第79話 越境
王都陥落から一夜明けた。戦災を逃れようと閉ざされた家々の扉や鎧戸が、徐々に開き始める。そうして恐る恐る通りに出た市民は、想像を絶する凶報に触れた。王統断絶、政府崩壊――――それは事実上、ニュークラント王国の終焉だった。
反応はそれぞれだった。その場で泣き崩れる者、呆然と立ち尽くす者、
「手際が良過ぎるな」
報告を受けたパトリフ・レガは、ベッドで足を組み替えながら皮肉っぽく言った。「ええ」と正面に立って首肯するのは、サンタニエル視察から戻った部下である。
「昨日の今日で、こうも事細かな記事が出回るなんて」
手にした冊子をひらひら動かす。つまり、筋書きがあったという事だ。この出鱈目だらけの機関紙によれば、デュッフェル家と大法官の共謀によって王族は皆殺しにされたらしい。ハナリ王女もその例外ではなく、オーゴッホ率いる〝義軍〟が救出に向かったものの、身柄引き渡しを拒んだバルコ・デュッフェルに殺されたという。
「偉大なるブロッサムの血統に変わらぬ尊崇と
馬鹿馬鹿しいと鼻で笑って、レガは冊子をベッドに放った。内心、怒りと屈辱で一杯だった。
これでは、ドミニク・オーゴッホの一人勝ちだ。彼奴めは
「我々はどうします、師団長?」
「師団長はよせ、ターナー」
近衛師団は愚か、王立軍さえもはや無いのである。しかし、元近衛のプライドがそれを容れぬか、「師団長は師団長です」と、チャーリー・ターナーは譲らなかった。拘るでもないレガは、好きにしろと言外に示して話を進めた。
「ポロンに行く」
「ポロンに? しかし、あそこは……」
「あそこが我が国に穢れを持ち込んだのだ。だから、元凶を叩く」
「向こうの王党派と協力して、暫定政府を倒そうと?」
「そうだ。ポロンに新しい王朝を建てる」
皺の寄った額を掻くターナーは、即諾しかねる顔であった。言いたい事はレガにも分かる。古来、事ある毎に争ってきた国である。
「この際歴史は忘れろ。王制という政体を未来に残せるか否か、そういう瀬戸際にいるんだ。ニュークラントもポロンもない、王党派は王党派だろう。邪悪な思想に国体を破壊された者同士だ」
「国外の王党派と手を組むなら、神聖ミラナ帝国では駄目なのですか? あそことは元より……」
「ミラナは王党派最後の砦だ。あの国までもが毒牙にかかったら終わりだよ。だから禍根を断つ、言ってるだろうが」
「分かりました。ではポロン王国再建を手伝うとして、それが成った暁には?」
「ポロンとミラナ、二王国でオーゴッホの共和国とやらを挟み撃つ。反王制主義者は王国の敵だから、両国とも快諾してくれるだろう。然して我が国も王政復古を遂げる」
「しかし、ブロッサムの血統は途絶えてしまった訳ですから……我が国でも新たな王朝を?」
「場合によってはそれも検討するが、その前に確かめねばならん。本当にブロッサム朝が途絶えたのかどうか」
「えっ?」
「馬鹿め、こんなインチキ機関紙を真に受けてどうする」
ベッド上の冊子を目で指し、呆れた口調でレガは言った。苦笑いで後頭部を掻いたターナーの目に、俄かに期待の光が浮かぶ。
「ハナリ王女殿下がご存命かもしれん」
「本当ですか!」
「確証はない。殿下は一昨日から行方不明だった。それで、バルコ・デュッフェルが探しに行ったんだ。ブルマノンにいるとか言ってな」
「ええ、聞きました」
「合流出来たのかは知らんが、出来たとすれば、逃げ果せた可能性は高い。あんなのでも護衛としてはそこそこだし、オーゴッホだって殿下の行方は知らん筈だ」
「革命軍の本隊はシモーヌに残党討伐に赴いていたから、バルコにまで手が回らない。いやそもそも、殿下がご一緒という事も連中は知らないのか。あ、なるほど、ポロンに行くのはそれも兼ねてですか。殿下と合流しようと」
「そういう事だ。オーゴッホが統べる国内に留まるのは危ない、となれば一番近い外国はポロンだ。ブルマノンからなら、迂回路を行っても二日で国境に着く。俺ならそうする」
尤も、仮定に仮定を重ねた話である。蓋然性は決して高くない。それでも尚、君主の血族が異国の地で生きているかもしれぬとなれば、自然と士気は高まる。王党派軍人たる所以だ。
「さて」
立ち上がった途端、上腹部が痛んだ。一晩安静にしていたとは言え、やはり浅い傷ではない。表情に出さぬよう努めた。
「発つぞ」
「傷はもう宜しいのですか?」
「悠長にもしてられんだろう。何、血は止まった。皆を集めろ」
表に出ると、部下達が四列縦隊で自身を待っていた。見知った顔を順々に見ていく。規模にして一個小隊程度である。自分が知る限り、近衛師団の生き残りはこれだけだ。匿ってくれた片田舎の司祭の手を取ったレガは、お礼にと、寝室で署名した小切手を手渡した。その額を見て、司祭は目をまん丸にした。
「手持ちがそれしかなくってね。ご容赦いただけますか、司祭殿」
「滅相もありません! こ、こんな大金……本当に宜しいのでありますか」
「お助けいただいたご恩を思えば、それでも足りないくらいです。王政復古の暁には、改めて返礼致しますよ」
涙ながらに何度も礼を述べ、司祭の感激ぶりと言えば、財宝を王より下賜された臣下の如くであった。大袈裟だなと、レガは心持ち眉を顰める。そんなにも金に飢えていたのか。
「あなたは天使です。主がお遣わしになった天使に違いない。ああ、感謝します。これだけあれば、村人全員、来年まで飢えずに済みます」
レガは胸を衝かれた。個人的に贈与された金品を、村人に分け与えるというのか。顔を伏せ泣き止む気配のない老夫は、かかる利他的行動に何の躊躇いも持っていない。聖職者とは本来こういうものか。都会の聖職貴族が腐っていただけなのか。キーシャ・エル・ファウンの面影が、ふと脳裏に過った。
「お達者で」
それだけ言って、レガ一行は麓の教会を後にした。前方に広がるのは、プレジー山脈の峻険な山々である。空はまだ明るいが、もう一、二時間もすれば日が暮れる。今日中の山越えは無理だろう。今晩は山中で野営だ。本来ならもう一日休んで明朝出発するところだが、のんびりもしていられない。王党派の残党狩りが本格化する前に、国外に逃げねば。
二列縦隊を組んで山道を進んで行く。先頭を行くレガは、すぐ後ろのチャーリー・ターナーに声を掛けた。
「ケプラーの行方は、やはり分からなかったか」
「はい」と、弱弱しい返事を寄越す。王の護衛に付けた副官について、レガは、それ以上訊こうとはしなかった。王の遺体が宮廷に運び込まれるのを何人もの人間が見たと、ターナーの報告にあった。護衛含め、共にいた人間は全員殺されたと考えるのが自然だ。機関紙に記載はなかったが、恐らくあのルピナ・メ・リルルも生きてはいないだろう。
「王女殿下は、きっとご存命です」
半ば自分に言い聞かせるように、ターナーが言った。
「あちらで殿下と合流した後は、バルコも我が軍に加えるのですか?」
「ふざけているのか、貴様」
振り返って睨み付ける。ターナーは狼狽えた。
「えっ、だって、王党派は王党派って……」
「王党派なものか。黒衣隊と組んで、俺達を襲撃してきたような奴だぞ。一度寝返った奴は何度だって寝返る」
またしてもこめかみの傷が疼いて、レガは苛々した。あのような親の七光りを王妃侍従武官に抜擢したのが、そもそもの間違いだったのだ。
「バルコ・デュッフェルは殺す。奴から殿下を奪い返し、新しい王立軍を創る」
鬱蒼とした道を上へ上へと進んでいると、ぽっかり開けた空間に出た。ギャップだ。見晴らしが良く、田畑や家々が眼下に見える。美しい祖国の風景である。見納めにする気はないが、暫くは見れぬであろう。手綱を引いて馬を止めたレガは、王都の方角に顔を向けた。ここからでは到底見えぬが、その景観は、心中に克明に描く事が出来る。
待っていろ、ドミニク・オーゴッホ。貴様の首を獲りに、俺は戻って来るぞ。
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