第20話 『鏖』
妖魔との戦闘を終え、一行は東方第一監視所へと辿り着いた。
しかし——
「妙だな。えらく静かだ」
いつになく神妙な面持ちで、漢那が呟く。
しかして直ぐには駆けて行かない辺り、尋常じゃない程に警戒しているということだ。
一つの都市のようなもの、とは言っても、壁に囲まれ、外界とは隔絶された空間。それが監視所——正式には『最警戒妖気観測拠点』だ。
桜花を中心として八か所、悪鬼酒呑童子の妖気を察知し次第報告を上げる為の観測拠点、というのが監視所の主な役割だ。
「僕が前に来た時は、もっと賑やかだった。確かに異様だ」
「来たことがなくとも分かる、重苦しい空気ですね」
ユウ、そして紗雪もその異常性にはすぐに気が付いた。
監視所で暮らす面々の明るく楽し気な声は、時に壁の外にまで漏れ聞こえる程。
それが聞こえないどころか、物音一つしない——いやそれ以前に、門番の姿すら見えない。
門扉の前に誰もいない、という時間は作らないような割り振りをし、必ず妖魔の接近をいち早く対処できるようにしている筈だ。
十分に注意しつつ、漢那を先頭に重い門扉を押し開けた。
…………道理で、静かなはずだ。
「……っ……! ひ、酷い……この、惨状は……」
息を呑み、思わず目を背ける紗雪。
「おいおい、こりゃあ……」
「どうなってる——一体誰が……」
漢那、そしてユウさえも、驚愕し、言葉を失ってしまった。
ミツキ、空に至っては、何か反応を示すことも出来ずに固まってしまっている。
「こんなのって……」
一同の眼前に広がるのは、視界を覆い尽くさんばかりの海——血の海だった。
斬られ、嬲られ、弾き飛ばされ——考え得るだけのあらゆる方法で無残にも殺された妖たちの亡骸が、そこかしこに転がっていた。
物音がしない訳だ。
そこにいる筈の、いた筈の皆が、絶命してしまっているのだから。
「お、おかあ、さん……」
やっとの思いで絞り出した声は頼りなく、誰の耳に届くでもなく溶けて消えた。
「おかあさん……おかあさん…! やだ、やだよ……ぁ、ぁあ、ぁああああ…‼」
空の叫びが木霊した。
耳を劈く程の悲鳴だが、それに何か答えることも出来ない。
何も考えずに駆けていく空の背中を、ただ茫然と見送るばかり。
「おかあさん、おかあさん…‼」
手当たり次第に死体の山を漁り、ここじゃない、そこでもない、と場所を変えて探し続ける空。
手伝わなければ——そう思っても、身体が動かない。
こんな惨状の中、トコさんだけが生き残っている可能性という方が、零に等しいと誰もが思っていた。
「空、くん……?」
声のした、壊れた建物の一画へと走り寄る空。
そこには、ガタガタと震えながらも、動かない頭だけの死体に治癒の妖術をかけ続ける、美弥の姿があった。
汚れ一つな純白の装束も、隅までムラなく赤く染まっている。
「美弥、さん……お、おかあさんは……?」
尋ねられた美弥は、少し間を置いた後で首を横に振った。
考えたくなかった、考えないようにしていた事実に、空は足元の力が抜け、その場にへたり込んでしまう。
「美弥さん……ここで、一体何が……?」
遅れて入って来たユウの声を聞いて、美弥はようやく現状を理解したかのように妖術をかける手を止めた。
「ユウ、さん……」
死体の山から身体を起こした美弥にも、鮮血に六腑にと纏わりついていた。
それを特に気にするでもなくはらうと、ユウの元へとふらり歩み寄る。
麻痺している——瞬時に、そう理解した。
美弥の性格も嗜好も満足には知らないが、例え知らなくとも、この光の消えた両の目、そして周りの誰に目もくれずにこちらへと歩み寄る辺り、しばらくずっとこの環境に置かれていたが故、精神が摩耗してしまっているのだ。
「みーんな、殺されちゃいましたねぇ」
ふわふわとした口調で話す美弥。
けれどもこれだって、ただ平然と喋っている訳じゃない。
何も分からなくなってしまっているのだ。
「ユウさんは、どうしてこんなところまで?」
「仕事だけど——いや、僕のことはいいんだよ。美弥さん、ここで何があったのか、話せる?」
「えー? えーっと……どうだったかしら。私はいつも通り、監視所の皆さんの治療や診察をしていたんです。そうしましたら、外から何かを叫ぶ声が聞こえて、すぐに警備隊の方々が慌ただしくなって——それから先のことはあんまり知りません。結果、見ての通りですね」
「見ての通り……美弥さんは、どうして『あれ』に癒術を?」
「えー? だって、『ようぶ』さんって妖魔さんに言われたから。『お前は癒術師だな。ほらさっさと治してやれよ』って。癒術師としてここにいる私のお仕事でしょう? だから、患者さんのことは放っておけないもの」
語る眼に生気はない。
話す内容も滅茶苦茶だ。
「患者……美弥さんは、これが患者に見えているんですね」
「これ、だなんて。もう、ユウさんったら、乱暴な言い方はめっですよ?」
「…………ごめん」
「ええ、ええ。分かって頂けたのな、ら……」
と、意識を失い力なく倒れる美弥の身体を受け止める。
「これでよかったのかい?」
美弥が立っていた向こう側から、漢那が尋ねてきた。
意識を失ったのは、漢那が美弥に手刀を見舞った為だった。
「うん。ごめんね、美弥さん」
抱き止めた美弥を抱えると、ユウは建物を後にした。
隣には、無気力にもはやその場に『在る』だけの空の姿も。
「これ以上壊れてしまってからじゃ、取り返しがつかないことになる」
「既に手遅れな気もするが——聞きたいことは聞けた」
「はっきりと『妖憑』って言ってたね」
「うむ。しかし——」
漢那はチラリと、ユウの傍らに立つ空に目をやった。
何が言いたいのか、すぐに理解した。
「一旦、別行動としよう。漢那、空を別のところに連れて行ってあげて」
「……すまんな、副長さん」
「子どもの心っていうものは、簡単に壊れてしまうからね。こっちのことはいいから」
「かたじけないな。空、此方へ来い。儂と一緒に、外の空気でも吸いに行こう」
空は何も口にしなかったが、少しした後で、漢那の方へと歩みを進めた。
ただ固まったままでなかったことは不幸中の幸いだ。
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