第36話

「師匠は神を見たことがないっていってましたけど……神々が亡くなった頃には神都の近くから離れていたということですか?」

「眠っていたのだ」

「え?」


 アンドレアの疑問に答えたのはイヴではなく、ホワライだった。


「眠っていたって……」

「イヴはあの子供に呪いをかけられたあと、およそ三百年ほどに渡り深い眠りについていた。だからその三百年の間に起きたことを知らぬのだろう」

「そうなんですか?」


 アンドレアが問いかけると、イヴはゆっくりと頷いた。


「たしかに私は呪いをかけられたあと、長い時を眠っていたらしい。だからその期間のことは目が覚めたあとに他の人に聞いた話でしか知らないんだ」

「そうだったんですか」

「……本当にやつらは死んだのか?」

「ああ。オレは最後までここに残っていたから知っている。おまえが長き時を眠っていたことも、その間におまえの故郷がなくなったこともすべて」

「っ!」


 ホワライの言葉にイヴは下唇を噛むと俯いてしまった。

 アンドレアはなんて励ませば良いかわからず、ぱくぱくと口を開いては閉じ、また開いては閉じることしかできなかった。

 なにも、言葉が思いつかない。


「では私に呪いをかけたやつも、そいつを産んだ神も死んでいなくなってしまったんだな」

「その通りだ。だが悲観することはない」

「なぜ」

「神々は死んだ。だが姿を変え、今も生きている」

「……なんだって?」


 イヴは顔を上げた。意味がわからないといった表情をしている。もちろんアンドレアも死んだと言ったかと思えば生きているなどと言われて絶賛混乱中だ。


「神は一度死んだ。理由はすべて異なる。新しい人生を楽しみたいと自ら転生したものや、オレと同じように魔力切れが原因で死んだ神もいる。理由はさまざまだが、これはたしかだと言えることが一つ。それは元々神だった者は、確実にその魂のまま生まれ変わっている」

「つまり……私に呪いをかけたあの男は」

「あいつが生まれ変わることはない。新たな姿で新たな人生を謳歌しているのは七柱の神々だけだ。しかし面倒くさいのはその生まれ変わりの神々が、自身の前世が神であったことを覚えていない場合があるということだ。七柱のうち五柱ほどは覚えているんだがな」

「なら、私に呪いをかけたあの男を産んだ神の生まれ変わりに会うことができたら」

「ああ、そいつならその呪いを解くことができるかもしれん」

「っ!」


 イヴの呪いについて重要なヒントを得られた。

 神の使いである使い魔ですらイヴの呪いを解くことはできない。しかしイヴに呪いをかけた男を産んだ女神になら、イヴの呪いを解く力があるかもしれないと、わからないことだけがわかっている状態からかなり前進することができた。


「そうか、そうか! それは良い話を聞いた! ありがとうホワライくん!」

「オレにもちゃんとした名はあるのだが」

「教えてくれなかったのはきみの方じゃないか。ならあだ名で呼ぶしかあるまい?」

「師匠はこういうひとなんで諦めたほうが良いですよ」

「……わかっている。こやつは昔からなにも変わらないな」

「一緒にいて結構楽しいですけどね」

「アンドレアの精神の強さにもオレは驚いている」


 使い魔ですら、イヴの呪いは解けなくても。それでも前進できたと喜ぶ師匠の姿にアンドレアは口角を上げた。

 目の前ではしゃぐ少女が楽しそうならば、案外不思議な事件に巻き込まれても良いのかもしれない。

 やはり旅は楽しんでこそだろう。


「そろそろ夜が明けるな」


 ホワライの言葉通り、空が明るんできた。暗闇は徐々に光に塗れ、朝日を浴びて人々は活動を開始するのだろう。


「では私たちは帰るとするか。ホワライくんはここに残るんだろう?」

「ああ……待て、客が来たようだぞ」

「え?」


 一度頷いたホワライは、眉を顰めるとアンドレアを咥えて後ろに一歩飛び下がった。

 急な展開にアンドレアの思考が止まる。

 先程までアンドレアが腰掛けていた大木が、真っ二つに切られていた。


「ど、どういう……っ!」


 現状を理解しようと頭の回転を始めたとき、目の前にイタチが姿を現した。これがただのイタチではないことは簡単に理解できた。

 考えなくても、体長二メートルをゆうに超えるイタチが普通なわけがあるまい。

 魔獣ですらここまで大きくはならないだろうというサイズのイタチは興奮しているのか、息が荒く凶暴そうな爪を遠慮なくアンドレアに向かって振り下ろした。


「ガルゥ!」

「助かった!」


 ホワライはアンドレアを咥えて飛び跳ねる。おかげでイタチの攻撃がアンドレアに当たることはなかったが、すぐに第二弾の攻撃がやってきた。


「私を無視して弟子ばかり狙うとは良い度胸じゃないか」

「キー!」


 イタチがアンドレアばかりを狙うので、イタチの視界から消えていたイヴが箒に乗って上空から反撃していた。


「やめろ」

「山の中での殺生は禁止なんて言われても知らないからな。向こうから襲ってきたんだ」


 ホワライに止められても、イヴは反撃の手を止めなかった。

 シヴィに山での殺生は禁止されていると聞いたが、たしかに今は反撃しなければこちらが殺されてしまうのでそんなこと気にしている場合ではない。


「違う、これはアンドレアとオレが相手をしなければいけない場面だ」

「は?」


 ホワライの言葉に首を傾げたイヴだったが、チッと舌打ちすると反撃の手を止めて箒に乗ったままさらに上空に上がった。

 ホワライの言う通り手を出すのは止めることにしたらしい。


「オレたち、いやおまえは試されている。やってしまえ。なに、遠慮はいらない」

「急な戦闘とか聞いてない! けどこれが旅!」

「本来なら違うがな」


 アンドレアはカバンからチョークを取り出すと、その辺に転がっていた太めの枝を取って文様を描いていく。

 その間もイタチの攻撃は止まらないが、図体が大きい分、振りが大きくて攻撃のパターンがわかりやすい。よく見ていれば回避は可能だ。


「ほっと」


 ジャンプして足元を攫う爪を飛び越えた。

 乙女の涙のかけらを砕いて混ぜたチョークは青い色。枝に書かれた文様も青く、魔力を流すことで青く光った。


「さすがにまだ師匠みたいに属性付与まではできないけど!」


 ホワライの背中に乗ると、ホワライは枝を飛び移り木のてっぺんまで登った。そこにイタチの凶暴な爪が振り下ろされる。


「よっと」


 アンドレアはホワライの背中を蹴り、上空と飛ぶ。もちろん飛行などできないので、飛び上がったらあとは重力に任せて地面に向かって落ちるだけだ。

 しかし、


「おっらぁぁぁ!」


 重力がアンドレアの体を地面へと引き寄せるときに、思いっきり文様を描いた枝でイタチの頭を打つ。


「キィィィィ!」


 血などは出ていないが相当痛かったらしく、イタチは悲鳴をあげるとどすどすと山の向こう側へと走り去っていってしまった。

 いくらアンドレアが殴りかかった上に、重力が手助けしてくれたとはいえ、普通ならあのサイズのイタチを一撃でおとなしくさせられるほどの打撃は与えられなかっただろう。

 それができたのは魔術で枝の硬度を上げ、物理的な攻撃力を上げたからだ。おかげでイタチを殴った枝はいまだに折れていない。魔術を上手く使えたからだろう。


「あとは……」


 落ちるだけだ。

 ひゅるると音をたてながら、アンドレアの体が地面に向かって落下していく。

 少し上に視線を向ければ、そこには雲一つない綺麗な空が広がっていた。

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