不名誉な噂
寮の管理人から案内を受けた後、フィアは騎士団の敷地内を散策していた。街を歩いていたとき、同様、フィアは自分にとっては覚えのない人たちから声がかかる。
「フィア、お帰りなさい」と声をかけてくれたのは、補佐官のベルタという女性だ。黒髪に黒い瞳をしていて、微笑むときの笑顔が可愛らしい。
「ごめんなさい、訳あって記憶が曖昧なの」と告げたら、自らベルタ・ヤンセン、と名乗ってくれる。フィアが騎士団にいたときには、親しくしていたのよ、と言って、騎士団内を案内してくれるのだった。
「フィアがいたときの違いと言えば、師団長が二人入れ替わっていることね。ゼクス団長と、フィアが抜けた穴を、エアハルト・ビュンテ団長とブルーノ・シュレーベン団長が埋めている」
「そうなのね」
「新体制は色々と問題があるのよ、特にエアハルト・ビュンテ団長はね」
とベルタは声を潜めるが、渡り廊下からやって来る人物を見つけるや否や、噂をすれば、と呟く。
やって来た人物はブロンド髪で亜麻色の瞳の華やかな印象の男性だ。騎士団内で皆が来ている団員服とは、少し違った煌びやかな意匠のものを着用していた。
「やあ」
と声をかけてくる。まずはベルタに、そして次にフィアに視線を向けたとたんに、「ああ、伝説の放蕩団長様じゃないですか」と言うのだ。
「伝説の放蕩団長?」
フィアが繰り替えれば、見た目はご令嬢なのに、随分と、と仄めかすような視線を送って来る。
「お初にお目にかかります。王立騎士団の第一師団長を務めております、エアハルト・ビュンテと申します。お噂はかねがね」
大仰なアクションで握手を求めてくる。
「初めまして、フィアと申します。しばらく寄宿舎に住まわせていただきます」と握手に応えるフィアに、
「リウゼンシュタイン元団長、退団なさって正解ですよ。色香で惑わす毒婦は騎士団にはいりません」
と悪びれることなく言うのだ。言葉を失うフィアに、ベルタは、こういうことなの、と耳元で囁く。
「女性であるだけで、実力以上に過大評価されるようです。色香で過大評価されていたのではないでしょうか?」
と剥き出しの悪意を向けられて、フィアは驚いた。
自分のことを言われている実感もなかったが、毒婦といった表現が新鮮で、純粋に興味を持つ。
「毒婦とは私のことをおっしゃっているのですか?」と聞けば、何をバカなことを言っているのか、と含みのある蔑みの目で見られる。
「そのとおりです。剣技に冴えがある、屈指の剣士である、といくら言われていても、周りはその王都では珍しいあなたの容姿に食いついているにすぎません。持ちあげておけば、いつかご相伴にあずかれるのではないか、と嫌らしい下心もあるのでは?」
「剣技?私がですか?」
フィアがなにかを尋ねれば尋ねるほど、エアハルトは苛立ちを募らせていくのが分かった。
「今さら白々しいですね」
「フィアは記憶に障害があるようです」
とベルタがフォローを入れるが、エアハルトの舌鋒はよりキレを増していく。なぜか、騎士団内の不満を言い連ね始め、第二師団長を家系による都合の良い入団、と貶してみせたあたりで、ベルタが眉をひそめる。
「団長、少し言いすぎでは?ブルーノ団長は正当な入団ですよ」と口にすれば、女性の補佐官は気楽でいいね、と呟いて、続けるのだった。
「シュレーベンと言えば。前第一師団長、ゼクス・シュレーベンも放蕩団長の毒牙にかかったのでは、ともっぱらの噂でしたね。彼はあれでいて、愛妾を囲っているとも聞きますし、中々の――――」
不意に身体が動き、フィアはエアハルトのホルダーから短刀を抜き取り、一振りする。
「ではあなたも、毒牙にかかってはいかが?」
と思いもかけない言葉を口にしていた。
目の前で口を開け目を見開き、青い顔をしているエアハルトに、フィアは何が起こったのか、と首をひねった。
「フィア、やりすぎ」
と隣のベルタが脇腹を肘で小突いてくる。
エアハルトの前髪がはらはらと床に落ちていくのが見えた。それが自分の手によるものだと、気づくのに数秒かかる。
「申し訳ありません、なぜか身体が勝手に」
と短刀を返しながら謝れば、エアハルトは「無礼ですね、さすが野蛮な西方の出だけある」と捨て台詞を吐いて立ち去っていくのだ。
「あれが団長だなんて、騎士団の品位低下が疑われるわ」
とベルタがぼやくのだった。フィアは自分の身体が自然と動いたことに驚きを覚える。城でノインと剣を合わせる遊びをしていた程度なのに、と思うのだった。
ゼクスの注意事項にあった「力を振るわないこと」を破ってしまった、と後で気づく。
この立ち回りはあっという間に噂になり、フィア・リウゼンシュタインが騎士団に戻って来た、と騎士団内の話題をさらっていった。騎士団に戻ったわけではない、と告げても中々理解を得られない。
更に、
「退団なさったのですから、ぜひお相手くれませんか?」との謎の声がけがあり、フィアは一層混乱していくのだ。
そして、自分が間違われているフィア・リウゼンシュタインとは、一体どんな人物だったのだろう?と思うのだった。
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