幻の記憶をおって

 フィアはあまりの驚きに、目を見張る。綺麗に割れた腹筋や引き締まった胸元が見えて、息を飲んだ。

 そして、ぼんやりと見ている場合じゃない、と思う。目の前の相手であるゼクスもまた、同じく驚いた様子だった。気づけば、二人してベッドの上にいたのだ。ゼクスの視線が泳ぐので、フィアは何?と尋ねる。

「隠していただかないと、色々差支えがあるな」とゼクスは言い、フィアに掛布を差し出してきた。

「え?」

 フィアは即座に自分の姿を確認して、悲鳴をあげそうになる。何も、着ていないのだ。そして即座に渡された布を身体に巻きつける。状況を把握するために懸命に頭を働かせた。

 二人で地下国に降りたったはずだ。夜空しか見えない、地下の国に降りたち、そして、青銅の門をくぐった。そこまでは覚えているが、その先の記憶がない。

「な、なにこれは?私の願望なの?」

「願望?」

「ごめんなさい!私、何かいけないことを、したの?まさか、私が無理やり服を剥ぎ取って?」

 フィアが慌てながら聞けば、ゼクスはなぜか吹き出すのだ。

「フィアは自分が何かする側だと、思っているんだな」と言う。

「だって、あなたのような人が、私に何かするようには思えない」

「それは、信頼か?それとも、男としてあなどっているのか?」

「そ、そんなことは。でも、紳士的だし、強引に相手をどうこうするとは思えない」

「随分と評価が甘いな」

 とゼクスは言う。彼が身体を動かせば、おのずとその全身が見えて来てしまうので、フィアは思わず、

「あ、あの、隠してもらってもいい?」と言わずにはおけない。

「何か、差し障りがあるのか?」

「あるでしょ!」

「まとえるものがないんだ」と言うので、フィアは自分の身体を包んでいる掛布の一端を差し出し、覆うように言う。おのずと距離が近づき、フィアは気恥ずかしい心地になった。


 なぜこんな状況になっているの?とフィアは思う。そして、辺りを見回した。

 ここは、どこかの部屋だ。思えば騎士団の寮に似ているようにも思えた。窓の外を見れば、夜の帳が降りている。

 同じようにゼクスも窓の外を見た。

「まだ、夜だな。リウゼンシュタインが去る前夜だ」

「なぜ、それが分かるの?」

「リウゼンシュタインがここにいたのは、その夜だけだからだよ」

「ここにいるのは、なぜか、私だけど」

「そうだな。そして」

 フィアの首元を見て、ゼクスは、自身の口元を手で覆う。「事は起こった後、か?」と自問自答するように、呟くのだ。


 そのとき、何が目の前を走り抜け、二人で同じように視線を走らせた。ドアの隙間から部屋の外へ逃げていったのは、狼のようにも見える。

 見つめ合い、「追おう」と合図を送り合う。

「十秒で着替える」とゼクスが言い、咄嗟に「それは厳しいでしょ」と答えるのだが、散らばっていた服を確認する。身体はすでに動いていた。

 最後の上着だけは、「逆だ」と言って、交換される。袖を通して、部屋を出た。

「十五秒だな」と告げられ、「善処したと思うけど」と言い訳する。こんなやり取りをゼクスとした記憶はない。けれど、なぜか身体が自然と反応するのだ。

「白銀の狼に心当たりは?」

「分からない。本当の獣か、あるいは、私のような異形かもしれない」

 ひょっとしたら、あの姿は?と思い当たる節はある。ただ、現実的な発想ではない、とフィアは思う。


 廊下の外には人の気配はない。廊下を走り抜けていくと、そのうちに景色が変わって来る。どこかの屋敷に行きついた。煌びやかなドレスを身にまとったご婦人方と、紳士たちがタンスをしている光景が広がっている。

「ここは?」

「レビー家の婚約パーティだな。シュレーベン家としても懇意にしていた家だが、恐らくこのときは騎士団の任務で来たときだろう」

「あなたの言いぶりからすれば。これは、過去なの?」

「恐らくは。フィアは覚えていないようだが。着替えているようだ、ちょうどいいな」

 とゼクスが言う。

「え?」

 見れば、自分の服装が変わっているのに驚く。若草色のドレスを身にまとっていた。

「よろしければ、私と踊っていただけませんか?」と、お辞儀をしてうやうやしくゼクスが言う。

「え?これは、どうして?」

 面を喰らっているフィアをよそに、手を重ね、ダンスホールにエスコートしていく。

「あ、あの。私、ダンスはそんなに得意ではないの」

「いや、身体は覚えているはずだ」

 と言って、ゼクスは身体を寄せてきた。二人がフロアに入っていけば、周囲の目が釘付けになる。フィアはなぜか、どこに手足を動かせばいいのか、分かるのだ。

「ダンスって心地いいのね。不思議、身体が自然と動いた」とフィアは言う。

「それならよかった」

 とゼクスが言ったそばから、再び二人の視界をなにかが駆け抜ける。今度こそハッキリと目視したそれは、白銀の狼だ。狼は、ホールを抜け、屋敷の出入り口から、外に出て行った。あ、と二人して声をあげる。

「まるで誘い出されているみたい」フィアはドレスの裾をたくし上げた。動こうとすると、絨毯にヒールが引っかかるように感じる。

「誘い出された先には、何があるんだろうな」

「それに。過去を見せて、どうしたいのかも、分からない」

「ビュンテ団長は本物の王が、ライア・ニュクスだと言っていた。それが関係しているのかもしれない」

「お母様が?」

「ああ。しかし、いずれにしても。まずは、追う」とゼクスは言う。そして、その靴では無理だな、と言い、フィアを抱きかかえた。

「ちょっと、ゼクス!?」

「急ぎたい。悪いが、その靴ではあてに出来ない」と言って、出入り口へと走り抜ける。屋敷から出たところで、再び場所が変わった。

 

 高い天井には、天井画が描かれている。天井画には、人間を始めとして、有翼の人、そして巨大な姿の生き物から、不思議な姿の生き物、そしてなど、様々な生き物が描かれている。ホール上のその建物では、足を踏み入れれば石畳の床に足音が響き渡った。

「ここは?」フィアにとっては、見覚えのない空間である。

「王都の聖堂だ。王の一族を祭っているとされている」

 にわかに誰かが入ってくる気配があり、フィアとゼクスは顔を見合わせた。どこか隠れられる場所はないか、と思い、上階へと登る螺旋階段の影へと潜んだ。

 身体を寄せ合い、即座に距離が縮まった。


「子どもの声がする」

 とゼクスが囁くので、フィアも耳をそばだてる。

 入り口から数名の子どもたちが入って来た。そして殿を務めていた人物が祭壇の前にやって来る。その人物は神官のような衣装を身につけていた。子どもを一人一人見つめていき、

「リオス、ルテナ、ロン、レア、ルミナス、ストイス、テルメス、ティアス、セオドア、マルキュリア、ゼクス」と名を呼んでいくのだ。

 馴染みのある名が呼ばれるのを聞いて、フィアは思わず声をあげそうになり、ゼクスの手のひらで押さえられた。

 視線を交わし合い、状況を把握する。ゼクスもまた、首を横に振るのだ。

「記憶にない」と囁くように言う。

「お前たちに、託される。ただし、陛下は非常に気まぐれだ。誰に権利を託すのかは、誰にも託さないのかも、誰にも分からない」

 陛下と呼ばれる人物は一体誰なのだろう?と思う。

 子どもたちはそれぞれ、王から「神具を与える」と告げられて、剣や槍など武器の形をした神具を受け取っていく。

「この神具に光が宿った者が、次の王位を得ることとなる。陛下の期待を背負う者となるからだ」と告げられるのだ。

「王位?そのような不要な役割を背負いたくはありません」と口を挟むものがいた。灰褐色の瞳を持つ少年だ。

「ゼクスか。不要な役割とはなんだ?」

「王位です。私の代わりに他の候補者を入れてはいかがでしょうか。神具もお返しします」と言い、剣を王へと、返そうとするのだ。

「なぜだ?」

「何一つ欲しくはないのです。まったく、これっぽっちも心揺さぶられない」

「なるほど、王位は欲しくはないと?」

「そうです。あなたの行いも退屈だ。陛下のお伺い?そのようなもので、なぜ王位を決めるのです?相まみえたこともない陛下に、なぜ委ねるのか、私には理解できません。国民に、広く伺いを立てた方がよほど懸命かと」

 周りの子どもたちは、またゼクスのイヤイヤが始まった、と口々に言いはじめる。

「陛下は圧倒的な力を持っておられる。どこにでも潜み、どこからも生まれる。一見魅惑的な姿を持ち、惑わせもする」

「それが、なにか?」

「惑わされない者に、可能性がある。惑わされた者は、ただの罪人になるのみだ」とその者は告げる。

「ゼクス、辞退は許されない。お前には力があるだろう?判断は陛下のみが行う」と言うのだ。

 幼い少年は長々とため息をついた。

「選ばれないことを願います。」と言う。そして、子どもたちと、人物は去って行った。

 残された二人は、螺旋階段の影から出て行く。


「あなたの名前が呼ばれていた」とフィアが言えば、「そうだな。しかし、なぜかまったく記憶にはない」と言うのだ。

「神具を渡していたあの神官は、現在のリュオクス国王だな」とゼクスが言うので、フィアは驚く。

「名前を呼ばれていた子どもたちに、覚えはある?」

「ない。ただ、これが過去であるならば。前戦争で消されていた記憶の可能性がある」

「前戦争は、お父様とお母様の。その」

 喧嘩と言ってしまうのは、身内の恥のようにも思えたので、口に出来ずにいたら、ゼクスが口にする。

「家族喧嘩か?」

「え、ええ。エアハルトはそう言っていた」

「だとして、なぜ記憶を消すのだろうな。誰が記憶を消したのか。ビュンテ団長の言っていたことは、事のすべてだろうか」

「というのは?」

「フィアの母君は、一体どんなお人なんだ?」

「お母様?お母様は、九つの姿を持っているの。自分の身体を九人まで分割して、異形の姿、人の姿、他にも色々な姿になれる。ノインがそれを受け継いでいるわ」

 フィアにはたしかな母の記憶はなかったが、父はフィアにそう言って聞かせていた。

「色々な姿になれるのか。例えば、リュオクス国王はフィアの母君の可能性は?」

「先ほどの?お母様の気配はなかったけれど」

 と言いかけて、フィアは不意に、ゼクスを見つめる。

 魔法を使える者からは、エネルギーが湧きあがって来る気配があって、すぐに分かるものだ。ゼクスから魔法が感じられるのはたしかだが、その気配には、どこか懐かしい香りが交じっていた。

「そういえば。今まで気づかなかったけれど、仄かに」と言って、香りに引き寄せられるようにして、ゼクスの肩口に顔を寄せていく。

「お母様の気配がある。どうして?どこかで、お母様に会ったの?」

 と顔を上げて尋ねれば、「覚えはない」とゼクスは告げる。思いがけずに抱き合うかのような距離感になり、「ごめんなさい」と飛びのいた。

 その様子をしげしげと眺めながら、ゼクスは、

「たしかに、不用意に近づくのは危険だな」と言うのだった。

「危険?」

「俺はときに強引な手をとるかもしれない、気をつけた方がいい」と言う。

「気をつける?」

「ああ。不貞を何とも思わない男だと思って、気をつけておいてくれ。踏み外せば、とことんまで行くだろうな」

 と冗談とも本気とも取れないことを言うので、フィアは吹き出す。

「とことんまでって、何のこと?」

「幻の朝にまで」と言うのだ。

 フィアは何のことだか分からなかったが、ゼクスがいつになく柔らかい表情だったので、思わず見つめ返してしまう。

「幻の、朝?」

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