好きな人に好きと言われたら死ぬ病と診断されたので、俺は君に告白させない

長岡更紗

01.好きな人に好きと言われたら死ぬ病に罹っちまったらしい。



 おぬしは、〝好きな人に好きと言われたら死ぬ病〟じゃ──



 昨日、病院でそう言われた俺は、朝だというのに暗い影をズーーンと背負ってとぼとぼと通学路を歩く。


 高校二年にして、俺の人生は詰んじまった。

 

 なんだよ、なんなんだよその病気。

 どうして俺がそんな病気にならなきゃいけねぇんだ。

 頭がぐちゃぐちゃになりながら、校門に入ったところで俺は重く深い息を吐いた。


「おはよ。どうしたの、きっくん」


 高くも柔らかな声と同時に、背中をポンっと叩かれる。

 首だけで振り向くと、藍美あいみが俺を見上げながら首を傾げていた。いつも耳元で跳ねている癖っ毛が、今日も変わらず可愛いらしい。


「どうしたって、何が?」

「なんか、ため息ついてたみたいだったから」

「ゲホッ! 別に……ゴホゴホッ」

「まだ風邪治らないの? 昨日ちゃんと病院に行った?」

「行ったよ。ゴホッ」


 藍美は眉を垂れ下げながら、俺の顔を覗いてくる。

 心配してくれているのが分かって嬉しいけど、俺はそのたびに……


「ゲホゲホゲホ!」

「大丈夫? しつこいね、その風邪。二年になってから、ずっとでしょ?」

「うん……げほっ」


 そう、この咳が出始めたのは、今年の四月に藍美と同じクラスになってからだ。

 藍美は中二の時、他県から俺の隣の家に引っ越してきた。だから同じクラスになるのは、今回が初めてだったりする。母親同士がすぐに仲良くなったのもあって、思春期真っ只中だったっていうのに、俺たちも何だかんだと仲が良くなった。

 藍美の顔を見ると、ゲホッと乾いた咳が腹から込み上げてくる。四月に出始めた咳は、もうすぐ七月だっていうのに、まだ続いていた。


「変な病気じゃなかったら良いんだけど……どうだったの?」

「いや、えーっと……うん、風邪、だってさ」


 まさか、〝好きな人に好きと言われたら死ぬ病〟とは言えずに、俺は藍美から目を逸らす。言えば、俺が藍美を好きだって、バレちゃうからな。

 それを言うのは、まだちょっと勇気がいる。

 好きだという気持ちを押し隠して、藍美から顔を逸らすと、「そう」という寂しそうな声が耳に入ってきた。俺はそれを振り切るようにして、咳き込みながら教室へと急いだ。


 授業が始まり、真面目に先生の話を聞こうとしても、昨日医者に言われた言葉が頭を離れてくれない。

 俺はグッと強くシャープペンを握る。


菊谷きくたに紀一郎きいちろうくん、君には今、好きな子がおるな?』


 病院では聞かれるはずのない質問に、恥ずかしくて否定しようとした時。この病気を診たじいさん医師は、こう言ったんだ。


『これ以上仲良くならんようにの。咳だけじゃ済まんようになる』


 そんなわけのわからない宣告を背に、その時の俺はケッと息を飛ばしながら診察室を出た。何を訳の分からない事をいっているのかと。


 でも家に帰ってから、不安になってネットで調べてみたんだ。

 結論から言うと、〝好きな人に好きと言われたら死ぬ病〟は実際にあった。

 百万人に一人の確率で発症する、超激レア病気。

 好きな人に好意を持たれれば持たれるほど病状は悪化して、『好き』と告白されたが最後、死んでしまう。そんな信じられない病気が実在した。


 藍美が俺から離れると咳はおさまる、というのがその病気である証拠となるかもしれない。

 咳が出る時は決まって、部活で良いタイムを出した時。陸上部のマネージャーである藍美が喜んでくれる時だ。

 隣同士なので一緒に帰る事もあるが、心配してくれたり気遣ってくれる時もよく咳が出る。


 もし、本当にこの病を患っているなら、藍美は俺が好き……って事だよな?


 ニヤけそうになる顔をどうにか抑えて、教室の対角に座っている藍美を見た。

 藍美は右側の一番前、俺は左側の一番後ろだ。

 ジーっと藍美の姿を見ていると、気づかれてしまった。藍美がニコリと微笑んで、ちょっとだけ手を振ってくれる。


「げほっごほっ!!」

「菊谷、大丈夫か?」


 先生が心配して声をかけてくれる。クラス中が俺に注目してしまい、手をふりふりしながら大丈夫だとアピールした。


 どんどん、酷くなっている……気がする。


 藍美のやつ、俺のことそんなに好きなのか。むふふ。

 ……って。喜んでる場合じゃねぇ!!

 告白されたら死ぬとかなんだよそれ?!

 俺、好きな子と一生付き合えねぇの?!


 咳を押さえ込むフリをして、机の上に突っ伏す。


 絶望だ。

 俺の人生、真っ暗闇だ。


 藍美といい感じになって、ようやく、ようやくこの俺にも念願の彼女ができると思ってたのに。


 彼女は欲しいけど、死ぬのは嫌だ。

 死ぬのを回避する方法は、俺が藍美の事を好きじゃなくなるか、藍美に告白をさせないか。

 けど好きになるのをやめるって決めても、気持ちがすぐ冷めるわけじゃない。

 とりあえず、答えが出るまで……それか治療法が確立されるまで、藍美とは距離を取った方が良さそうだ。

 辛いけど、苦しいけど……俺はまだ、死にたくないから。


 って、そう思ってたのに。


「は、話があって聞いて欲しいの」


 放課後やって来たのは、校舎裏のイチョウの木が立ち並ぶ木陰。

 って俺、藍美に呼び出されちゃってるし?!

 ノコノコついて来ちゃってるし!!

 鼻の下が伸びまくってる自分が恨めしいわ!


 そんな俺の心の叫びなど露知らず、もじもじとする藍美。いつものように咳き込んでしまうかもしれないと思っていると、藍美が潤んだ瞳を俺に向けてくる。


 その瞬間、俺の呼吸はヒュッという音を残して止まった。


「──!? ッ!!」


 息が……できない! 苦しい!!

 藍美はそんな俺に気づかず、照れと緊張を混じり合わせたような顔を俺に向けた。


「あのね、きっくんはもう、私の気持ちに気づいてるかもしれないけど……」


 やめろ、言うな……言うな、藍美!!


「私、きっくんの事が、す──」


 俺は思わず飛びかかり、藍美の口を慌ててバフッと塞いだ。

 でもあんまり勢い良く塞いでしまったため、イチョウの木にドンと押し付けてしまう。


「あ、ごめ──っ」


 一瞬だけ出来た息が、また空気の出入りを閉ざしてくる。


「き、きっくん……」


 赤らむ藍美の顔。

 いや、今の壁ドン違うし!! 木ドンでもないからな?!

 赤い顔されても、困──……

 ヤバイ、本格的に息が……ッ


 死ぬ……ッ

 このままじゃあ……ッ


「きっくん、私ね、きっくんの事が……」


 やめ、やめろぉぉおおおお!!

 藍美との間を切り裂くように、俺は手を振り上げた。


 ペラッ。


「え?」


 風もないのにスカートは綺麗にめくれ上がる。

 うん、苺パンツ。

 声は出せなかったが、手なら出してやったぜ。


「な、な、な……っ?!」

「げほげはぐほげはっ!! ハァハァ、やべぇ! 今、死ぬとこだった──」


 目の前にはスカートを押さえてドン引きしている藍美の姿。

 そしてワナワナと震えだす指先に、明らかに蔑んだ瞳。


「や、藍美、これにはわけが……」

「ちょっとなにしとるの?! 状況考えてぇよぉ、きっくんのアホぉ! ばかぁ!!」


 そう言って藍美は真っ赤な顔をして、すごい勢いで俺から遠ざかっていった。

 ちょっと泣いてたようにも見えたけど、それよりも息が吸える安心感。俺は急いで新鮮な空気を何度も取り込む。


 しかし、怒ると方言が出る藍美、超カワイイな。

 苺パンツも最高。


 結論。俺から好きになるのをやめるなんて、やっぱ無理!!

 けど、こんな事をしでかしてしまったんじゃ、きっと藍美は愛想を尽かしちまっただろうなぁ……。


 俺は痛む胸を押さえた。藍美に嫌われてしまったかもしれない。それを考えると、辛い。

 でも、あんな苦しい思いは、もう嫌だった。

 息ができなくなった時の絶望と死の恐怖。二度と経験したくない。


 必死だったとはいえ、藍美にあんな事をしてしまった。

 苺パンツ見られてラッキー……じゃなくて、今から部活で顔合わせんの、気まずいなぁ。


 俺は重い足取りで部室のロッカーに向かった。

 まぁ悩んでいても仕方ない。これで嫌われたなら……告白されて死ぬ可能性はなくなるって事なんだから。

 そうだ、これで良かったんだ。

 俺は無理矢理そう思い込もうとし、着替え終えたロッカーをパタンと閉める。


「……ううっ」


 チュルンと顔を出した涙と鼻水をすすり上げて、俺はグラウンドに向かった。


「もう遅いよ、きっくん! 何やってたの! ほら、柔軟、私が手伝ってあげる!」

「え、ちょ、藍美??」


 しかしそこにいたのは、いつもと全く変わりない藍美の態度。

 え、俺、嫌われたよね?


「えと、藍美、さっきは……」

「もう、いいよ」

「え?」

「ゆ、許してあげるって言ってるの」


 もじもじとスカートの裾を弄りながら、目を逸らして頬を紅潮させる藍美。最高か。


「ほ、ほんとか!!」

「今回だけだよ?!」

「おう、分かっ──ゲホゲホゲホゲホッ」


 唐突の咳に、藍美は大丈夫? と背中をさすってくれる。

 藍美、超やさしい。

 あんな事した俺を許してくれるし、あったかい手のひらが、ゆっくり俺の背中を上下して──


「ゲフゲハゲホゴフハーッ!!」


 たまらず俺は咳き込んだ。


 あれ?

 俺の咳、酷くなってね?


「きっくん!」


 心配そうな藍美の顔。

 陸上日和な空の下、俺の咳はしばらく止まりそうになかった。

 げほっ。

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