二話 清廉の槍、高潔の盾 ④

 災禍以来、墓を作る余裕はなくなった。理由は勿論、死者を顧みれば死ぬからなのだが、そもそも死体を回収するのが難しいのもあるだろう。奴らに喰われれば骨も残らないし、同類にされたなら足取りを追うのが自殺行為になる。


 が、今回は奇跡的に死体が残っている可能性がある。一晩を経て跡形もなくなっていればそれまでだが、もし奴らや野獣の類に見つかっていなければ…。あるいは、貪られる途中でも鎧があれば追い払える。


 埋葬の為、死体が残っていて欲しいなんて歪なものだ。辺りを見回しながら歩き、昨日通った道を思い返していると、何か違和感を覚えた。


 昨日の戦闘でここまで多くの廃墟が崩れていただろうか。確かに大築とディストラルの戦闘が激しかったのは認める。だが災害に備えて骨組みが置かれた建造物のはずだ。

 そう簡単に崩れるはずはなく、ましてや七割がたが瓦礫の山と化しているのは明らかに異常だった。それに廃墟が相当数崩れた記憶がそもそもないのだ。


 昨日の間に何があった?


 いや、考えすぎだろうか。ディストラルの行動は不規則だ。おおかたその余波を受けただけで大した意味なんてないのだろう。


 やがて大築の死に場所が遠目に見えてくる。広がった血痕の上に乗った瓦礫の山。滲んだ血の跡は痛々しく、漂う腐臭は生々しい。思わず目を背けそうになった。


『あんな女の事なんか忘れちまえよ』


 誘惑が過ぎる。従う必要はない。結局、目指すところは同じだ。大築の事にケリをつける。なら少しでも自分を納得させられる方を選びたい。


 すぐ近くまで来ると、俺は先客を見かけた。背丈の高い、整った鼻筋の女だ。左手に提げられたアタッシュケースから、昨日の女だと分かる。大築のような違和感はない。騎士のような凛々しさを雰囲気から漂わせているのだから。


 気づかれないよう瓦礫の影に身を隠し、様子を伺った。女の視線の先にあるのは大築の死体だ。案の定というかカラスや羽虫に集られていた。


 女はケースを振り回し、そいつらを追い払う。その後、女は背嚢を降ろし、死体に向けて合掌する。悲壮感をその顔にたたえながら。


 俺はこいつの正体に察しがついた。大築と共同生活を営んでいたうちの誰かしら。昨日、唐突に襲撃を受けたのもそう考えれば辻褄が合う。女は俺が大築を殺したのをどこからか見ていたに違いない。奴は俺を殺し、仇討ちを遂げるつもりだったはずだ。


 関わられれば面倒では済まない。命の危険にさえ晒される。だがあえて俺は女の方へと歩み寄った。


 女は俺…というよりも俺が右手に提げたケースに気づき、警戒心を露わにする。だが敵意ではない。俺と大築を殺した鎧がまだ一致していないのだろう。


「昨日は随分とやってくれたもんだな」


 俺は下卑た笑みを添えてやる。


「ッ…。そうか君が…」


 女の眼に射殺すほどの怒気が宿る。狙い通り焚きつけられたようだ。女はケースを開き、華奢な肉体で重装備を操る鎧の戦士へと変じる。対する俺も鎧を纏い、拳を構えて臨戦体勢に入る。


 空気を裂くほどの裂帛。女が急迫し、槍を振るう。用意された一撃は大振り。俺は動かなかった。気圧されたのもあるが、それ以上に動く必要を感じなかったのが原因だった。奴は距離を詰め切れていない。


 目測だが俺に届くにはあと子供一人分は必要だろう。無様に隙を晒すだけの素振りにしかならない。


 そうとしか思えなかったから俺は見誤った。


 胸に鋭い感触。ぐらついて、視界一杯に青空が広がる。眩しさに顔へ手を伸ばそうとしたが、虚空を掴むばかりだった。落ちている。そう認識した時には地に打たれ、全身へ衝撃。次には虚脱感。やはり痛みはない。だが落下の衝撃や振動までは誤魔化せないらしく、思うように身体を動かせなかった。


 あり得ない。だが考えうる原因は一つ。女の槍が直撃したこと。


 それを裏付けるようにすぐさま真上から槍が迫る。間に合わない。直感で理解する。


 だからこそ鎧の機能を用いた。相変わらずの妙な感覚だ。覚えのない力が身に馴染み、そして当然のように使い方が分かる自分がいる。ただ今は深く考えるつもりはない。力が使えさえすれば違和感の一つや二つ些事に過ぎないから。


 罅が入るほどの腕力を込めて、道路を押しのける。そのまま横に転がり回避を試みるが避け切るには至らなかった。足に打撃を受け、土砂と路面が飛び散り、鎧を通してその感触を浴びる。


 

 奇妙だ。今の追撃までに一度も足音を聞かなかった。かといって奴は槍を投げ飛ばした訳でもない。まさか忍び足で一連の複雑な動作を行ったとでも言うのだろうか。


 近くにあった廃車をふらつく片足の支えにし、立ち上がる。奴に向き直ったところで妙な事実が明らかになった。


 動いていなかったのだ。奴は追撃する際に全く距離を詰めていなかった。なんとなく機能にアタリがつく。


 次の一撃は喉を狙った必殺の突き。俺は鎧の機能込みで身体を反らした。ついでに予想を確かめるべく槍の軌道に目を凝らす。槍は上方を後ろまで過ぎてゆき、俺の仮説が正しいことを証明した。


 槍が伸びていることを。


 あまりにも不自然な変化だった。槍の長さが変わったと言うのに、その反動が見受けられない。形状も質量も同じ棒が柄に継ぎ足されたようだった。如意棒が実在すれば子の槍のように伸縮するのだろうか。


 空を切る音が耳に入り、俺は咄嗟に左へ転がった。次の瞬間、先ほど支えにしていた車が叩き潰され、割れたガラスが四方に散開した。油が漏れたらしくきつい匂いが辺り一面に広がっていく。後は回転の勢いを生かして、跳躍し大きく後退した。


 手品を見破っただけでは状況を打破できない。リーチの差をどうにかしなければ。ふと大築が振り回していた鉄棍を思い出す。アレさえあれば少しは戦術の幅が広がるはずだ。


 やり方は自然に浮かんだ。実行すれば、右アームの一部が変形して細分化され、再び集まり新たな形へと収斂する。


 血に塗れた鉄棍。手に取るがほとんど重みを感じない。試しに振り回し、すぐそばのコンクリート壁にぶつけると、容易く砕け、瓦礫が辺り一面に散らばった。質量に問題はないらしい。


 高まった膂力のせいで軽く感じただけなのだろう。今の威力なら女の大槍とも充分打ち合えるように思えた。


 いつの間に縮めたのか、女の槍は元の長さに収まっている。奴は一歩を踏み出し、次の一撃を展開した。伸長の軌跡を見逃さないよう、集中する。


 廃墟を巻き込まないようにか、最初は普通の長さ。近づくにつれ、伸びてゆき、地面に陰影を落としていく。


 どこに槍が来るか、予想がついた。腕力と脚力を強化。腰を落とし、体心を固め、迫る槍を打ち据えた。


 初めは受け止められた、と思ったが、ただの思い違いだった。次第に増す振り払いの勢いに負け、徐々に全身を浮遊感が包んでいく。


 同じ手は食わない。槍に込められた力を跳躍に生かし、廃墟の二階へ。窓を突き破り、破片の感触を味わいつつも、距離を取ることに成功した。


 なんという馬鹿力だ。まともに打ち合おうとしたのがそもそもの間違いだったのだろう。


 遠距離にいる限り俺に勝ち目はない。打ち合いつつ進むのは不可能だ。かといって近距離戦に持ち込もうとすれば、自由自在の槍が道を阻む。それしか方法はないのだが。


 いや、待て、奴の行動原理は復讐だ。ならそれを煽ってやればいい。


 俺は廃墟から飛び降り、目立ちやすい位置に陣取る。そして女に聞こえるよう大きく鼻で笑った。


「馬鹿の一つ覚えみたいな槍さばきだな」


 返答の代わりにやってきたのはただの突き。今のは導入。奴は反応すらしていないだろう。これだけなら小学生にすら通じるか怪しい。


「誰に教わったんだ? おおかた、お前と一緒に住んでいた奴の誰かだろ? 例えば、この鎧の持ち主だった奴とかな」


 奴の槍を躱す。心なしか女の狙いがブレた気がする。


「ああ、得心がいった。お前の槍がワンパターンなのは、あの馬鹿女に教わったからか」


 すぐに首元へと突きが飛んでくる。俺は横に飛んでそれを躱し、続ける。


「人は皆、偽りの自分を演じて生きてる。愛だの友情だの他人には美辞麗句を並べ立てておきながら、内心では自分の事しか頭にない。都合が悪くなったら信念なんて平気でかなぐり捨てる。人とはそういう醜い存在だ」


 すらすらと言葉が出たのは、本心だったからだ。大築は無償の善意を他者に与えようとする大馬鹿者。今でも俺はそう思う。


「あの女はそんな道理すらわからなかった」


 だがあいつの行動原理は俺に似たところがあって。


「裏切られて死ぬのも当然の帰結だと思わないか?」


 だからこそ俺は大築が見えている世界に惹かれた。


「なら私の憤りを解消するために君を殺しても道理にかなうと言うことだな」


 初めて返って来た反応は憎悪に満ちていた。鎧に隠れた奴の表情は憎悪に歪んでいるだろう。


「好きにしろ。やれるもんならな」


 心中の激怒を吐き出すように女は叫ぶ。感情の赴くままに俺へ肉薄。力任せに大槍を振るう。


 狙い通りに事が進んだ。というのに気分は最悪だった。勝利を収めた所で、気鬱が晴れる予感はしない。


 だが手段はどうあれ、こいつと戦った当初の目的に俺の行動は合致する。過程における己の苦しみを増幅させること。大築を罵ったことにそれ以上の目的は付属しない。だから、


 罪悪感を抱く必要なんてないんだ。


 クラウチングスタートの体勢を取り、攻撃を回避。頭上を槍が過ぎ去ったのを視認してから、脚に込めた鎧の力を解放し、地面を蹴り出した。


 空気が激しく俺を打つ。あまりにも速く前へ前へと。流れる風景の輪郭はぼやけ、車輪のように動く足がもはや己の物と思えない。そのまま奴の懐へと潜り込み、左足で地面を踏みしめる。


 軸足として利用し、回転するように勢いをつけた。狙いは胸元。一気に優勢に持ち込む。鉄棍に乗せたモーメント。鎧から引き出した膂力。最大限の速度。それらが合わさった一撃は女の鎧の中央へ突っ込んでいき——。


—か細い呻きが耳で霞み、消えてゆく。嫌な感触が手を包んでいた。柔らかく、それでいて、ねっとりとした感触。


 脳裏を過ぎったワンシーンは大築の死。同時に警告でもある。このまま鉄棍を振るえば、取り返しのつかない未来が待ち受けている予感がした。咄嗟に攻撃を躊躇し、鉄棍の勢いが減衰する。


 生まれた間隙に女が大盾を動かし、鉄棍とかち合わせた。一撃を受け止めた盾は、得物の衝突に弾くでも拮抗するでもなく、凹んだ。抵抗は全くなかった。


 盾と鉄棍が衝突した瞬間には。手から腕、腕から全身へと弾力が伝わる。逆流するように込めた力が押し戻されていく。段々と力は増してゆき、俺は後方へと弾かれた。


 女が槍の柄で横薙ぎに払わんとする。反射的に鉄棍で受け止めようとするが、女は槍を縮め、無駄に隙を晒した。がら空きになった俺の脇に向け、女は槍を再展開。瞬く間に距離を補完し、槍が俺を突く。


 装甲を貫かれることはなかった。受けた衝撃は大きく、息が詰まる。派生して数秒の呼吸困難。相手がこちらの体勢が整うのを待つはずもなく。女は空いた間合いを再び詰めてくる。


 そこからは俺が摩耗していく一方だった。槍が胴を薙ぎ、掠める度に己の思い違いを思い知らされる。伸縮自在の槍。その本領が近距離において発揮されることを。


 攻撃の度、伸縮を繰り返すことで、次の行動までの間隔を短縮できる。その上、奇妙な動作で視覚的にも相手を撹乱できる。


 近接戦に移行して以来、俺は奴の動きに翻弄されっぱなしだった。槍撃の隙を突いたつもりの一撃は縮んだ槍に防がれ、伸ばした槍の反撃までくらう。


 鉄棍で防ぐ、或いは避けて対処したはずの槍が数舜後には次の一撃を展開している。


 何度も奴の槍は俺に直撃し、衝撃で動作が鈍る。無論、奴の動きに精細さをもって臨むことは難しくなり、隙が隙を生む悪循環から抜け出せない。


 どうしようもできない自分自身に苛立ちが募っていく。何も進まない。何も面白くない。あんな下劣な策を用いたと言うのに。


 一方で疑心が大きくなってゆく。この戦いに意味はあるのか。己の心に嘘をついてまで。今の戦いが何かを生むように最早思えない。


 鎧のおかげか疲労は感じず、肉体的な体力は一向に減らない。だが気力と戦意は幾数の槍撃を乗り越えていくうちに削がれていった。


 復讐心に駆られた女と戦闘の原動力すら曖昧になりつつある俺。思えば俺が追い詰められるのは当然だったのだろう。


 槍の対応に倦怠感すら感じるほど、ぼんやりと。それでいて自己嫌悪だけは、はっきりと。そんな時間は唐突に終わりを告げた。


 槍に腕を打たれた瞬間、悪寒が走った。同時に沸き立つ恐怖、焦燥。これ以上ダメージが蓄積すれば、俺の存在そのものが消えていってしまうような直感があった。それにも関わらず痛みは一切ない。


 漠然とした戦意に突然、火がついた。戦いとは命のやり取りだ。どんな理由があれ、一度始まってしまえば危機感を持たざるを得ない。だから本来は如何なる気分であろうと、必死に戦うべきだったのだろう。


 だが鎧による痛覚遮断がその感覚すらも失わせていた。思い出した恐怖は一度に押し寄せ、俺を飲み込んだ。いわばパニック状態に近かったのかもしれない。


 だからこそ繰り出したのは戦略もひったくれもない、ただただ勢いと威力を重視した一撃。大きく跳躍し、そのまま鉄棍を振り上げる。


 ふと空中で胸に強い衝撃を受けた。がら空きになった胴へ女の振り払いが炸裂したのだ。手痛い一撃を入れられた俺はそのまま宙に打ち上げられた。


 空には暗雲がたちこめていた。雨が降り始めたらしく、冷たい感触が規則的に全身を撫でてゆく。落下していく中、俺の心中にあったのは安堵だった。低俗な手段を用いてまで勝とうとしたにも関わらず。


 俺には無理なんだな。あいつの事を振り払うなんて。あいつが見せた世界を忘れるなんて。


 俺が大築を殺した。非情な現実だ。だが受け入れなきゃならない現実だ。どれだけ俺が望んでも過去には戻れない。


 だから復讐心に駆られたあの女を倒そうと思った。無理やりケリをつけようとした。そうすれば大築の死に囚われる必要がなくなると信じて。


 でも俺は心のどこかで望んでいたのだろう。あいつの死に向き合う己を。


 遠く、遠く、暗雲に満ちた空は離れていく。どんと音を立てて強い衝撃が来たところで、俺の視界を鉄片が舞っていく。


 どうやら鎧が外れてしまったらしい。泥沼に浸かっているかのような疲労が全身を満たしていった。

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