第25話

 野生動物がこちらに殺意を向けているのと同じ気配を漂わせて、ヒュッと魔植物の木の根がアンドレアの頬をかすった。


「うっわぁ……」


 アンドレアは軽く肌が切れて血が流れた頬を押さえて一歩後ろに下がった。

 たいした怪我ではないが、根の動きが想像より素早い。


「この植物に人間のような知性はない。ただ自身に近づく生き物を敵だと見做して攻撃しているだけだ」

「つまり俺たちはこの植物にとって敵だと判断されたと」

「ああ。そしてアンドレア、きみがあれを倒すんだ」

「なんで⁉︎」


 相手が人であれ、魔植物であれ、まだまだ見習いのアンドレアよりもイヴが戦った方が良いに決まっている。しかしイヴはアンドレアに戦うように指示した。もちろん不満の言葉を漏らすアンドレアだったが、イヴは聞く耳を持ってはくれない。


「さぁ、剣を取れ! そしてあんな木如き、叩き切ってしまい給え!」

「いや、俺はいちおう魔術師なのでは⁉︎」

「なぁに、私の弟子ならばこれくらいできるさ。大丈夫、補佐は私がやるからね」

「はぁぁぁ⁉︎」


 アンドレアは困惑しながらも、イヴから貸し出されていた剣を握りしめた。

 改めて魔植物と向き合ってみるが、やはり大きい。剣術に精通しているわけではないアンドレアが斬りかかったところでうねる根っこに邪魔され、運よく木本体に剣先を当てることができてもかすり傷程度のダメージしか負わせられないだろう。


「ここで授業だ。この周囲の土地に溜まった魔力はあの木に大量に吸われている。それでもなお溢れた魔力がそこいらの木を腐食させているのだが、それはまぁ置いておいていいとして。あの魔力を蓄えた魔植物を倒すにはどうするべきだと思う?」

「急にそんなこと聞かれてもぉっと!」


 ビシッと指をたててアンドレアに問題を出したイヴに返事をしたいのはやまやまだが、目の前の魔植物が根っこをヒュンヒュンとうねらせて襲ってくるのでまともに考えられない。

 アンドレアは生き物のように自由自在に動き回る木の根を避けて、時折その根を切り落としながらイヴの問題の答えを解こうと必死で思考を巡らせる。


「ああ、もう! 木だから燃やしちゃえばいいんじゃないですか⁉︎」


 しかし遠慮もなにもなく襲いかかってくる根をあしらいながらの思案は難しい。アンドレアは率直に思ったことを言った。


「残念、ここが山の中でなければいい線いっていたよ」

「じゃあどうすればいいんですか? 俺にはあんなぶっとい木、切り落とす力なんてありませんけど!」

「うぅん、もう少し自分で考えて欲しかったが……まぁ、しかたがない。答えは簡単だよ。山の中で火を使えば魔植物以外の木も燃えてしまうという理由から火を使えない。ならば他の木に当たらないようにあの魔植物にだけ火を使えばいい」


 にっと笑ってイヴは魔植物に狙いを定められているアンドレアを指さした。もう少し具体的に言うと、アンドレアの持つその剣を指さしていた。


「つまり?」

「属性付与だ。その剣はそんじょそこいらの剣ではないからね。私が触れなくても魔術を使えるようにしているから」


 そう言ったイヴの雰囲気が変わる。イヴが魔術を使う気配と、握りしめた剣が少し光を帯び始めたのをアンドレアは感じた。


「その剣に炎の属性を付け加えた。植物は火に弱い。叩き斬ると同時に火でダメージを与える」

「あとは俺がこの剣をあの木に当てられるかどうか、ってことですか」


 ぐっと剣を握りしめたアンドレアの口角が上がる。

 運動が苦手なわけではないが、剣術や武術をできるわけではない。だが今まで感じたことのない体験に、アンドレアの口角は無意識的に上がっていた。

 剣を使って敵を倒す。まるで小さい頃に見た絵本のようでなかなか面白いじゃないか。やはりイヴといると退屈な旅なんてものはありえない。

 今まで体験したことのないような、愉快な旅路が待っている。魔術、剣、魔植物。普通に生きていくうえでは関わる必要のないもの。関わるはずがなかったもの。それが今、目の前にたしかに存在している。


「俺もまだまだ子供っすねぇ!」


 アンドレアに向かって飛んできた根っこを切り落とす。

 それは先程までよりも弱い力で切り落とすことができた。おそらく剣に炎の属性が付与されたからだろう。


「はっ」


 心躍る冒険。なんて呪いを解くために何千年も旅を続けているイヴに言ったら失礼だろうか。しかし今のアンドレアは未知の生き物に対する恐怖心よりも、初めての体験にワクワクが止まらなかった。

 素早い木の根の動きにも慣れてきた。本体である大木はその場からは動けないのだろう。木の根を操って襲いかかってはくるが、逃げる様子はない。

 アンドレアが、一歩踏み込む。


「やってしまえ、アンドレア! 私はそろそろお腹空いてきたぞ!」

「緊張感無さすぎ!」


 なんてマイペースな師匠なのだろうか。そうそう出会うことのない魔植物と戦う弟子の後方で野次を飛ばすとは。

 良くも悪くもいつもとなんら変わらないイヴの姿にアンドレアは笑みをこぼすと、魔植物の懐まで一気に駆け抜けてその大木を力強く叩き切った。

 ジュ、と木が焼ける音がして、うねうねと空中に漂っていた根がボトボトと重力に逆らえずに地面に叩きつけられていく。

 そして最後にはぴくりとも動かなくなった。


「よし、良くやったな。あとのことは警察に任せて、私たちは昼食にしよう」

「いや、その意見に反対はしませんけど、ちゃんと説明してくださいね……?」


 アンドレアが先程切ったのは魔力を溜め込んだ魔植物。それが人を襲っていて、狩人たちが行方不明になったのもその魔植物が操る木の根に攫われたからだというのは理解できていた。

 しかし逆を言うとそれ以外なにも理解できない。状況が状況だったので、アンドレアもその場での追及こそしなかったが、今考えてみても魔力を溜め込んだ植物が魔植物となって人に襲いかかってくる意味がわからない。


「それ、食べながらでいい?」

「はぁ……まぁ、いいですけど」


 イヴはマイペースに、箒に跨ると後ろにアンドレアを乗せて町に戻った。

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