[閑話•臨終ロスタイム]
†
───"天獄"、それは天界と魔界…地獄界との狭間とも呼ばれる場所。
主に魔界の罪人が収監される、混沌極まる拘置所。
───「くそったれ!
───「く、くすり、くすりアッ、くすりくれ、アッアッ」
───「おい!いい加減ヤらせろ!【検閲】ぐらいさせやがれ!」
内部は薄暗く、罪人達が常に不満や怨嗟を撒き散らしている。
その総括を務める、看守が───
「───はぁ、なんややかましわぁ。なぁんぼ騒いでも無駄やって分からんの?今から
看守が呆れたように口にした時…ちょうど人間界から転送されて
「あらぁ、もうええの?」
「…ああ、気は済んだっちゃん」
"飛龍"の目の前にいる男は…上背は"飛龍"と大差ないが、口元は布で隠され、唇の動きは視認できない。頭部には2本の角があり、ブロンドの長髪が拘置所の淀んだ空気で揺れた。武士の裃にも似た上着を羽織り、暗がりに光るのは赤い双眸───そして、手に持っている
看守の名は…大江アワラ。法に関しては絶対中立を守る、鬼種獄卒。アワラの口調はパッと見穏やかで優しく聞こえるが…実際はその真逆。純粋鬼種はどの種族より力が強く、いくら言葉が優しく聞こえようと、目的のために用いる手段は口にするのも恐ろしい程に容赦がない。その性質を買われ、看守の役を命じられているぐらいなのだから。
「あんたはんの
「そげん言うたっちゃ、俺ん体はまだ葬儀にも出とらんのに、変な感じばい」
「堪忍え、魂はもう体から離れとったさかい、少し急いでもうたんよ───
アワラは元々細い目をさらに細くし、見づらい口元をつり上げた。
「筧飛龍、氷上の伝説を打ち立てた絶対王者。今のあんたはんの姿は、当時の若々しい
「はいはい、分かっとーばい。長丁場になるって聞いたけん、五体満足に動くる方がよかて思うたんや。それに…もしイグニスや
「落ち着いとるねぇ、死んだのに蘇生されるなんて
「同じ痛みは味わいとうなかけどな。ただ、俺がもいっぺん呼ばれた理由が証言だけやなかて言うなら、そん理由は知りたか。あんたらは、俺に…何ば求めとーったい?」
アワラの表情は、相変わらず心底が知れない笑みを浮かべたまま…1枚の紙を懐から取り出した。
「あんたはんの
「お、おう…阿万里さんち呼ぶ事が多かったばってん…魂の猶予ってなんかぁ?」
「───
アワラの笑みに薄ら寒さを感じ、"飛龍"は思わず息を止める。そういえば…博多はアンノウンの出現頻度こそ多くないものの、得体の知れない何かが彷徨いているということしか認識していなかった。何か分からないから
「…イグニスは、そげん訳の分からん相手と何年も戦うとったとに…俺は、疑問にも思わんやったんか」
「しゃあないで、認識阻害や。なんも知らへん一般人が、うっかり深淵を覗かへんように、思考に
「…どういう事や」
「そら、あんたはん───」
アワラが答えようとした瞬間───地鳴りのような低い轟音が"天獄"内に響き渡る。2人が周囲を見渡すと…"天獄"最奥部から、金属バットを担いだひとりの男が姿を見せた。今の轟音は、この男が金棒を床に打ち付けた音らしい。
アワラ同様、頭部には鬼種を示す2本の角。しかし、髪はアワラと違い黒髪短髪。赤目を隠すようにサングラスをかけた、2mを超す大男───
───そう、この"天獄"に
背の高い鬼種の中でも、イブキの上背は見上げるほど。それはアワラと背丈の変わらない"飛龍"にとっても同じで、その威圧感にはさすがの"飛龍"も息を飲んだ。
「うおっデッカ…」
「いらんこと喋りすぎじゃ、アワラ」
「かんにんえ~イブキ♡おーこわ♡」
「ぶちまわすぞ」
気だるげなイブキの視線が、ゆっくりと"飛龍"に向けられる。その動きすら、威圧を与えるためのものなのではないかと疑う程に。
「…な、なんかぁ?」
「
重々しいイブキの声は、"飛龍"の頭を押さえつけるように響いてくる。この状況で、下手に歯向かうのは馬鹿だ───そのぐらいは、"飛龍"にも分かっている。その重苦しい雰囲気をフォローしようとしてなのか、アワラが再び持っている紙に目を落とす。
「───これは、あんたはんの
「…契約主が神族じゃけえ、ワレは天の使い───
天使───そう自覚した瞬間、"飛龍"の頭上にはベルフェの神紋を模した
「うおっうお、な、なんかぁ!?」
「ようこそ、天上の世界へ───
「お、俺…どげんなると…?」
"飛龍"は…自身の急変に恐怖してはいたが、実はそれと同じぐらい好奇心が疼いていた。スケーターとしてだけでなく、人生すら"終わった"と思っていたのに…まだ先があったなんて思いもしなかったから。
「言うた通り、うちらの補佐としてキリキリ働いてもらう。あぁ…でも、死んどるから元のお名前は使えんねぇ。名無しさんやと呼ぶの不便やし、おい!とかお前!とかやと熟年夫婦みたいやしなぁ。どないしよか…そうや!」
アワラは"飛龍"を見て、いいことを思いついた、と言いたげな笑顔を見せた。
「生前のあんたはんのお名前、飛龍…やったよね?それが、天の使いになった…あんたはんのお名前は───今日たった今から『
「天龍…」
"飛龍"───改め
「ああ、よかよか!
この契約を結ぶ条件として天龍が望んだのは…最期に一度だけ、伝説のスケーターとして、イグニスの背を押すこと。それが叶った今、叶えてくれた相手に従うのは苦でもなんでもなかった。
「…ええ子」
アワラは…今までと違い、柔らかく包み込むような優しい笑みを見せた。彼ら鬼種獄卒は、罪人にはとことん厳しいが…そうでない者には割と友好的なのだ。
そんな中───イブキは黙って天龍とアワラを眺めていた。
「(フン、あの神族…この男を余程
イブキは…アワラの持っている契約書の内容を知っている。
その最後に書かれていた一文は───
"理由:
そこに記されていた名は、楢崎ケンゴの
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