6話 アヤメ

「……ぅ、ひっく……。よ、よかったよ~……!」

「はいはいよかったねー。ほらツユクサこれで鼻かんで?」

「……ありがと彩芽。ぶぅッー!」

「……たしかによかった」


 めちゃくちゃよかった……。本当によかった。特にラストシーンなんかはすごくこう、グッと来た。原作でもあそこは泣いてしまったのだ。それを映像化されて原作ファンの私が泣かないわけがない。しかし一応映画館は公共の場だし、なにより感動して泣いている姿を露草に見られるのが恥ずかしい。だから私は、涙が流れるのを必死に我慢していたわけだが。


「……ひっっく、ううぅ、よかった……よかったよ~! ぅわぁぁぁ……!」

「……」


 自分以上に泣いている露草を見たら案外冷静になれてしまった。これはお化け屋敷に入って、自分よりも驚いている人を見たらあまり怖くなくなるっていうあれと同じ原理なのだろうか。


「……びぇぇぇぇえん……!」


 ていうか泣きすぎだろ。アヤメがヘルパーさんみたくなっている。


「ぶッー! ……ふたりとも、よくへいきでいられるね。わたしはもう、なみだ、かれそうだよっ。ぶっー!」


 鼻かむか話すかどっちかにしろ。


「私はまあ、原作で展開も知ってたし……」


 実は泣きそうだったなんて言えない。


「……彩芽も?」

「……まあそれもあるけど。私は映画自体観るの二回目だし」

「……へえ、そうだったんだ」

「……え?」


 ……ん? 観るのが二回目? それは少しおかしい。なぜならば今観た映画は今日が公開初日だからだ。しかも今日は平日。高校生のはずのアヤメは学校をサボりでもしないと観られないはずなのだけど。


「それって、学校サボって観に来たってこと? これ今日が公開初日だし」

「……。そうそう。ファンとして、公開初日にどうしても観たかったから」


「え……? 彩芽、学校来てなかったっけ?」

『―.―』

「……午後からね。午前中サボって観に行ってたの」

「ん……? あ、そっかそっか。そういえばそうだった」


 流石はアヤメだ。学校をサボってまで観に行くとは、八目先生ファンの鏡のような人間だ。


「ていうか観たことあるんなら先言ってよ~」

「ごめん。でも八目先生の作品なら何回でも観れるから」


「そう? ならいいけど」

「それよりもツユクサ。トイレに行きたいんじゃなかったっけ?」

『―-―』

「え? あ、そうだよ! 上映中めちゃくちゃジュース飲んじゃったからもう限界~。二人ともっ、フードコートの席取っといて~、お願い~~!」


 そう言うと、露草はトイレに駆け込んでいった。

 たしかにあいつ、上映中は流した涙以上にジュースで水分を摂取していたからな。映画の飲み物なんてあれは罠だぞ。


 ポップコーンで口の中の水分を無くさせたところにジュースで客の尿意を刺激してトイレに行かせ、少しでも映画を見せなくしてやろうという劇場側の悪意が垣間見える。(異世界人の感想です)


 ジュースをがぶ飲みしていたのは悪手だったがその点、最後まで正気を保った露草の強い膀胱には敬意を表さねばならない。私も強くなりたいものだ。


「じゃあ、席とっとこっか。アイリスちゃん」

「……ん」


 すでにフードコートまで移動していた私たちは空いている席を探し始める。するとちょうどよく空いている席を見つけたため、私とアヤメは机をはさみ向かい合うようにして座った。


「……」

「……」

「……」

「……」

「……ぁ……」

「…………」


 ……その、なんだ。……気まずい。

 先ほどまでは映画を観ていたし、その前はアヤメが八目先生ファンだったことが発覚したこともあり、あまり気にならなかったがそういえば私たちは初対面だ。しかも対人経験が乏しい私のことだ。初対面の女子高生と話すことなんてあるわけがない。


 ……くそ、なにをやっているのだ露草のやつ。早く帰ってこい。

 そんな感じで私が気まずさに耐えながら話題を考えていた時だった。


「……アイリスちゃんはさ。ツユクサのこと、好き?」


 彼女はそう問いかけてきた。……先手を取られてしまった。打ち歩詰めがないから先手必勝だったのに。しかし急になんだ? 


「…………べつに、ふつう」

「そう」


 しばらく考えて、私はそう返したがアヤメの返事もどこか煮え切らない。なんなのだ。


「……そんなこと聞いて、どうしたの?」

「……いや、なんていうか。今日アイリスちゃんと過ごして。私には、ツユクサと距離を取っているように見えたから。なんでなのかなって思って」


「……きょり?」

「うん、そう見えた。無意識なのかもしれないけどさ、ツユクサと深くかかわるのを嫌っているように見える」

「……」


 そうアヤメに言われて、私は回答に窮する。なぜならば、思い当たる節は確かにあるからだ。

 なぜだかわからないけれど、私はたしかに、あいつと深くかかわるのを恐れているように思う。


「それってさ、なんでなのかな」

「……」


 ……なんでって、そんなの、わからない。


「もしかしてなんだけど、アイリスちゃん」


 アヤメは一拍おいて、私を見つめる。アヤメの■い瞳が光った気がした。


「アイリスちゃんは昔、大切な友人を失ったことがある。その友人のことを今でも忘れられない。そしてツユクサはその友人と、とてもよく似ている。アイリスちゃんはツユクサとその子を重ねて見ている。だから、ツユクサと仲良くなって、それでまたツユクサを失うことを無意識に恐れている」

「――ッ」


 ドクンと心臓が脈打つ。


「違う?」


 アヤメの深淵でも覗いているかのようなその瞳に、私は恐怖を覚えた。


「……な、んで、それを」

「適当。って言っても信じてくれないだろうから正直に言うと。私、小さなころから霊感があるんだ。だから、そういうのはなんとなくわかる」

「……」


 それは霊感というよりも魔力や魔法の類だろう。この世界で信じられている霊感や超能力は、魔法の一端を操っているにすぎないからだ。


 しかし、アヤメは……。自身の能力を完璧にコントロールしている。なにせこの私を前にしても、魔力や魔法の気配が全く感じられず、なのにここまで正確に私の心情や背景を言い当てているからだ。ここが日本でなければ、正直言って規格外だ。

 この少女、一体何者なんだ。


「図々しいのは百も承知なんだけど、言わせてほしい」

「……」


 少なくとも悪意は感じられない。『索敵魔法』も感知しない。それもなにか特別な手法でかいくぐっている可能性もあるけれど、しかし彼女が何者かで私に仕掛けるつもりならば、その隙は今までにいくらでもあったのだ。だから私は、素直に彼女の言葉に耳を傾けることにした。


「現状のアイリスちゃんのその行動はあまりよくないと思う。たしかにアイリスちゃんが友人を失った時の痛みは、何物にも代え難いとてつもない苦痛だったのはわかる。でも、このままツユクサと距離を取ったままなら。アイリスちゃんはそう遠くない未来にきっと――きっと後悔する。後悔するのはいつだって、取り返しのつかなくなってしまった時だから。アイリスちゃんには、そうなって欲しくない」

「……」


 まるでそれを見てきたかのように語るアヤメの不思議な圧力に、私は声を発することもできずにいた。

 ――そしてアヤメは、日本に住む人間には到底知り得ないはずのある単語を口にする。


「ここは日本だよ。――あの『世界』じゃない」


「――ぇ……?」

「だから、アイリスちゃんが心配しているようなことは起きない」

「……」


 アヤメのその言葉に私は再び言葉を失った。


「……そ、そんなことまで……わか、るの……?」

「うん、わかる」

「……」

「ひとまずさ、考えてみて。年長者からのアドバイス」


 アヤメは右目を綺麗に閉じてウインクする。……考えることは、今の一連の会話で大幅に増えてしまったのだけれど、主にアヤメのせいで。それにたぶん、ていうか確実に十九の私の方が年長者だ。人の過去を見通せる? のならそれくらい分かっていそうなものだけど。しかし彼女も善意でそう言っていて、そして私の過去を言い当てたのが分かる。それはなぜだか確信がある。


 だから、アヤメが何者だとか、なぜ魔法を使って私に感知できなかったのだとか、そういう小難しいことを考えるのは一旦やめよう。


 今は、そう。アヤメに言われたとおりに、自分の心の内を。癪ではあるけれど、今後の露草との関係性を考えるべきだと思った。……別に、アヤメに言われたことが図星だったとか、そういうのでは決してない。これは……あれだ。

 私はもう――後悔するのは懲り懲りなのだ。

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