第18話 不気味な森

 緊張のためか、朝食は思うように喉を通らなかった。

 それでも、作ってくれた厚意に報いるために、出されたものはなんとか食べ終えた。

 使用人の皆さんがホッとして、嬉しそうな顔をしてくれたので、私まで微笑んでしまった。


 外に出ると、大勢の人々が城門の前に集まっていた。

 手を組んで祈っている人。騎士たちに手を降っている人。小さな子どもを肩車している父親。


 みんな騎士団に期待しているのね。

 ……あ、そうか。シャノンも来ているんだったわ。

 聖女様を一目見たいのね。




「テオさまー!」

「きゃあっ! こっち向いてー!」

「いやん。目が合っちゃったー」


 女性はやっぱり、テオ様に釘付けなのね。まあ、そうよね。


 ……うっ。

 魔物に遭遇する前に、こんな荒々しい感情をぶつけてくるとは……。


「何を見惚れてんだ?」

「み、見てないわよ。ただ、テオ様って、どこに行ってもすごい人気なんだなって。ああ、ええと、そうじゃなくて」


 やばい。やばい。言葉を間違えないようにしなきゃ。


「やっぱり見てたんだな!」

「だから、違うってば」


 私たちの些細な夫婦喧嘩は、幸い大きな歓声にかき消されて、誰にも聞かれていなかった。

 一際大きな歓声が上がったのは、テオ様を先頭に騎士団が出発したからだ。


 ユリウスの元にも馬が連れてこられた。

 森の中を進むため、私たちも今日は馬に乗って同行する。

 そう言えば、ユリウスと二人で馬に乗るなんて、初めてだわ。


「きゃっ」


 使用人に手伝ってもらって馬の背に乗ると、ユリウスに後ろから抱き抱えられた。


 ……は、恥ずかしい。

 て、照れるんですけど。


 ユリウスの胸にもたれて、その腕に包まれていると、魔物のことなんか忘れてしまいそう。

 こらっ! しっかりしなさい!


 そういえばシャノン――じゃなくて聖女様も、数名の騎士を連れて先に討伐に出られたって聞いたけど。

 聖女の力って、どんなものなのかしら。きっと私たちも守ってもらえるわよね。





 小一時間ほどすると、森が見えてきた。

 ジャンポールの森とは全然違う。


 葉の落ちた木々の枝は細く、不規則に折れ曲がっている。

 子どもの頃に読んでもらった絵本に出てくる、魔女の森みたいだ。




 森の中に入ると、世界が一変した。

 そこら中から、どす黒い感情の波が押し寄せてくる。

 これは人の感情? それとも、魔物が放っているのかしら。


 ……苦しい。

 胸が――痛い。


「どうした? 気分が悪いのか?」


 森に入ったばかりで、ユリウスに心配をかける訳にはいかない。


「ううん。ちょっと怖いところだなって思って」

「そうだな。なんていうか、薄気味悪いところだな」


 パカッ。パカッ。パカッ。パカッ。

 前の方から、一頭の馬がこちらに向かって駆けてくる。


 ――テオ様だ。


「ユリウス。お前は騎士団に入隊していないから、陣形の取り方や、騎士同士の連携には難がある。なので、このまま最後尾につけていろ。奥方様をお守りすることだけを考えてな」

「ああ、もとよりそのつもりだ」

「ふっ。じゃあ、健闘を祈っててくれ!」


 ピーっという笛の音が聞こえた。


「合図だ! 魔物と遭遇したらしい」


 テオ様は手綱を引くと、木々を縫うように馬を走らせて行った。


 先頭の方で指示が出たらしく、細長い隊列はやや膨らんで、一斉に駆け出した。




 ユリウスは私を連れているせいか、騎士たちほどのスピードは出せないようで、あっという間に取り残されてしまった。


「仕方がない。無理して追いつこうとすると、かえって森の奥へ迷い込むかもしれない」

「そうね」


 でも、いいのかしら。誰も怪我をしていなければいいんだけど……。


「くうっ」

「どうした? どこか痛むのか? アデリーン! アデリーン!」


 ああ違う。痛いとかじゃなくて……。


「ガルルルウ」


 突然、大きな黒い巨体が現れた。


「しまった!」


 ユリウスの体が強張るのを感じる。

 ユリウス。やめて。ユリウス。


「最初から弱そうな俺たちを狙う気だったのか! 本体と離れたのは迂闊だった」


 ああ、そんな。ユリウス。


「ドウドウ。お前は城に帰るんだ。いいな」


 ユリウスはひとり馬から降りると、馬の鼻を逆方向に向けて、尻を思いっきり叩いた。


「走れ!」


「ヒヒーーン!」


 馬は恐怖心もあいまってか、ものすごいスピードで走り出した。


「嫌よ、ユリウス! ユリウス!」


 振り落とされまいと、本能的に馬のたてがみにしがみつきながらも、私の心は体から離れようとしていた。

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