恋するサラマンダーは焔の夢をみる

新門 暁

暁光

 運命、というものを信じるだろうか。

 うん、まぁこの世界では大抵信じるといった者ばかりだ。天界メソン・エーマルにいる天使族が奇跡とかいう力を使えるから、寧ろ信じない方が可笑しい。

 かくいう私は、変わり者に分類される信じていない側だったが。というより、自分が生きている人界デイレー以外に世界があるということを信じていなかったし、人族以外に種族がいるということも信じていなかった。

 いや、信じていなかったというよりは、知らなかったと言った方が正しいかもしれない。生きる為に必要な最低限の知識しか与えられていなかった私は、外の世界や他の種族というものを知らなかったのだ。

 さて、ここで少し私の話をしよう。

 私は生まれてすぐ両親に捨てられた。理由は忌むべき対象である赤髪だったから。赤髪の子が居る家は不幸になるだとか、火事になるだとか、ちゃんとした謂れいわれなどは知らない。しかし炎の様であり血の様である鮮やかな赤髪は、泣くことしか知らない私を教会に置いていくには十分すぎる理由だった。

 教会では一応育てられはしたものの、それはそれは酷い扱いだった。特別に与えられた個室という名の暗い物置部屋、明らかに他の孤児達とは違う余り物のような食事、ボロボロの衣類に毛布に日用品。シスター達にも、同じ境遇である筈の孤児達にも毎日のように虐められた。髪の塗料を落としてやると頭から水を掛けられることなんて当たり前、足を掛けられて食事をひっくり返すことも、雑巾を投げられることもあった。子ども達に読み書きを教える時間には部屋から出てはいけないと言われ、埃っぽい自室で何をするでもなく過ごした。

 そして当たり前だが誰も触りたがらない為、髪はどんどん伸びていく。枝毛だらけの毛先が膝下に到達した頃、耐えられなくなったシスターに不吉な髪を伸ばすなと言われて、錆び付いた大きなハサミを投げ渡された。その為長い髪は駄目なのだと考え、肩につかない程度に短く切ったのだが、当然手に合わない大きさの錆びたハサミで上手く切ることなんて出来ないので、何度切っても髪先はずっとガタガタのバラバラだった。

 少し成長して物事の判別がつくようになってくると、虐めはどんどんエスカレートしていった。雑巾が石に変わり、食事はひっくり返される所か残飯をぶち込まれるようになり、物置部屋についていた小さな窓は塞がれて暗闇で過ごすことを余儀なくされた。

 こんな日々の中、逃げるだとか死ぬだとかの選択肢が私の中に無かったのは、これが私にとっての普通だったからだ。虐められて、痛くて、お腹が空いているのが普通。生かさず殺さずの生活の中、したいことなんて一度も考えたことがなかった。

 その日は、光の入らない自室に無理矢理閉じ込められていた。お前がいるとマツリが穢れる、といつもと違う服を着た子ども達にゴミの様に足蹴にされながら、暗闇に押し込められて鍵を掛けられた。

 マツリというのがある時は、一日中こうして必ず閉じ込められる。何をしているのか知らないまま、外から微かに聞こえてくる楽しそうな音に耳をすませるのが、この日の決まった過ごし方だった。

 ふと、ドッ、という低い地響きの様な音が遠くで聞こえた気がした。聞いたことの無い音に首を傾げていると、その音はどんどん増えていき、あっという間に阿鼻叫喚がくぐもって轟き始めた。金属が擦れる耳障りな音、部屋が震えるような爆発音、老若男女の絶叫、肉を勢いよくフォークで刺した時の様な音、聞くに堪えない轟音が外で何かが起きていることをありありと物語っていた。

 本能的に死にたくないと声を張り上げ扉を叩くが、私の発する音は外の音に全て掻き消されていく。普段大声を上げないせいで、喉奥から血の味がする。どうにか扉を壊してやろうと試みるも、他の子どもよりも弱くて小さい体では無駄な足掻きだった。

 ガラスが粉々に砕ける音が礼拝堂の方向からしたと思った次の瞬間、大絶叫が教会内にこだました。私を嘲笑していた子ども達とシスター達の甲高い声は、人間のものとは思えないような叫び声を発している。逃げ惑う足音が離れた物置部屋まで聞こえてきた。それを聞いて、死が目と鼻の先まで迫っていることを肌で感じ取ったのとほぼ同時、大きな衝撃が全身を襲い、私は扉と一緒に反対の壁まで吹き飛んだ。

 恐らく、気を失ってから数十秒程で私は目を覚ました。置かれていた荷物がクッションになったおかげで、大きな怪我をしなかったらしい。痛む体とぐらぐらする頭を動かして上に乗っていた扉の残骸を退けると、真っ暗だった筈の部屋から雲一つ無い青空が見えていた。


「何だよ、一匹取り逃していやがった」


 何が起きたのか頭が追い付いていなくて空を見上げていると、先程まで扉があった方から声が聞こえた。まだ半分呆けたままそちらに目をやると、真っ赤な鎧に身を包んだひとが大きな武器を肩に担いで立っていた。大人のシスターよりもはるかに大きいそのひとの目は、黒の中に金色の瞳が浮かんでいて、後ろに撫で付けられた短い髪は夕陽色だ。額からは金色の大きな角みたいなものが伸びており、陽が反射して光っていた。その角みたいなものや端正な顔には、返り血であろうものが点々と付着している。

 突然現れたそのひとに釘付けになっていると、鎧を鳴らしながらそのひとが大股で近付いてきた。一歩踏み出す度、赤い鎧が溶け出す様に返り血が床へ落ちていく。頭の隅で殺されるかもしれないと思いながらも、ぼぅっとそのひとを見上げたまま瞬きを数度繰り返した。人ではないことが一目で分かる体躯と眼をしたそのひとは、鎧と同じ赤色の動物型の口面、耳には大きな金色のリングピアスをつけている。鎧の真ん中についている大きな赤い宝石が、日光を吸収して薄く光っていた。

 大きな大きな武器を床に一度打ち鳴らしたそのひとが、私の目の前でしゃがみ込んで頬に手を添えてきた。その武器すら使わないで殺されるのか。せめて痛みすら感じない程に早く息の根を止めてくれたらと思い、体の力を抜いた。


「綺麗な髪してんな」


 さら、と頬に添えられていた手が髪を一房掬い上げる。何が起きたのか分からなくて固まったままでいると、切り方はガタガタで汚ねぇけど、と言葉が付け足された。口元は分からないものの、細められた目とくぐもったくつくつという音から、このひとが笑っているということが分かる。


「目を引く綺麗な血色だ。このままにしとくのは勿体無ぇ、整えたらもっと綺麗になるぜ。将来有望だなァクソガキ」


 掬っていた髪を離し、私の頭を軽々と包めてしまう大きな手でわしわしと撫でてくれる。鎧を纏っている手は冷たい筈なのにとても温かく、くわんくわんと反響している様な低い声も不思議と耳馴染みが良かった。

 そのひとが私の頭から手を離して立ち上がるのとほぼ同時、背後から声が聞こえた。


「何してんすかアレウス様、それ人の子どもっすよね」

「おう、可愛いだろ」

「アレウス様に可愛いとか思う感情あったんすね。……ま、確かにキレーな赤髪してます」


 神父様が着るカソックの上から大きなローブを着ているひとは、ローブの影から赤い瞳をこちらに向ける。このひとも黒いマスクをつけていて口元の表情は分からないものの、今までずっと向けられてきた侮蔑の視線ではないことは理解できた。


「もう気は済んだっすか。まだ暴れ足りないとか言われても、ここらに居る人はその子どもだけっすからね」

「いや十分だ。聞けグリム、この教会に居たガキの首を一度に十は撥ねたぞ」

「そりゃあ良かったっすけど、この子どもも教会のやつじゃないんすか。ンなこと聞いたら精神病んじまうんじゃ……」


 撥ねた。首を。一度に。教会に居たガキ。

 教会に居た人が残らず死んだのかと問う私の小さな声に、大きな人達はびっくりしたみたいに目を丸くしてから顔を見合わせた。それから赤色のひとは薄く目を細めて、高い高い位置から私を見下ろした。


「おう、死んだぜ。お前以外全員。一緒ンとこに行きてぇか?」


 ふるふると弱く首を振れば、また頭を撫でられる。


「じゃあ何処でも好きなとこに行っちまいな。もっとも、チビのお前じゃすぐ死んじまいそうだがな」


 じゃあなクソガキ、と言いながら武器を担いだ赤くて大きいひとは、先を歩いているローブのひとについて何処かへ行ってしまった。

 教会だった残骸と血なまぐさい臭いと焦げるような臭いの中に残されたのは、真っ青な空と赤い髪のちっぽけな私。人の声はおろか、鳥や虫の声すら聞こえない空間の中、私の心臓だけが大きく脈打っていた。


「……あれ、うす、アレウス……アレウス、様……」


 顔に熱が集まる感覚。血液が物凄い勢いで体中を駆け巡っている。走った後みたいに激しく動く心臓に、自然と息が荒くなった。

 初めて優しく頭や頬に触れてくれた。初めて嘲笑以外の笑みを向けてくれた。初めて忌み嫌われた髪を美しいと言ってくれた。私を虐げてきた人達を一人残らず始末してくれただけではなく、居てはならない存在である筈の私を肯定してくれた。

 感じたことの無い形容し難い感覚に、私は生まれて初めて心の底から大きな声で笑った。

 推定九歳、赤髪の忌み子──私ことトラキアはこの瞬間、アレウスというひとに一生を捧げることを決めたのだった。

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