異世界Ⅴ 【菖】

 魔王を倒した私たちはそれから、とある国の王宮に招待された。私はその招待を訝しんだ。


 なぜなら王族や貴族には、昔から吸血鬼を忌み嫌う風習があったからだ。魔王を倒しはしたけれど、その倒した私自身が吸血鬼だ。王族たちが私のことを快く思うわけがない。この王宮への招待にもなにか裏がある。


 そう考えていたのだが、紫苑が妙に乗り気だった。そして私も、魔王を倒して浮かれていたのだろう。そんな紫苑を見て、どうにかなるだろうと、その招待に応えてしまったのだから。


 謁見の間に通された私たちの目の前には、金色の玉座にふんぞり返る中年小太りのいかにもな国王が座っていた。


「それで、今日は何の用?」


 私が問うと、国王は口を開けた。


「貴様らは強くなりすぎた」

「……ん?」

「貴様らはあの魔王を討伐した。貴様らは今やあの恐るべき魔王よりも強くなってしまった。その力は我らにとって脅威でしかない」


 なにをいっているんだ、こいつは……?


「待って、話が掴めない。つまりどういう――」


 私がおもわず国王に数歩詰め寄ったその瞬間。


「下がれ!」


 数人の兵士が私と国王の間に割って入り、抜刀する。私の頸筋に刃を当てた。


「きゃあっ!」


 甲高い悲鳴がして振り返ると、紫苑も同様数人の兵士に取り囲まれている。


「……これは、どういうこと……?」

「どうもこうもない。この場で貴様らを処刑する」

「なっ……!?」


 処刑? 本気なのか、こいつは……!


「そんなこと、許されると思ってるの!」

「ああ、許されるとも」


 さも当然と言わんばかりの表情で、国王は言う。


「貴様ら吸血鬼は神に仇なす反逆者だ。それは魔王を討伐したからといって変わらない。新たな魔王が誕生したに過ぎない。我が国の民は全員、貴様らに恐怖しまともに夜も眠れぬのだ」


 な、なにを言って……!


「私は魔王になるつもりなんてないっ! それに、吸血鬼の私が気に食わないのなら、紫苑は解放して! こいつはただの人間!」

「吸血鬼に手を貸した大罪人を解放することなどできぬ」


 こいつっ、言わせておけば調子に乗って……!


 交渉は無理だと判断した私は、咄嗟に魔力を練る。そして、『武器錬成』を発動しようとしたその時だった。妙な違和感を、手のひらに感じた。


「……魔力が、蒸散していく……?」


 な、なんだこれ。魔法が完成した途端に魔力が蒸散して形にならない……! 

 これは……!?


「……魔法封じの、結界……!?」

「それだけではない」


 刹那、身体の力が抜けて、私はすとんとその場に崩れ落ちてしまう。


「……な、に、が」


 力が、はいらない……。なんだ、これは。


「無様だな。吸血鬼よ」


 国王は、床に這いつくばる私を見下す。


「――やれ」

「はい」


 国王が端的に兵士にそう命令をすると、兵士は抜刀した剣を上段に構えた。


「……っ」


 ……なにか。なにかないか! この場を切り抜ける手は……! 極限まで魔力を振り絞れば魔法封じの結界で封じられる魔力を上回り、魔法を使うことは出来る。出来はするがそのあとはどうする……! そんな膨大な魔力量、なんの準備もなしに放出すれば暴発するに決まっている。後ろの紫苑まで巻き込みかねない……! 


 それに、魔力枯渇に陥って死の危険性まで出てくる。そんなの元も子もないじゃないか……! しかし現状それ以外に手はあるのか……!? たとえ無理だと分かっていても、このままじゃ紫苑も……!


 必死に思考を巡らすも、この場を切り抜ける方法が浮かばない。そうしている間にも時は刻一刻と過ぎている。このままじゃまずい。なにか……せめて、紫苑だけでも、助けられるなにかが……!


 ――その時だった。


 目の前に、紫色の魔力の渦が巻き起こる。

 長い黒髪が揺れる。幼さの残る童顔な横顔。いかにもな魔術師のローブを羽織った私の相棒。


 ――紫苑が、私をかばうようにして、目の前に立っていた。


「貴様、どうして立っていられる!?」

「……紫苑、お、まえっ!!」


 そんなに魔力を解放したら、そのあとどうなってしまうか――


「――ごめんね、アイリス」


 私に向かって振り返り、はにかみながら紫苑は言った。


「紫苑っ……! 死ぬつもりじゃ、ないんだよね……!?」


「ねえ、アイリス。あの時あなた言ってくれたよね? 『お前がいなければ、私はここまで来ることは出来なかった。感謝してる』って」

「いきなりなにを……いまはそんな話をしてる場合じゃ――」

「感謝してるのは、わたしの方なんだよ?」

「――ッ」


 紫色の魔力の旋風に垣間見える紫苑の瞳には、涙がたまっていた。そしてこの二年間、ずっと紫苑と一緒だった私には、否が応でもわかってしまう。

 ――紫苑はここで、死ぬ気なんだと。


「あの時、わたしがこの世界に召喚されたあの日。右も左もわからなくて、この先なにをすればいいかわからなかったわたしに、手を差し伸べてくれたのはアイリス。あなただよ。あの時、どれだけわたしが救われたことか。どれだけ、わたしが、嬉しかったことか」

「――」


「助けられたのは、感謝しているのはわたしの方。アイリスはこの『世界』で初めて、わたしに優しくしてくれた人。この『世界』で初めて、わたしに手を差し伸べてくれた人。アイリスはわたしの『世界』で、――初めてできた、好きな人」

「――っ」


「だからわたし、決めてたんだ」

「……な、にを」


「アイリスが、どうしようもない危機に陥った時、わたしが命に代えても、アイリスのことを守るって」

「――そ、そんなこと。……そんなこと、私は、頼んでないっっ!!」


 初めて聞いたであろう私の感情的な叫びに、紫苑は目を丸くするがしかし、彼女の瞳は決して、揺れることはない。


「わたしはさ、アイリスのことどうしようもなく好きだから。アイリスのツンデレなところも。寝起きに見せる無防備な表情も。優しいところも。見た目に反してちょー強いところも。実は甘いもの好きで、可愛いもの好きなところも。わたしが日本の話をしているとき、目を輝かせているところも」


 紫苑の頬に、いくつもの涙の筋が伝う。


「ぜんぶがぜんぶ、好きなんだよ。だいだいだいだい、大好きなんだよ! だから、わたしはアイリスに死んでほしくない」

「……そんなの……!」


「――わたしは我がままで自分勝手だからさ。だから、ごめんね? アイリスになんといわれようとも、わたしはアイリスを守るよ。たとえ、それでわたしが、死ぬことになったとしても」


「――ッッ」


 そうして紫苑は、困ったように笑った。


「……むり、だよ。私は、もう、お前が、いないと……!」

「大丈夫、アイリスは強いでしょ。わたしがいなくなったって大丈夫だよ」


「――そうじゃ、ない!!!!」


 喉が、肺が、割けそうだった。視界がぼやけてぐちゃぐちゃで、頭の中もぐちゃぐちゃで。それでも私は、紫苑に、言わねばならなかった。


「お前がっ! ――紫苑が! 私の『世界』に、土足で入り込んできたんでしょ! 許可も取らずに、勝手に! 私の『世界』の大事なモノになったんでしょ! 私はもう、紫苑がいなきゃダメなんだよっ! 勝手にいなくなろうとしないでよっ! 勝手に死ぬだなんていわないでよっっ!! ――責任、取ってよぉぉぉ!!!!」


「……っ」


 私は、いつの間にか泣いてしまっていた。そんな私を見てか、紫苑の魔力が一瞬収まったように見えた。しかし――


「――ごめん、アイリス。……もしも来世があったなら、その時は今度こそ、絶対に。わたしはアイリスのことを忘れない。ずっとそばにいるからさ。……だからっ……だから……」

「……来世なんて……!」


 刹那、私の身体を半透明の薄い壁が包み込む。

 これは、紫苑の『防御魔法』……!

 次いで、紫苑の周囲に紫電が迸り始める。


「こ、これは!」

「何をする気だ小娘!」


 兵士、そして国王たちが口々に言う。


「紫苑っ! 一体なにを――」


 紫色の魔力の渦の中、紫電が迸る中で、刹那、紫苑と目が合う。すると、彼女はやはり、太陽のように眩しい満面の笑みを浮かべて――



「――アイリス。泣かないで? アイリスには、笑顔が良く似合うから。わたしは、笑ったアイリスが、世界で一番、大好きだよ」



 紫苑の姿が、吹き荒れる魔力に飲まれていく。私はそれをただただ眺めていることしかできない。やがて、紫苑の涙が床に落ちたと思った時。


 ――視界が、白く染まった。

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