第50話 最初で最後の勝利

 ナイフを刺されて、地面へと倒れこむアリス。 

 俺はそれがスローモーションに見えた。


「お、おい!」


 俺は慌ててアリスの元へ近づいて、彼女を抱き起こす。

 腹部からはおびただしい量の血が滲みだしてきている。

 これはまずい出血量だ。


「ア、アリスちゃん! しっかりして!」


 サチが泣きそうな声で呼びかけると、アリスはうっすらと目を開けた。


「ね、ねえ。私、今度は逃げなかったよ。少しは、主役らしく……なれたかな?」


「ばか! 主役だったら、死にそうになってんじゃねえよ!」


 くそ、やばいな。

 出血が激しい。このまま放っておけば間違いなく命に関わる。

 病院へ行っている時間は無い。


 本来なら主役はダメージを負っても、一瞬で傷は治る。

 属性のシステムさえ壊れなければ、こんな傷は問題無いのに……。


「私ね、力が欲しかったんだ。だから神様は、私に『絶対に勝てる力』をくれた。でも、違った。私が本当に欲しかったのはそんなのじゃなかった。負けても立ち向かう『強い心』が欲しかった。そう、鎌瀬君。私……本当は……君みたい……に」


 アリスの体から急激に熱が失われていく。


「おい! アリス! 死ぬな! お前がいないくなったら、俺は……っ!」


 チートに立ち向かうやられ役が好きなのに……そのお前自身がいなくなったら、俺はどうすればいいんだよ! 

 何を目標にすればいいんだ!

 お前は、いつまでも俺の挑戦に付き合ってくれるんじゃなかったのかよ!



「諦めないでください!」



 その時、とてつもなく『綺麗』な声が屋上に響いた。

 『聞いたこともない』ような美声だ。


「な、なんだ? 誰だ?」


 声が聞こえた方向を見てみる。

 そしてその声の主を見て、俺は驚きを隠せなかった。


「コ、コ、コミュ障ちゃん!?」


 凛とした姿で俺に声をかけたのはコミュ障ちゃんだった。

 その態度にいつものオドオドとした雰囲気は全くない。


「神様が作った属性は完全に破壊できません。天使さんの言葉をよく聞いてください!」


「代理ちゃんの言葉?」


 片言だったので聞き逃していたが、確かにさっきから代理ちゃんは何か呟いていた。



「タダイマ、セカイヲシュウフクチュウ。アトジュップンデシュウリョウシマス」



 タダイマ、セカイヲシュウフクチュウ。

 『ただいま、世界を修復中』!?


「はい! 属性を修復してくれているんです。あと10分で完了するみたいですよ!」


 代理ちゃんはこの世界を修復することができたのか! 

 しかも、あと10分で完了する。


 思えば、仮にも神が作ったシステムを完全に破壊することなんて、人間には不可能だろう。

 一時的に破壊は出来ても、すぐに修復されるようだ。


 つまり、10分耐えれば、アリスは再び『主役』となることができる。

 そうなったら、こんな傷は一瞬で治るはずだ。


「ち、余計なことに気付いてくれたね! チビのくせに!」


「あなたに小さいとは言われたくないです!」


 背の小さいコミュ障ちゃんだが、さすがに幼女の破壊王には言われたくなかったようだ。


「というか、コミュ障ちゃん。なんで会話ができてるの?」


「私、今は『コミュ障』じゃありませんから」


 そうか。属性のシステムを破壊されたから、コミュ障ちゃんは話せるようになったのか。

 普段の臆病な姿も属性によるものだった。

 それが破壊されたから、彼女はこうやって怯えずに済むようになった。


 属性の破壊は、不利な事ばかりでもないってことだ。という事は……



 ああ、そうか。そういう事だ。

 俺は今さらになって、とんでもない事実に気付いた。



 むしろ、なんでこれに気付かなかった。

 これは最初で最後の『チャンス』なんだ。


「ふん、じゃあ、今とどめをさしてあげるよ。属性が復旧する前に主役を殺しちゃえば、世界が戻っても、もうボクに敵はいないからね。ゆっくりと全てを破壊してあげるよ」


 破壊王がなおもこちらに迫って来る。手に持つ刃物が脅威なのは変わらない。


「サチ。お前は手当てが得意だったな。止血ぐらいはできるよな?」


「え? うん、それは大丈夫だけど……」


「じゃあ、アリスの止血を頼む。コミュ障ちゃんはサチを手伝ってくれ」


 止血さえできれば、アリスの体は10分くらい持つはずだ。

 ギリギリで耐えられるだろう。


「か、かーくんは、どうするの?」


「俺か? 俺は……こいつを倒す!」


 そうして、俺は正面からナイフを持った破壊王に向かい合った。


「あははは、何言ってるの? 『やられ役』のお兄ちゃんに何ができるんだよ!」


「お前さ。実はバカだろ?」


「……あ?」


 俺に馬鹿にされて、破壊王の顔が一気に不機嫌になった。

 そうだ。やられ役の俺に勝ち目は微塵も無い。為す術もなく殺されるだけだ。

 本来ならそうなる『はず』だった。

 だが、今は……


「お前が自分でやったんだからな。『属性』を破壊したのは、お前なんだからな」


「意味分かんないんだけど? お兄ちゃん、ウザいよ」


 俺は破壊王の言葉を無視して、三本の指を立てた。


「30秒だ」


「なに?」


「30秒で、お前を倒す。俺の計算は、完璧だ!」


「…………」


 破壊王は心の底から哀れな人間を見るような表情となった。

 イキったやられ役のイキった勝利宣言。

 はたからはそうにしか見えない。


「そうか。もういい………………死ね!!!!」


 そうして破壊王がナイフを俺に突き立ててきた。


「遅い」


 しかし、俺は破壊王の手首を掴んでナイフを止めた。


「…………は?」


 彼女にとって予想外だったのだろう。

 間抜けな声が破壊王の口から洩れた。


「いや、俺はお前に感謝しなきゃならない。お前のおかげで、俺は『因果』を歪められた」


「ど、どうして? こいつはやられ役で、弱いはずなのに?」


「あのな、お前は勘違いしているぞ。俺、本当は強いんだ。めちゃくちゃ努力してきたんだ。最強スペックなんだよ。特に反射神経には自信がある」


「え?」


「負け続けていたのは、やられ役という『属性』のせいだ。でも、その属性を破壊してしまえば、どうなるか分かるだろう? 俺はもう、『やられ役じゃない』。今の俺は『普通の強い男』ってことだよ! いや、ハッキリ言ってやる。今の俺は『最強』だ!」


「……な!」


 破壊王がようやく自分が犯した致命的なミスに気付いたらしい。


「もっと言うなら、お前はもう『ただの幼女』だ。ナイフを持っているとはいえ、そんなお前が、女を相手にするならともかく、俺みたいな最強に勝てると思うか?」


 幼女が強い……それは属性の世界だけだ。今はその属性は破壊されている。


「そ、そんな馬鹿な……こんなやられ役に!? は、破壊だ。破壊しろ!」


 空いた手で俺に触れて破壊の言葉を告げる破壊王。当然ながら、何も起こらない。

 あーあ。この子、パニックになっちゃってるよ。

 自分で属性のシステムを破壊しておきながら、属性に頼った戦い方をしようとしている。


 きっと破壊王は『敗北』したことが無いんだろうな。

 負けるかもしれない恐怖から、簡単に混乱してしまったようだ。


 対する俺は常に敗北する人生だった。いまさら負ける恐怖なんてない。

 そうだよ。俺はいつでも負け続けてきた。

 ピンチなんて珍しくないどころか、日常茶飯事だ。

 だから、相手がナイフを持っていようが、冷静に対処できるんだ。


「なんで? こいつはやられ役なのに! なんでだよ! うわあああああ!」


「ダメだな。全然ダメだ。足りない。力も、早さも、精神力も。そしてなにより……」


 破壊王のおでこにゆっくりと指を持っていく。




「敗北経験が足りないっっっ!!!」




 そのまま、思い切りデコピンを決めてやった。

 さすがに殴るのはちょっと気が引ける。


「ふぎゃあ!」


 それでも十分に痛いはずだ。

 最強の俺の『最強のデコピン』なんだ。

 あまりの激痛に、破壊王はナイフを地面に落とす。


「さあて、それじゃあ、じっくりと痛めつけてあげようかな〜。俺、女とか子供をいじめるのが、大好きなんだよね~」


「ひっ!」


 凶悪な俺の顔を見た破壊王は、心の底から怯えたような表情となる。


「あー。そういえば、かーくん。女の子相手には、いつも容赦ないよね」


「ク、クズだ。こいつ、本物のクズだよ! 怖いよぉぉ! うわあああああん!」


 耐えきれずに破壊王が泣き出す。

 今の彼女はもう王でもないただの幼女だ。

 俺みたいな人相の悪い奴に脅されたら、怖いに決まっている。

 精神的にも属性の効力は失っていたわけだ。


「俺の『勝ち』で、お前の『負け』だ。認めるか?」


「認める! 認めるから、酷いことしないで!」


 完全に戦意喪失したようだ。これで決まりだな。

 30秒ジャストである。





 俺の『勝ち』だ。




 勝った……そう、俺は『勝った』んだ。

 これで、因果は歪んだ!!

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