7話 春期講習

 そんな日常から更に2週間後。

 朝雛あさひなの中学校で終業式が行われている頃、小学校では結唯ゆいが『仰げば尊し』を歌っていた。

 結唯は家に帰ると、着替えて準備をしてから、朝雛は学校からそのまま、塾へと向かう。


 春期講習が、遂に始まる。






「あっ……」


 結唯が塾に入ると、朝雛が居た。

 どうやら春期講習の日程について、塾長から謝られているらしい。気にしないでください、むしろ嬉しいです。と微笑む朝雛の横顔を見て、結唯の胸が高鳴る。


「あ、結唯くん!久しぶりだね」


「う、うん。久しぶり」


 朝雛が気付いて駆け寄ると、結唯は顔を赤くした。未だに、朝雛との対話には慣れないらしい。


「この後、同じ授業だよ。よろしくね」


「同じ授業?あ、うん。よろしく」


 個別指導じゃなかったっけ?と一瞬はてなを浮かべたが、講師と生徒が一対ニで教える事もあると、塾長に説明されたのを思い出した。


「もうすぐだし、移動しちゃおうか」


「うん」


 朝雛の後ろを歩いて、教室へと移動する。






「朝雛さんと佐宮さみやさん。……今日はよろしくな」


 先に教室で待っていた天野あまのは、二人で入って来たのを見て本当に仲が良さそうだな。と思いつつも、口には出さなかった。


「よろしくお願いします」


「よ、よろしく、お願いします」


「席は朝雛さんがこっちで佐宮さんがこっちね。まあ、逆でもいいんだけど」


 天野の左右に席があり、同時に教えられるようになっている。席順はどちらでも良いものの、毎回その場で決めると時間の無駄なので、時間割と共に決められている。


「少し早いけど始めても平気?」


「大丈夫ですよ」


「じゃあ、朝雛さんはこれをやってて。佐宮さんは、春期講習の間に小学校の内容を総復習する予定で、今日は算数だな」


 結唯も頷いたのを見て、天野は授業を始めた。朝雛にテストを渡し、結唯に解説をする。




「終わりました、天野先生」


 朝雛がテストを終えたタイミングで結唯への解説を中断して、確認の為に問題用紙を渡す。そして朝雛のテストを採点し、解説を始める。

 このようにする事で、二人同時であっても充実した授業内容にしているのだ。






 ――キーンコーンカーンコーン


「あ、時間か。朝雛さんは今やってるプリントで一旦終わりね。佐宮さんは、今の内容に質問は無い?」


「はい、無いです」


「なら、……これが宿題。今日の復習と、もう片方は英単語な。中学英語に備えて、春期講習の内に少しずつ覚えて貰う。次回からは授業の最初にテストをするから、そのつもりでよろしく」


「わかりました」


 結唯は、朝雛が言ってた事は本当だったんだ。と驚いていた。英語の授業では発音だけは良いものの、全体的に明言を避けていて、曖昧な点が多かった。しかし、今日の授業はとても分かり易かったのだ。

 天野の向こう側には朝雛が居たにも関わらず、授業に集中出来ていたのはそれが理由だろう。


「結唯くん。この後って、暇?」


「うん、何もないよ」


「そしたら、自習室で待ってて欲しいな。私はまだ授業なんだけど、友達が結唯くんに会いたいんだって。三十分もしない内に来る筈だから」


 杏子あんずとしては今日で無くとも良かったのだが、朝雛は、結唯を引き留める為の口実に使った。

 杏子はそれを理解しつつも、朝雛が人に興味を示すのは珍しかったので、何も言わなかった。


「う、うん。わかった」


 そんな裏の事情を知らない結唯は、誰が来るんだろう。とそわそわしながら自習室で宿題を進める事にした。






「おー、君が結唯くんかなー?」


「そ、そう、です」


 結唯が宿題を進めていると、杏子が自習室に入って来た。顔を上げて、辿々しく返す。


「ふむふむ。ひなちぃから聞いてるかもしれないけど、私は水落みずおち杏子だよー。よろしくね」


 杏子はうん、確かに可愛い。と思いながらも、子供扱いを嫌がっていた事を聞いていたので、胸の内に留める。


「よろし……」


「ん?どした?」


 杏子の第一印象は、背が高い。だった。そして顔を見て可愛いと思い、視線を下げた時に固まった。


 コートの上からでも分かる、大きな膨らみ。


 結唯は異性の胸を意識して間もない上に、身の回りには年上の異性自体が少ない。余りにも刺激が強すぎた。全身が石のように硬直してしまい、


 ――コロン


 鉛筆が転がり落ちる。


「ちょっ、だいじょーぶ?!」


 杏子は何が起きたのかと一瞬混乱したものの、赤く染まった結唯の顔を見て、杏子はホッとした。


「ふふっ、なーんだ。心配して損した」


 学年が上がるに連れて、明らかに胸へと向けられる視線を煩わしく思っていたが、結唯のそれには不快感が無かった。

 むしろ、この程度で照れていて可愛いとすら思える。


「んー、でも、どーしよ」


 それはそうと困った。このまま朝雛が来れば、何かしら誤解を招く気がする。たが、結唯が固まった原因を考えれば、杏子が何をしても逆効果にしかならないだろう。


 うん。ま、いーか。


 杏子は持ち前の楽観思考を発揮して、結唯を放置する事にした。

 床に落ちた鉛筆を拾い、机に置くと、結唯の隣に座ってスマホを取り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る