28話 世界を壊した吸血鬼と頭が壊れた女子高生

「――ッッ」


 はらりと一房、髪が顔に落ちる。頬には嫌な汗が伝う。

 本能で理解した。


 ――あの強大すぎる紫の焔は、私の生半可な『防御魔法』では防げないと。


 あいつはおそらく、この戦闘が始まった当初からずっと魔力を練っていたのであろう。最初から、あれで決着をつけようと決めていた。今までの戦闘は、あれを作る時間稼ぎに過ぎなかったのだ。


「ワタシはね。ワタシの代わりに『世界を壊した吸血鬼』であるあなたを、少なからず買っているのよ。だから最後にもう一度聞くわ」

「……」


 魔王は相変わらず宙に浮き、右手に紫色の焔を携えながら言う。


「ワタシと一緒に、この『世界』も壊さない?」

「……そんなの、私が、やるわけないでしょ」

「……わからないわね」


 ぼそっと、魔王はなにかを呟くと、


「あなたは人間が憎くて、あの『世界』を滅ぼしたんじゃないの?」

「……それは」


「だったら、この『世界』もワタシと一緒に滅ぼしちゃいましょうよ。人間なんてどこの『世界』であっても等しく醜く、悍ましく、そして悪だわ。ワタシと同じ、吸血鬼のあなたならわかるでしょう? 人間はね、滅ぼさなきゃいけないのよ」

「……」


「それなのに、なぜあなたはその人間ごときにそうまで必死になっているの。なぜ人間ごときと仲良く遊んでいるのよ。かつて人間を滅ぼした――『世界を壊した吸血鬼』のくせに。ワタシはそれが分からない。分からないのよアイリス」

「……」


「大体、あの『世界』であなたと一緒だった人間……紫苑? だったかしら。あの人間も、今やあなたの周りにはいないじゃない。差し詰め、あの人間があなたに対してロクでもないことをしたんでしょう? ――そしてあなたが殺した。違うかしら」

「――ッ」


 ……私が、〝あいつ〟を殺した……だって……?


「――」

「どうせ魔王であるワタシを倒せとでも唆されて、そして役目を果たしたら捨てられた」

「――……mれ」


「だからあなたはあの人間を殺した。違う? 所詮人間なんてみんなそうなのよ。例外なんてあるわけないじゃない――」

「――だまれッッッッ!!!!」

「――っ」


 ぐつぐつと、体内の血が沸き上がっているのを感じる。


「お前ッ、お前ごときに、〝あいつ〟の何がわかるんだッ!? なんにも知らないくせにッ、知ったような口をきくなッ!!」

「――なっ……!」


「〝あいつ〟が私を騙したッ? 私が〝あいつ〟を殺したッ? そんなこと、するわけがないでしょッ!!」

「な、何を言って――」


「〝あいつ〟はそんなことする人間じゃないッ!! 誰よりも優しくて、強くて、カッコいい、私の初めての友達だッ!! それを私が殺しただってッ!? ふざけるのもいい加減にしろッ!!!!」

「……な、なんであなたは、そこまで人間を……」


「黙れッ!!」


 私は立ち上がると、再び二本の剣を構える。


「私はもう、お前と話したくない。これで、終わりだ……!」

「――ッ」


 強大すぎる焔が何だっていうのだ。私の『防御魔法』で防げないからといってなんだというのだ。あんなもの、斬ってしまえばいいだけじゃないか。


 ――〝あいつ〟を馬鹿にした報いは、必ず受けさせてやる。


「かかってこい」

「――ッ。……そう、アイリス。それがあなたの答えなのね」

「……」

「とても、残念よッ――」


 魔王は焔を携えている右手を正面へ突き出すと刹那。

 ――オオオオォォオオ、と。

 大気が、地面が震動する。

 強大な魔力を秘める、紫色の焔が私に迫りくる。


「――『火炎魔法:煉獄』」


 熱い。ジリジリと、肌を焼く焔。

 それを、私は真正面から受ける。おそらく、私の『防御魔法』では歯が立たない。魔術的防御を貫通する『魔剣リコリス』も、攻撃魔法である『火炎魔法』は打ち消せない。


 ――だったら。

 私は悠然と二本の剣を握りしめる。

 剣と全身にありったけの魔力を流す。

 目と鼻の先にまで迫っている焔。構わない。

 私はそれに向けて、握っている剣を一閃する――






「――はあああああぁぁぁあああああああああッッ!!」




『――――――――――――――――』




「――ぇ……?」


 刹那、目の前で起きた出来事に、私は目を見張る。


「……ぅおっ、なんかでた」


 そんなどこか間の抜けた、聞き覚えのある声がする。

 私は振り向く。

 すると、いつの間にか意識が戻っていたらしい露草が、両手を前に突き出してきょとんとしていた。


「――ッ」


 その光景に、私は再び目を見開いた。


「――なッ、お前、人間ッ!? 一体、今何を……!!」


 魔王すらも、そんな驚きの声を上げている。それもそのはずだ。今のは、どう考えてもあり得ない。今しがた起きた現象は、何がどうひっくり返っても、あり得ないものだったのだから。



 ――露草が、『防御魔法』を展開して、魔王の焔を打ち消していたのだ。



 そんなありえない光景を目の当たりにして、しばらく沈黙が下りる。


「……つ、露草。い、いまのは――」

「――アイリスたんッッ!!!!」


 そう、露草は叫んだ。


「……な、なに?」

「言いたいこと、聞きたいことは山ほどあるよっ!! なんで二人は戦ってるのとか!! 紫苑って一体誰の事!? この浮気者とかっ!! 今アイリスたん死ぬ気だったでしょ!! とかさっ!!!!」

「――」


 露草の四の五の言わせぬその謎の迫力に、私は思わず押し黙る。


「でもね、わたしが今、一番言いたいことを簡潔に伝えるからッ!! 耳かっぽじってよ~~く聞いてっ!!」

「……う、うん」

「すぅぅぅぅぅぅぅ――」


 そうして、露草は目いっぱい息を吸い込むと――



「――今のアイリスたんは!! ぜんっぜんっ!! いつものアイリスたんらしくないッ!!」



「――は……?」


 そんなことを叫んだ。


「そんな物々しい剣二本も持っちゃってっ!! そんな殺し屋みたいな魔法の使い方しちゃってっ!! そんな死神みたいな目しちゃってさっ!! そんなの、ぜんっぜんアイリスたんらしくないっ!!」

「……」


「いつものアイリスたんは、もっとずっと楽しそうじゃんっ!! もっとずっとキラキラしてたじゃんっっ!! 輝いてたじゃん!! それなのにどうして今は、そんなに悲しい顔をしてるの!? なんでそんなに苦しそうな顔をしてるの!? そんなの、アイリスたんらしくないじゃん!!!!」

「……っ」



「――好きなものの話をするときは、笑顔でいなくちゃダメでしょ!! そんな悲しそうな、苦しそうな顔してちゃダメ!! もっと笑顔で、楽しく話さなきゃ!!

 ――好きな人の話をするときは、とびっきりの笑顔でいなくちゃ、ダメなんだよぉぉぉっっっっ!!!!」



「――ッッ!!」



 瞬間、全身に稲妻のような衝撃が駆け巡った。

 その言葉に、曇っていた思考が晴れていくのを感じていた。

 露草の激情に、私の魂は揺さぶられる。

 ドクンドクンと、血の巡りが速くなっていく。

 私はハッと我に帰ると、自分の両手に目を落とす。


「……」


 そして再び露草を見る。すると彼女は、太陽のように眩しい瞳で、私のことを見つめていた。有無を言わせぬその巨大な意思を秘めた瞳。どこか懐かしさを感じる、優しさに満ちたその瞳。


「……」


 私はその大きな瞳に見つめられるだけで、心が軽くなっていく。

 それだけじゃない。なんだか身体が軽い。さっきまで私を支配していたドス黒いなにかが嘘のように。高揚感が、私を優しく包み込んでいく。


「……」


 私は、魔王へと振り返る。


「……」


 そして私はおもむろに――両手にそれぞれ握っていた、『聖剣』と『魔剣』を地面に突き刺した。


「――な、なにをっ!」

「――固有魔法『武器錬成』」


 唱え、宙には一つの魔法陣が浮かび上がる。そこから姿を現したのは――黒い剣。

 黒塗りの鞘に納められた、一振りの刀。


 かつて〝あいつ〟が私に贈ってくれた、私の愛刀。


 私が世界で一番、好きなもの。銘は――『月影』。


 私は『月影』を握りしめる。そして――


「――たしかに私は、かつて人間が憎くて、やがてあの世界の人間を滅ぼした。誰が何と言おうと、私は紛れもない、『世界を壊した吸血鬼』。それは事実。これまでもこれからも、その事実が変わることは未来永劫絶対にない」

「……」


「だから私は、人間と関わっちゃいけないのかもしれない。この世界に居ちゃいけない存在なのかもしれない。私には露草を、守る資格なんて、ないのかもしれない」

「だ、だったらッ――!」


「――でも、私は我がままで自分勝手だから。どんなに非難されようとも、暴言を吐かれても構わないから。露草は絶対に、お前なんかに殺させない」

「――ッ。どう、して……!?」


「それが私のしたいことだから。私はもう、後悔するのは嫌なんだ。悲しいのは、苦しいのは嫌なんだ。私は、私の『好き』であふれた世界で暮らしたい。それにはもう、露草は必要不可欠なんだ。だからッ――!!」

「――――ッ!!」



「そこの『頭が壊れた女子高生』は返してもらう。もう二度と、――大好きな人を、失うわけにはいかないからッッ!!!!」



 激情が、私を支配する。


 私はふっと、不敵に笑うと――


 ――今なら出来るよね、〝紫苑〟……!!



「――固有魔法『万物錬成』ッッ!!」



 ――刹那。


 足元には、巨大な魔法陣が浮かび上がった。

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