第9話 特別にはなれない
樹が歩にチョコを渡すのを目撃してしまってからの記憶が曖昧だ。
気が付いたら鞄を持って階段を降りている。
どこに向かうはずだったのかも分からなくなって、階段を降りた所で涼は立ち止まった。
「有馬涼?」
ぼーっとしながら声のした方を向くと変なものでも見た様に近付いて来る月が見えた。
両手に抱える紙袋もいつもの光景。
「今年もたくさんもらったけど、少しばかりアナタには勝てなかったようね……。でも悔しくなんかないわ! 来年は私が勝つのだから当然よ!」
そう笑いながら自慢をする月が抱える紙袋にもたくさんのチョコが入っていた。
白鳥月は学園のマドンナであり、男子はもちろん女子からも人気である。
学園の王子様である有馬涼の方が女性人気が高いため、毎年もらうチョコの数は涼よりも少ない。
「どうしたの? もっと誇らしくありなさ……」
「月……あげる」
「!?!?!」
もうチョコを見たくなかった。
特別は尚更。
だから紙袋の一番上にある特別を月に渡す。
反射で受け取った月は何を渡されたのかしばらく分からなかった。
固まっている月の横を通り過ぎて、涼は靴箱へ向かって校舎を出て行った。
「あ、あ、有馬涼からの……チョコ……???」
今、手に持っているのが有馬涼からのチョコだという現実が理解できない。
だけど熱でも出た様に身体が熱くて、立てているのか分からない位に、月は動揺したまま立ち尽くしていた。
〇●○
階段の踊り場で樹は動けなかった。
歩と一緒に教室に戻る際、涼が帰って行く姿を見たので慌ててチョコを持って追いかけて来たのだが、目の前で何が起きたのだろうか。
(有馬さんって白鳥さんのことが好き……?)
だから自分にも優しくしてくれたのだと納得してしまう。
(有馬さんは……女の人が好き……なんだ)
距離が近いのも、優しくしてくれたのも、涼が樹の事を女性だと思っていたのなら納得できてしまう。
(最初から、叶うわけ……なかった……)
樹はゆっくりと階段を上る。
ちゃんと上れているのか分からない。
何もかも分からなくなって。
階段を上がった先にいた歩が慌てている事もぼんやりとしか見えない。
「樹ッ!!」
駆け寄って来た歩に支えられて、力が抜ける。
支えきれなくて階段を上ってすぐの所に座り込んだ。
「樹……!」
「あー……くん……」
樹は脱力して歩の胸に顔を預けた。
震えている樹を抱きしめていいのか分からない。
「やだ……私……、女の子になりたい…………」
本当に抱きしめていいのか分からない。
だけど歩は強く樹を抱きしめていた。
「やだっ、やだよっ、うぅ、うわああああああああん」
何が起きたのか歩には分からない。
だけど樹の想いが伝わらなかった事は痛いほどに分かった。
だって歩の心も痛んでるのだから。
〇●○
翌日、樹は学校を休んだ。
1人で登校するのは久々で、なんだか寂しいと思いながら歩は教室へ入る。
珍しく涼が先に席についていた。
「……はよ」
「おはよう。あれ……1人?」
「樹は風邪」
「……そ、っか……心配だな……」
昨日泣きじゃくる樹から状況を聞いていたが、涼の本音は分からない。
だけど、樹が休んだ事を知った涼の様子が変だという事は分かった。
「有馬」
「どうしたの?」
「昼休み、ちょっといいか」
「え……うん」
あまりにも歩が真剣な瞳を向けるものだから、大切な話があるのだろうと涼も真剣に返事をした。
昼休みのチャイムが待ち遠しい様な、怖い様な感覚のまま授業を受ける。
校舎裏の人気のない所に歩は涼を連れ出した。
「昨日、何かあっただろ」
「……無い、って言っても信じてくれないでしょ」
「俺達が教室出て行ったあと、何があった?」
「……ホント、龍崎には敵わないや」
真剣な瞳からは心配も感じ取れて、観念したように涼は校舎に寄り掛かる。
「見るつもりじゃなかったんだけど、龍崎が犬飼さんからチョコもらってたのを見ちゃって」
「……そうか」
「そのあとの事はよく覚えてないんだ」
俯いた涼は明らかに落ち込んでいる。
涼が落ち込んでいる原因を知って歩はすべてを理解した。
「言っておくが、昨日樹からもらったのは誕生日プレゼントだ」
「……え?」
「忘れられたら困るんだが、俺は甘いものが苦手なんだ」
「……えっと、あれはバレンタインと関係が、ない?」
「すまん、俺の誕生日がバレンタインで」
キョトンとしながら涼は歩を見つめる。
少し照れたようにも見えるが、困ったような表情の歩を見て涼は思わず笑い声が漏れる。
「どうして教えてくれなかったの? プレゼント用意したのに」
「それどころじゃなかったからな。俺も樹も……有馬も」
「龍崎……?」
「バレンタインは大事だったんだろ?」
歩は涼の隣に寄り掛かって、空を見上げる。
その歩に視線を向けて呆然としていれば、歩と視線が合った。
「チョコ渡せなかったんだろ?」
「……龍崎ってなんでも知ってるね」
「お前たちが分かりやすいだけだがな」
観念した様に涼は笑って校舎から背を離して屈伸する。
「でもさ、龍崎も、好きでしょ?」
「……有馬こそ、なんでも知ってるな」
「龍崎は顔に出るからね」
見透かしたように笑う涼に歩は驚いていた。
自分の気持ちを知っていた事にも、自分の癖を知っている事にも。思っていた以上に自分を見ていた事を。
「だから、諦めちゃった。僕じゃ犬飼さんの隣には並べないって」
悲しそうな表情は逆光でよく見えないけれど、声が震えていたのは確かに分かった。
「お前は、有馬か?」
「……え?」
逆光でもはっきりと見えた涼の怯える様な表情を、逃がさない様に真剣に歩は見つめる。
「有馬が簡単に諦めるとは思えない。樹の隣にいて何を感じていた? 樹は笑っていただろ?」
「……僕は、犬飼さんと並べないよ」
「隣の席だと楽しいだろ? 樹は消しゴムのカスで練り消しを作ったり、ノート全面に落書きしたり、かと思えばノートに書き写すのに集中したり……隣にいないと気付けない事を有馬は知ってる」
「……龍崎、なにが言いたいの」
樹の隣にいて感じて来た感情を涼は知っている。
歩だって知っている。
だから、理解出来てしまうのだ。
「表情をコロコロ変えても、絶対に笑いかけてくれる樹が、俺は好きだ」
初めて見る歩の表情に涼は釘付けになる。
慈愛に満ちた天使のような微笑みは、愛する者へ向ける感情を表している。
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