第6話

 塩之崎の紋四郎宅へ「此度も世話になる」と伝えると、紋四郎がにこりともしないで出迎えた。庭先には城之内の番所と同様に、侍とは名ばかりの農兵が集められている。だが、どの農民の顔も市之進は知っていた。代官だから普段は年貢の取り立ても行ったし、彼らの家で慶事や弔事があれば、呼ばれることもあったからだ。

 彼らを置いて、二本松に逃げ帰るような真似をしてはならない。そのような真似をすれば末代まで彼らから恨まれるだろうし、恥である。

「お帰りなさいませ、笠間様」

 紋四郎が、一同を代表して頭を下げた。

「今しがた、澤井様もお見えになりました」

「澤井殿が……」

 紋四郎の言う「澤井様」というのは、澤井銀右衛門のことに違いなかった。今は六番隊に所属し、与兵衛の隊の探索役を務めていたはずである。

 慌ただしく根本家の居間に回ると、確かにその縁側に見覚えのある顔があった。上がる暇も惜しんで、市之進の帰りを待ちわびていたと見える。

「笠間殿。お待ち申しておりました」

 澤井の声は、緊張を孕んでいた。

「三春で上田清左衛門様や岡左一様にもご報告したが、やはり三春の情勢が不穏。城下を歩く者の中に、西方の訛りらしき言葉で話す者が、多数紛れ込んでおる」

「やはり、そうでござるか」

 市之進も、三春の「奥羽列藩同盟加盟」は周辺諸藩を欺く芝居ではないのではないか、と疑っていた。糠沢は二本松藩の領地の中でも、とりわけ三春藩に近い。三春藩の若手の一部が勤皇党に傾倒しており、四年前の常州争乱の折にも、水戸の天狗党の一派を匿っているという噂は市之進も耳にしていた。確かあのとき匿われていたというのは、西丸さいまるとか変わった苗字の男だったか。さらに、確かな裏付けは取れていないが、その西丸の親戚筋が三春にあり、西丸に傾倒した河野という三春藩の商家上がりの若造が、本来ならば天狗党の西上に加わるはずだったというのである。刀の研ぎの仕上げが間に合わず、河野は天狗党西上に加わることができなかったというのであるが、いっそ西上に間に合っていれば良かったのにと、その報告を苦々しく聞いたのは、つい先年のことだった。

「それと……」

 澤井は、しばし言い淀んだ。

「遠慮せずに、申されよ」

 焦れて、市之進は話の先を促した。やがて、澤井は思い切ったように顔を上げた。

「土地の者も暗闇の中とてはきとは見えなかったが、どうも蓬田よもぎだ田母神たぼがみで、大勢の人の気配がすると申しておる」

 顔色が変わるのが、自分でもわかった。守山を通り三坂みさかの方へ南下すると、平とは別に、内郷うちごう湯長谷ゆながやに抜ける街道がある。もう、どの方面から西軍が迫ってもおかしくないのだった。澤井の情報が正しいとすれば、守山に西軍が差し向けられたという部隊は、三春に駐留している同盟軍を移動させるための囮だ。いわば陽動作戦である。西軍は、兵力の消耗を避けるために同盟軍との正面衝突を回避し、三春から攻めてくるつもりかもしれない。西軍は元より三春に過分な期待をしているわけではないのだろう。ただ、黙って庭先を通過させてくれれば十分。それくらいにしか考えていないに違いない。

 恐らく須賀川や郡山にいる本隊は、糠沢や小野の与兵衛を救うのには間に合わない。

 しばし息を止めたが、そろそろと息を吐き出し、市之進は澤井に告げた。

「承知した。その旨、すぐに城之内にも知らされよ」

「御免」

 少し頭を下げると、澤井は馬に跨って駆け出した。きっと、一両日中にこの土地は戦場にになる。すぐに下知にかからなけらばならない。

「根本殿。聞いておったな」

 市之進は、一同よりも一歩分近くに佇んでいる紋四郎をきっかりと見据えた。対峙する紋四郎の顔にも、恐怖の色が浮かんでいる。

「小野が先か、石川からの部隊が先か。もしくは合流してくるつもりか……。いずれかはわからぬが、誰何して怪しい者がおれば、ただちに斬って捨てるよう、皆にも申し伝える」

 命令の過激さとは裏腹に、どこか丁寧な物言いの癖が抜けない自分を滑稽に思いながら、市之進は命令を下した。自分の柄ではないが、やはりこれも武士の習いというものなのだろう。

「ですが、笠間様……」

 日頃の温厚な市之進とは思えない過激な命令に、紋四郎も戸惑ったのだろう。抵抗の姿勢を見せた。

「このように想像してみよ。この土地が西国の賊共に陵辱され、妻や子を犯されても良いのか。奴らが味を占めれば、永久にしゃぶり尽くされるぞ」

 言いながら、唇が寒くなった。だが、「官軍」という言葉はそれくらいの魔力を秘めている。四年前に「官軍」の側に立った市之進は、それをよく知っていた。あの時二本松と共に戦った諸生党の人間は、その後二本松軍が眉を顰めるほど残忍に、天狗党の面々を虐げたと聞く。

 庭先に集まった若者たちの顔が、引き締まっていく。「冗談じゃない」「そんなこと、許してたまるものか」というざわめきが、あちこちで上がり始めた。そこにあるのは、男児として生まれたからには、守るべきものは命を賭してでも守らなければならないという、男の意地だ。

 市之進自身も命令を下すほどに、武士としての自分が顔を覗かせる。そこには、昨夜、今生の別れを惜しんだ温厚な男の姿はない。

「何も、そなたたちだけを戦わせるわけではない」

 市之進は、微かに笑ってみせた。

「当然、私も戦うぞ。武士に二言はない」

 その言葉に、紋四郎が頭を下げた。つられて、他の男たちも頭を下げる。

 勿論、その言葉は市之進の死を意味している。だが、米沢から戻って糠沢組の代官になってから、この土地の者たちと馴染み、時には共に笑い、時には共に泣いてきた。その期間は決して長いものではなかったが、自分なりに民を慈しみ守ってきたつもりである。そして、幸か不幸か、自分の代わりが務まる者は二本松にはまだまだいることを、市之進はよく知っていた。それでも、武士としての一分がある。せめて土地の者に、「自分たちのために戦ってくれた御代官様」として、笠間市之進の名を彼らの記憶に残してもらっても、罰は当たるまい。

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