弾けた。

一瞬、海面を閃光が照らす。


その直後、腕はどれもこれもまるで紙に火を点けたようにチリチリになって崩れ始めた。


腕は全て各々が恋人繫ぎをして消えていく。

その組み合わせはどれも細い腕と太い腕。

それはまるで最期を前に手を取り合う恋人みたいだなと....何故だか見ていてそう感じた。


「...ハ~イ、お~わりっ!どぉ~、オタクく~ん?アタシの雄姿は。見惚れちゃった?」


「えぇ、見惚れてました。...やっぱり、凄いですね財部さん。」


もうそれしか言葉が出なかった。

だってあんな飛び道具まで出して来たんだよ?

漫画かと思うよ。

でもそれが出来るし、それでいてアレだけで海から出てきた怪異は全滅している。

もう流石としか言いようがない。

やっぱり寺生まれは凄い....いやこれ寺生まれが凄いっていうか、純粋に財部さんが凄いんじゃないか?

ぶっちゃけ寺生まれだからって同じことできる人が居るとは思えないんだけど....。


「にひひっ♪とーぜんじゃん!アタシ、最強だしぃ?」


財部さんは僕の言葉を聞いて、無邪気な笑顔を見せる。

茜色の光に照らされた水着姿の彼女の笑顔。

それはまるでドラマや映画の一場面にありそうなほどに夕日に映える。

目に焼き付いてしまうんじゃないかと思う程に、美しい光景だった。

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