第7話
小野で警戒に当たっていた大谷与兵衛が率いる六番隊が急襲されたという知らせが入ったのは、翌日の早朝だった。既に小野の六、七里先にある三坂まで西軍が進発してきており、三、四〇〇人ほどの西軍兵に小野の陣地が急襲されたという。六番隊は二〇〇名ほどいたはずだがほぼ潰走し、隊の一部は本宮方面へ向かい、また別の部隊は北部の小浜方面へ向かった。そのまま二本松に戻り捲土重来を図るつもりらしい。また、小野赤沼の番兵であった
「三春狐め」
呟く栗生の声には、苦々しさが混じっていた。三春と二本松は縁が深い。普通に人馬が行き来するし、双方の縁組も珍しいものではない。二本松藩とは兄弟のようなものであるが、三春の土地の人間は二本松領の地理にも通じている。相手方は小藩とはいえ、敵に通じたとなればこれほど恐ろしい相手はいなかった。警戒はしていたが、どこかで血を分けた弟分が裏切るとは信じ難い思いもあった。今までの親愛の情が深かった分だけ、憎しみも募る。
二ツ橋から横田も馬を飛ばしてやってきた。
「小兵なりとも今から三春に繰り込み、狐共の寝首を一つでも多く掻こうではないか」
横田の目も、釣り上がっている。三春舞鶴城下へつながる最短の道が通っているのは塩之崎の方である。そのため、共に力を合わせて三春に繰り込もうという心積りなのだろう。
横田の勢いに釣られて、市之進は思わず肯きかけたが、庭の片隅で小さくなっている農兵の善作や林右衛門の姿が、目に入った。彼らの手には竹槍が握られていて、身を震わせている。無理もない。生まれて初めて、人を殺せと命じられているのだから。
それに今、士分格の者らが一時の感情に身を委ねてこの地を離れたら、誰がこの地を守るのか。
「いや。ここは樽井様の御下知を仰ぐべきであろう」
三人は再び城之内の登那木家に馬を走らせた。既に、こちらにも「三春背反」の知らせは伝えられていたと見え、兵卒らが右往左往している。その中には、まだ番入り前と思われる少年の姿も幾人かあった。
「樽井様。三春に攻め入りましょう」
いきり立つ栗生に対して、弥五右衛門は首を横に振った。だがさすがに、その顔は強張っている。
「先程、郡山から伝令が参った。郡山及び須賀川におる本隊も、二本松に引き揚げてくる。それまでどうにか我らで食い止めよ、との由」
郡山からということは、軍事総裁である丹波からの早馬だろう。まずは自分たちが三春から二本松を伺う西軍を食い止めなければ、本隊が到着する前に二本松が蹂躙される。
「早過ぎる」
苦々し気に呟かれた弥五右衛門の言葉に、三人は顔を見合わせた。確かに、漠然と死を覚悟していたが、本音を言えば、数刻を争うほどの事態急変は予想外だった。
「この分であれば、夜襲もありえましょうか」
この場において、実戦経験があるのは市之進だけだった。だがその経験の分だけ、戦の予想はさほど当てにならないというのも、市之進は身を持って知っている。戦の予想には、しばしば希望的観測や願望が混じりがちだからだ。
「そうだな。あり得るかもしれぬ」
弥五右衛門も、市之進の言葉に重々しく肯いた。弥五右衛門や市之進の言葉を聞いた横田も覚悟を決めたか、目を閉じた。
「一方からではなく、多方面から同時に攻め入るというのも考えられますな」
横田が守る二ツ橋は、三春領北成田に接している。そちらから西に向かえば小野方面に抜けられるし、北へ向かえば小浜や飯野へ抜ける要衝でもあった。いずれにせよ、西軍についての十分な探索を出す兵の余裕もないのだ。戦う以外に、自分たちにできることはないではないか。
そして横田は目を開くと、片頬だけで笑ってみせた。
「これもまた、武士としての晴れ舞台というものでしょう」
時代錯誤とも言えるその台詞に、弥五右衛門もニヤリと笑った。番頭である彼は、易易とは死ねない。最後まで指揮を取る役割を任されているからだ。だが、市之進らは違う。上役や公を守るための死兵となるのが、その役目だ。
「では、それがしは二ツ橋に戻ります。御免」
横田はひらりと身を翻し馬に跨ったかと思うと、つむじ風のように去っていった。もはや生きて会うことはあるまい。市之進や栗生と、どちらが先に死ぬかはわからないが。
「我々も、塩之崎へ戻ります」
市之進は、先程まで頭を占めていた三春への討入りの計画を追い払い、落ち着いた声で弥五右衛門に返答した。
「笠間市之進、栗生庄司」
馬の手綱を取りかけていた二人は、咄嗟に手綱を手放し、片膝を地面について拝命した。
「叶うならば、共に二本松で戦おうぞ」
弥五右衛門の言葉に、二人は黙って笑みを返しただけだった。
塩之崎の紋四郎宅に戻ると、既に昼餉の支度が整えられていた。麦飯に里芋を煮付けたもの、そして干し菜の味噌汁が添えられている。
「概況は?」
市之進が紋四郎に尋ねると、彼は首を振ってみせた。
「邑の者らを五人ずつの組に分けて、見張りに当たらせております。一刻ごとに交代させるという約束で」
「ふむ……」
市之進は、糠沢の地理を脳裏に描いた。二ツ橋の方には、既に横田が向かっている。そちらからは、東に向かって嶽山を迂回するように二本の道が延びている。さらに、この根本宅のある場所は長稲場館とも呼ばれ、二本松藩の入植以前に古豪の館としても使われていた高台となっている。そこから南に道を取れば、三春城下へ通じていた。殲滅は免れないだろうが、この地形であれば少しは抵抗を見せられるだろうか。
「この屋敷のある丘の上から西の賊徒共を目掛けて撃ちかければ、俄侍の火縄でも多少は効果を上げられよう」
栗生が、皮肉っぽく笑った。市之進も苦笑いをするしかない。栗生の言葉が意味しているところは、二つあった。一つには、二本松藩の侍の間では未だに「鉄砲は下級身分の者らが使うもの。武士の本分は刀槍にあり」と考える者がいること。そして、火縄銃そのものの命中率もさほど良くなく、十分に敵を引きつけてからでなければその効果を発揮できない。だが、数では圧倒的に西軍が勝っているだろうから、いずれにせよ、華々しく討死して武士の意地を見せるくらいしか、二本松の藩士にはできないのだった。
栗生の心中は、いずれなのだろう。その表情からは、本心が伺えなかった。
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