第12話「紅き修羅姫、血に踊るのこと」

 シャンホアの立てた計画は、この時点では予想通りだった。

 たった一つの、目に見えず数値化もできない信頼……フェイルと寵姫ちょうきの仲間たちは勿論もちろん、シャンホアは完全にとある男をも信じ切っていた。

 信じるに足ると知ったし、今も再確認した。


「あとお願いね、アルテパッ! ちゃんと狙って撃って、フェイルたちに当てないようにね」

「わかってるぞ! 連中は火薬の臭いが染み付いてるから、この距離からでも手に取るようにわかるんだぞ!」


 超人的な五感の持ち主で、改めてシャンホアは驚いてしまう。

 同時に、ミーリンの手を引き走り出した。

 二人には次にやることがあるし、全ての計略がつらなりつながるためには走り回るしかない。伝令の早馬はやうまにさく人員すら勿体もったいないのだ。アルテパは鳥や動物と話せるというが、今の彼女は大砲潰しで忙しかった。

 一緒に走る中で、息を乱しつつミーリンが問うてくる。


「こっ、こんなに上手くいくなんて……どうして」

「それはね、ミーリン。聖騎士アルト・ベリューンって人が名将だからだよ?」

「それはどういう……?」

「単純計算で、彼我兵力差は1:50。乱戦に持ち込んで鉄砲を封じても、かなり厳しいと思うんだ。それにね、条約軍はこの戦いを簡単に終わらせることができるの」


 そう、自分でも思いつくくらいだから敵だって知ってるはずだ。

 敵味方が入り乱れての白兵戦となったら……。わずか一万に満たぬ敵兵を前に、数十万の兵力を持つ条約軍が付き合う必要がないのである。

 だが、敵はそういう人間ではないとシャンホアは信じていた。

 太后たいこうメイランによる策略の時もそうだ。

 アルトという男は、警戒心が強く無駄な犠牲を嫌う。その上に大変に紳士的で、なるほど聖騎士様という風格が感じられた。降伏勧告の使者を自分でやって、メイランの舞いと死に罠などないことをおのれで証明した人物だから。


「そりゃ、ボクだって味方ごと敵をっていうのは嫌だな。でも、それをやる人だっているし、損得で勘定したらそっちのほうがよっぽど効率がいい」

「シャンホア……あっ、あの、そのぉ……悪い顔に、なってます、よ?」

「ほへ? あ、いや、これはね。ボクたちは圧倒的に不利なんだからさ……公明正大な聖騎士様の、その真面目で優しい性根しょうねにもつけ込んでいかなきゃって」


 使える手はなんでも使う。

 でも、決して味方の血で手を染めたりしない。

 皆で勝って生き残るために、シャンホアの小細工はどこまでも鋭く尖ってゆくのだ。

 そして、その悪知恵を共有する共犯者が腕組み仁王立ちで現れる。


「おう、首尾は上々よなあ?」

「キリヒメ! 今んとこ、大砲と銃が使えなくなって、直接ぶつかり合ってる」

「ふむふむ、重畳ちょうじょう、重畳。……やはり乱戦になれば撃たぬ男か、アルトとやらは」

「そうみたい。なんか、後味悪い感じだけど」

「なに、まだなにも終わっておらん、始まったばかりじゃ。後味なんぞ味わう明日も今はなかろうよ」


 それだけ言うと、キリヒメは馬の手綱たずなを手に歩き出す。

 ここはまだまだ緑の深い山林だが、彼女はこれから単身で敵へと飛び込むという。


「さて、一騎駆いっきがけ洒落込しゃれこもうかのう。シャンホア、必ずミーリン様を守れ。アルトとやらが清廉潔白せいれんけっぱくでも、その周囲はわからん。一番怖いのは、そう……暗殺よな」


 その逆もしかりで、キリヒメはこれから聖騎士アルトの首を取ると息巻いている。そして、彼女が言えばなんだか本当に実現しそうな空気が恐ろしかった。

 遙か東の海の果て、環国わこくは戦国乱世の修羅の国。

 その中にあってキリヒメは、修羅をもらう紅蓮ぐれんの夜叉にも等しい迫力があった。

 小柄な女の子で年もそう違わないのに、甲冑にかぶと、手には青龍刀せいりゅうとう……これは環国では薙刀なぎなたと言うらしいが、その全身からゆらめくような覇気が滲み出ていた。


「下を見よ、シャンホア。今はフェイルたちが押しておるがのう。向こうはまだまだ後方部隊が山程待機しておる」

「同じ手はそう何度も使えないし、アルテパの丸太……じゃない、矢も尽きちゃう」

「そこでじゃ。後方に控えておる敵軍の中枢にくさびを打つのじゃ。それがこのワシよ!」


 正気の沙汰さたではないと思う。

 だが、故国ここく興亡こうぼうがかかった戦いでは、誰もが狂気に身を躍らせていた。

 兵士たちもそう、フェイルやミハエルといった男たちも同じである。

 必定ひつじょう、シャンホアたちもやれることを全力でやるしかない。

 そして、キリヒメには自殺願望や自己犠牲の精神はなかった。

 あるのはただ、戦いこそが悦びという土地で培った闘争本能。

 恐らく先の皇帝は、両目の左右が違う色の少女の中に、その強さを見出したからこそ愛でて側においたのかもしれない。人質ひとじちと言われているが、キリヒメの中にははっきりと先帝への想いが感じられた。


「では、参るかのう」

「参る、って……え、ちょっと待って、キリヒメ!」

「なんじゃ。ヘリヤグリーズとの連携は取れておる。手はず通りじゃ」

「で、でも、一人で突っ込むんだよね?」

「おうてばよ!」

「……この、断崖絶壁を?」


 そう、敵の大群が続々と戦列をなしているのは、遙か下だ。

 幽谷関ゆうこくかんへと徐々に狭まる、山と山との間に大軍がひしめいている。

 そのさなかへ、キリヒメは飛び込もうというのだ。

 しかも、馬で。


「なに、この程度の崖なら鹿しかでも降りれよう。鹿も四足よつあし、馬も四足、やってやれぬ道理はないはずじゃ」

「……因みに、そのう。馬と鹿を混同する人のことをボクたちエンの国では」

「カカカッ! 知っておる! ワシは大馬鹿者、大うつけよ。これくらいの馬鹿を演じてやらねば、皇帝陛下もあの世で退屈というものよ」


 何度見ても、ほぼ垂直に近い断崖だ。

 しかし、ひらりと白馬にまたがるや、紅い修羅は飛んだ。

 そう、巧みな手綱さばきで崖の下へと真っ逆さまである。

 思わずミーリンは手で顔を覆ったが、シャンホアは見た。

 鹿でも降りれるとは思えないような絶壁だ。それを、まるでうさぎが飛び跳ねるがごとく、キリヒメは人馬一体となって落ちてゆく。

 否、降りてゆく。

 そびえ立つ絶壁の、ほんの僅かな足場から足場へと、馬を駆る。

 そして、響くのは法悦ほうえつに満ちた歓喜の笑いだった。


「フ、フハ! フハハハハッ! 見ておれ西方人! その首ぃ、そっくり全て! 貰い受けるっ!」


 眼下の兵士たちはその声に周囲を見渡し、そして空を見上げて絶句した。

 不気味なまでの静寂に、一滴の赤が染みて落ちる。

 それだけで、またたく間に周囲が朱にまみれた。

 逆さ落としの一騎駆で、キリヒメは敵のド真ん中に降り立った。その時、唖然あぜんとした者たちはそれが最後の表情となる。無数の首が宙を舞い、ひるがえる薙刀の白刃が二度三度と敵兵の頭部を散らかしてゆく。

 完全な奇襲、出番を待つ余裕があった筈の後続部隊は、最前線以上の混乱に叩き込まれた。


「なっ、なな……どこから!」

「待て、銃を使うな! 敵は一人だ、味方に当たる!」

「馬上の者を狙えば……っ、っっっっ! あ、あれは」

「女だと? 小娘一人が万の大軍に向かってく、ッ、――アビャ!?」


 首、首、生首だ。

 思わずシャンホアは、かたわらのミーリンの目を覆う。

 だが、その手を逆にミーリンがそっと下げさせた。


「いいのです、シャンホア。見届けねばなりません……わたし、もうこれからは皇帝だから。女帝になって、きっとまた焔を平和な国にするから」

「で、でも……嘘みたい、キリヒメ……笑ってる。あんなに楽しそうに」

「環国のモノノフ、さぶらいと呼ばれる者たちです。修羅の国にて修羅にさえ恐れられた悪鬼羅刹あっきらせつ鬼姫おにひめ……それがあの方なのでしょう」


 左右の目の色が違うから、呪いの忌み子いみごと呼ばれた。

 年頃になっても嫁の貰い手もなく、ひたすらに武芸で心身を磨いてきた女だった。

 大国である焔帝国に人質として差し出され、その異形のあかき魔眼を隠して生きていた。しかし今、その目は恭悦きょうえつにとろけるかのようにうっとりと笑っていた。


「ほれほれ、逃げぬか! 逃げねば斬るぞ! 逃げても背を斬る、決して逃さぬ!」


 さながらキリヒメは楽器だ。

 触れる全てをやいばかなでる、紅き修羅の慟哭どうこくにも似た響き……耳を覆いたくなるようなおぞましさの中、あっという間に敵軍に赤が広がってゆく。

 一滴の血が巨大な水瓶みずがめを染めてしまうが如くだった。

 条約軍の兵隊たちは青を基調とした軍服を着ていたが、ドス黒い赤に汚れてゆく。

 鼓笛隊こてきたいおぼしき太鼓や笛の兵士、まだ若い少年兵もいた。

 その全てを分け隔てなく、キリヒメは死体へと変えていった。


「カカカッ! 愉快、これは愉快。あな面白や、踊れ踊れ! あの世で陛下にびてこいっ!」


 だが、突然の奇襲で隊列を乱した敵軍が、徐々に陣形を整えてゆく。

 互いの射線がかぶらないように、上手くキリヒメという異物を押し出そうとする。そう、彼女は巨大な軍隊というけだもの穿うがたれた楔だ。それを摘出するため、必死で細胞一つ一つが活性化するように兵士たちは動く。

 そして、それをキリヒメは完全に熟知していた。

 何故なぜなら……必ずそうなると彼女は思っていたし、同じことを予言した田舎娘いなかむすめがいたのである。


「おお、体勢を整え直すかや? やれやれ、銃には流石さすがかなわぬな」


 隊伍たいごを敷いて状況を整え直し、条約軍の兵士たちが銃を構える。

 それは、文字通り愛馬に任せて尻尾を巻くようにキリヒメが逃げ出すのと同時だった。それもまた、想定通り。

 突出した突破力で敵陣に穴を空け、無慈悲な鏖殺おうさつで恐怖を振りまく。

 恐懼きょうくに混乱した兵たちが立ち直るのを見計らって、単騎の身軽さゆえに逃げおおせる。

 果たしてそんな奇策が通じるだろうか?

 答は、鳴り響く一発の銃声だった。

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