第8話
カフェで小腹を満たし、王都を練り歩く。
「王都になんの用があるんですか?」
「買い物だ」
イヴの旅先に選ばれることが多いのは辺境の村や小さな町が多い。イヴと二人で王都に来たのはこれが始めてだ。
「アンは王都に来たことは……あるか。魔法省本部は王都にあるからな」
「はい。昔の勤務先、ですね」
アンドレアは複雑な心境で頭をかいた。べつに王都がきらいなわけではない。先程行ったカフェのようにおしゃれなところも多く、観光客も多い。それに医療施設なども整っていて、王都は家賃が高いものの住みたい街の上位に入り込む美しさだ。
「……魔法省の人間とすれ違うのがいやなら宿にこもっているか?」
「いや、同じ王都とはいえここは広いし魔法省がある地区はかなり離れた場所にあります。なので気にしないですよ」
「ならいい」
イヴの気遣いにアンドレアは首を振った。
魔法省がある王都。ならばもちろん昔の同僚に会う可能性は否めない。しかし王都は一日で回れないほど広く、今アンドレアたちがいる地区は魔法省がある地区とは正反対の、観光客がとくに多いところだ。
この人混みならもしすれ違っても互いに気が付かないだろう。
「よし、じゃあ買い物をするぞ。贔屓にしている店があるんだ」
「また真紅の石の欠けらですか?」
真紅の石の欠けら。それはイヴと出会ってまだ間もない頃にイヴが買っていた小さな赤い石の欠けらだ。魔術の本を読んだりイヴに教わったりして知ったのだが、どうやら真紅の石は魔石の一つらしい。
とある魔石が砕けて欠けらとなったものが真紅の石の欠けらと呼ばれ、魔術を使う際に描く文様の、塗料の材料の一つだ。
「ふふん、今日行く店にあるのは真紅の石の欠けらでも真紅の石でもない。それよりもっと純度の高いものだ」
「純度の高い……まさか」
「そう、賢者の石だ」
イヴは軽やかな足取りで店へと向かう。それに着いていきながらアンドレアは思考を巡らせていた。
賢者の石、それは高度な技術を要する高等魔術において必ずといっていいほど必要な希少な石だ。
魔法使いには必要ではないので魔法使いたちにこの石が流れることはないが、そもそもの発掘数が少ないのでとても希少で、その上純度の高いものしか賢者の石として認められない珍しい魔石なのだ。
「純度が九十パーセント以上のものが賢者の石。それ以下は真紅の石と呼ばれているんですよね?」
「正解だ。よく勉強できているじゃないか」
「魔石についてはどの魔術書にも最初に書いてある初歩中の初歩ですよ」
「褒められたのだから素直に喜べばいいものを」
やれやれとイヴは肩をすくめた。
これくらいで褒められても、とアンドレアは口を閉じた。
魔石は石自体に魔力がこもっている石のことをいう。しかし魔力がこもっていようといまいと、それを有効活用する方法を世間は知らないので普通に宝石店に並んでいたりする。
それをイヴは買い、魔術を使う際の材料としていた。
「王都には乙女の涙も売っているだろからよかったね」
「乙女の涙……ああ、俺と相性が良さそうだっていっていた魔石のことですか」
「そうそう。魔力に応じて相性の良い魔石があるからね。自分の魔力と相性の良い魔石を使うと魔力消費も少なく済むし、乙女の涙も買えるといいね」
「まだ乙女の涙が俺と相性がいいかわかりませんけどね」
「私の見立てが間違っていると?」
「いえ、師匠が言うならたぶん合ってますね」
イヴの魔術師としての腕は疑いようもなく一流だ。それは魔術について勉強し始めたアンドレアにははっきりとわかることだ。
魔法使いの階級でいうとAクラスに相当、いやもしかしたらそれ以上かもしれない。
「人が多いからってスリにあうなよ」
「わかってます。このカバンにいろいろ入れているから、このカバンを盗られれば俺たちは無一文になっちゃいますからね」
アンドレアはカバンの紐をしっかりと握って苦笑した。
先程のカフェ代も、魔石を買うお金もすべてイヴの財布から出たものだ。アンドレアが管理しているものの、アンドレアのお金ではない。人の、とくに師匠の財布を盗られでもしたら一大事だ。
「しっかり頼むよ、荷物持ちくん」
カバン一つを握りしめて歩くアンドレアの一歩前をカバン一つ持たずにイヴが先導するように歩いている。
イヴの一歩後ろ、それがアンドレアの定位置だった。
この絶妙な距離感にも慣れたものだ。
「いらっしゃい……あれ、随分と久しい客が来たものだね」
「そんなに久しぶりではないだろう。たかだか三年ほどだ」
「ふふっ、きみの物差しで測られるとそうかもねぇ」
贔屓にしている、というだけはあってどうやら店主とは顔馴染みのようだ。
軽い談笑をしてイヴはショウケースに並ぶ石を吟味し始めた。
「おや、きみは……誰かな?」
「あっ、えっと、アンドレアです。いちおう弟子……と荷物持ちをやってます」
朗らかな笑みを浮かべる男性がアンドレアに気がつくと首を傾げた。アンドレアは会釈して名乗る。
「……そう、弟子なんてとったんだね」
「気が向いた」
「ふふ、昔、私が魔術を教えてくれと頼んでも教えてくれなかったくせに」
「そういう気分だったんだ」
「そうかそうか」
店主は昔を思い返すようにどこかを見つめながら微笑んだ。
普段弟子はとらないとイヴも言っていたが、そんなに珍しいことだったのだろうか。
いや、そもそも六十近い男性に魔術について請われるなんてイヴは何者なのか。疑問に思ったが、まだそこまで踏み込んではいけない気がして、アンドレアはおとなしく店の隅でイヴの買い物が終わるのを待っていた。
「アン、会計を」
「はい」
カバンから財布を出し、イヴが買った魔石をカバンに詰めていく。
「その白い袋に入っているのが乙女の涙だ。一度見てみるといい」
「ああ、はい……」
イヴの目当ての賢者の石をカバンに入れたとき、イヴにそう言われてアンドレアは袋を開けた。中には青い石がいくつか転がっている。
アンドレアがひょいと石の一つをつまみ上げると、それは澄みきった湖のような色をしている綺麗な石だった。
「乙女の涙は水辺でとれる魔石でね。この澄みきった色が特徴的でアクセサリーの装飾にも使われることがあるんだ」
「へぇ……綺麗ですね」
「私は使わないけどね」
相性が悪いから、と呟くイヴを横目に乙女の涙を袋になおすと袋ごとカバンに仕舞った。
「じゃあ私たちは行くよ」
「はいはい、じゃあね。また来てね?」
「気が向いたらね」
「ふふ、きみはいつもそうだなぁ」
店主とイヴの間には独特の雰囲気が漂っていた。パッと見ると親子関係以上の歳の差を感じさせる二人だが、それでも仲のいい友人のような、そんな空気感。
その中に入り込む勇気はアンドレアにはなかった。
「もういいんですか? 久しぶりに来たならもう少し話をしていってもいいんじゃ」
「べつにいいさ。こういうものだよ、私の交友関係は」
店を出て表通りを歩くアドンレアに問いかけられて、イヴはそう言うと表情を綻ばせた。どこか見た目に相応しくない哀愁が漂っていて、アンドレアはなんて返せばいいかわからず口をつぐんだ。
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