第20話 同衾

「バルコを霊術の教師に?」


 枕に乗せた頭を少し動かして、シャオップは傍らを見た。横になったキーシャは、怪訝そうな夫の瞳を見つめ返しながら「ええ」と肯定した。


「ハナリが、すっかりバルコの事を気に入ったみたいで」

 寝室の天井に視線を戻したシャオップは、髭に覆われた口を尖らせながら「うーん」と唸った。


 不服は理解出来る。シャオップとしてはレガに続投させたい所だろう。しかし、昨日の公開授業で益々彼が嫌いになったキーシャは、そこに反対の立場だった。


「まぁ、あんな事があればな。ハナリとしては、パトリフよりバルコに教わりたいか」

「どうしたって相性はあります。レガ卿の霊術師としての腕を疑うではありませんが、ハナリに合っているのは、バルコなのかなと」

「しかし、侍従武官に着任してまだ半年だろう。掛け持ちする余裕はあるのか?」

「調整しますし、場合によっては私がサポートします。出来る限りハナリの希望に沿ってあげたいのです」

「希望を叶えてやる事が常に正しいとは限らん。パトリフの物言いは確かに辛辣だが、余の霊術教師もまた厳しかった。否定される事も必要だ、忍耐力を養うにはな」


 なるほど、一理ある。世の中には嫌な人間もいるのだと学ばせるには、パトリフ・レガとの交流も有意義であろう。しかし、何もそんな人間に二科目も任せる事はない。


「道理です、陛下。ですからレガ卿には、帝王学の教師として、教養と忍耐の心を授けて貰いましょう。霊術の教師は、やはりバルコが適任だと思います」

「そもそも、バルコに教育者の経験はあるのか?」

「無い筈です」

「それではな」

「しかし、彼には才がある。現にバルコの助言で、ハナリは術の行使に成功したではありませんか」


 そう、重要なのは結果である。ハナリの好き嫌い以前に、当人の霊術師としての才を引き出せるのは、レガではなくバルコなのだ。その事実は、シャオップとて認めざるを得ない筈だ。


「お願いです、陛下」

 不本意な顔を天井に向ける夫の耳元に、猫撫で声を吹き込む。贅肉を付けた腹部に腕を回し、毛深い腕に胸を押し当てる。最後の一押しは、お願いという体裁を整える必要があった。要求を通すには、男を立てるのが手っ取り早い。


「ま、いいだろう」


 やれやれとばかりの溜息混じりに、シャオップは容れた。上出来――――そう思いつつ、どこかで辟易としている自分に気付く。

 

 一体いつまで、こんな手が通用するだろう。十年先、二十年先の自分は、こうして夫と同衾どうきんしているのだろうか。萎れた花のように垂れた胸を押し当て、委縮した声帯から媚声きょうせいを絞り出して、ご機嫌取りに必死になっているだろうか。あるいは一人目の王妃よろしく、愛想を尽かされた年増として王宮を追放されているだろうか。


 惨めね、どっちにしたって。


 掛け布団の下の節くれ立った手が動き、胸を揉まれる。太い指に乳房を弄ばれ、身をよじったキーシャは、彼が求めているであろう声で応えた。

 夫婦の営みに覚える疲労感が、以前にも増して大きくなった気がする。出すものを出し、果てて寝息を立てる夫の傍ら、ぐったりして眠りに落ちた。


 目を覚ました時、窓から見える太陽はいつもより高かった。寝過した……と思いながら寝返りを打つ。そこにシャオップの姿はない。伸びをして、服を着るべく豪奢なベッドから出た。

 遅めの朝食を摂ったキーシャは、ダイニングルームを出てすぐ、薄桃色のガウンを着た娘に声を掛けられた。


「おはようございます、母上」

「おはよう、ハナリ」

「あの、父上には話してくれました?」


 霊術教師の件だろう。気になって仕方がないという心中が顔に現れていた。頷いたキーシャは、にこりと顔を綻ばせた。


「許して下さるって」

「それじゃあ……」

「バルコには私から話すわ。彼ならきっと受けてくれると思う」


 ぱっ、とハナリの顔に笑顔が咲いた。余程嬉しかったようだ。


「ありがとうございます、母上」

「あなた、すっかりバルコが気に入ったみたいね」

「母上が羨ましいです。私にも、あんな騎士様がいたら……」


 前で手を組んだハナリは、恥ずかしげに視線を下向けた。確かにバルコは、誠実で優しい上に腕の立つ美男子だ。頬を朱に染める我が子の、小さな胸の内に秘めた淡い想いを、キーシャは察した。


「バルコが聞いたら、きっと喜ぶわね」

「駄目! 言わないで下さい」

「どうして?」

「だって、その……。恥ずかしいし……」


 切り揃えた前髪に触れながら、訥々とハナリは言う。自分の初恋もこの頃だったかなと思うと、我が子の初々しさが愛おしかった。


「分かったわ。じゃあいつか、自分の口から伝えなさい」


 自分と同じ栗色の髪を撫でながら言う。ハナリは、はにかんで誤魔化した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る