第16話 『漢那』

(追いかけて来てるね。よし——)


 そろそろ頃合いかと、足を止めようとした矢先。

 視界の端に、先ほどよりも更に音を殺した獅子の姿を一瞬捉えた。


「くっ…!」


 辛うじてその奇襲を避けることは叶ったが、体勢を崩してしまった。

 その隙を見逃さない獅子の強かさたるや。

 一斉に踏み込み、その大きな牙を突き立てんと、ユウへと突進してゆく。


(こんな木々の多いところじゃあ、咲夜様の長巻は振れない。振れたとしても、こいつらの速度には着いていけない。でも——)


 ユウの普段使いする得物は、短刀二本。

 これでは、致命傷は愚か、そもそも傷を与えることが出来るとも思えない。


「まいったな、これは」


 溜息交じりに獅子の攻撃を避け続けるユウ。

 影からの攻撃でなければ、直線的な獅子の攻撃を避けることは簡単だ。

 しかし、それではいつまで経っても事態は進展しない。

 ユウの体力とて無限ではない。大勢いる分、獅子の方が走り続けられることだろう。


(数は多いけど——一体ずつ、何とかするしかないか)


 次々と襲い来る猛攻が止んだその暇に、ユウは拾い上げた掌大の小石を、先頭に立つ獅子の眉間目掛けて投げつけた。

 怯みこそしなかったものの「なんだ?」とばかり視線を揺らす獅子。全力の踏み込みでその懐へと潜り込むと、がら空きの両目目掛けて短刀を突き立てた。

 分厚い毛皮に覆われた皮膚に届かないのなら、まずそこから狙うのは定石。

 確かな手ごたえに、事態はようやく動き始めた。

 五月蠅い喚き声を上げてのたうち回る獅子。

 先頭の一頭が訳の分からない行動を取り始めれば、動物でも一瞬は焦り、場が乱れる。


 その一瞬こそが、戦場では一隅の好機。

 ユウは続く二頭目、三頭目と、順当に目玉だけを的確に狙い打ってゆく。

 それでもすぐに立て直し、再度陣形を取るとうにして一歩退く獅子は、流石は野性の動物と溜め息を吐く他ない。


「はぁ、はぁ……あと何頭だ……?」


 肩で息をしつつ、ユウはその残数を確かめる。

 周囲を取り囲む獅子は三頭。ここまでで目玉を潰した獅子は、嗅覚を頼りにこちらへ攻撃を続けようと走り回ってはいるが、辿り着くことは未だ叶っていない。


(あと三頭だけなら——)


「何とかなるってんなら、そりゃあこの儂がいる時を置いて他に無しよ!」


 威勢のいい声が木霊した。

 思わず目を向けた上空から一つ、こちら目掛けて影が落ちて来た。


 ズンッ!


 大きな音を立ててすぐ眼前に着地を決めたそれは、構わず目掛けて突進して来た獅子の牙を容易く掴んで静止した。


「応応、元気な猪だ! 今夜の夕餉としてやろう!」


 威風堂々しなやかな筋骨、その体躯に似合う声色と口調が目を引く妖。

 ユウには、一人しか思い当たる相手はいなかった。

 それも、溜息交じりに苦笑するような。


「やぁやぁ第一部隊の二番手! これはご健勝のこととお見受けするが、随分と消耗しておるようだな!」


 獅子の牙を掴んだまま、顔だけで振り向く男。


「そういうお前は、また一段とやかましくなったんじゃないか?」


「はっはっは! それは良きこと! 良きことだ! 妖たるもの、いつ何時でも豪快さを損なってはならんからな!」


 大口を開けて豪快に笑う様もよく似合う。


「それより——」


「おっと副長さん、積もる話はこの猪を煮込んでからにしませんかい?」


「……同感だ。お前はその一頭を頼む」


「一頭と言わず——何頭でもよ‼」


 気合十分。

 腕力だけで押し返した獅子が足をもつれさせたその隙に、地面に突き立てていた薙刀を振り回す。

 それはさながら曲芸士のようで、右手左手、背面で足でと、その扱いに長けた者の演舞を見ているように鮮やかである。

 居合等の抜刀術を得意とする紗雪は正に『静』の美しさを誇るが、こちらも豪快さ故の華というものがある。

 傍目に映るその様は、正に戦場で舞踊するが如き戦いぶりだ。


「そらそらそら! 東方第一監視所が頭目、漢那かんなの振るう刃の味、確とその身に焼き付けろってな!」


 斬れぬ毛皮など何のその。

 もっと厄介な動物や妖魔を相手に修行の日々を送っているに漢那とって、九十九獅子など夕餉の具材程度の相手だ。

 一頭目の首を斬り落とすと、そのまま二頭目、三頭目と同じように仕上げてゆく。そうしてあっという間に、


「うむ、肩慣らしにはなったな」


 自分が苦労して苦労してやっと倒した獅子を『準備運動』とは。

 出会い頭とは違った溜息が零れるというものだ。


「応応、副長。項垂れるのは可笑しな反応だとは思わんか? 儂は確かに力自慢だが、お主にはそれ以外の力があろう。適材適所。何事も、出来る者が出来ることをすればいいだけのことよ」


 そんなユウの胸中を読み取った漢那が、当然のことのように言いながら歩み寄る。

 口調が口調なら、その内面もまた同じ。

 物事は至って簡単なことだ、というのが、轆轤首の一族である漢那の考え方だ。


「なら、僕がこれまで斬った六頭のことも……」


 言いかけて、やめた。

 すぐに辺りを確認する。

 一、二、三……漢那の斬った三頭と合わせて、九つしかその首がない。

 数え間違え、という訳ではない。


「まずい、漢那…! 雪姉たちが危ない…!」


 そう。

 あの時、確認した獅子は確かに十頭いた。

 獅子は捉えた得物を逃がさない。紗雪に目を付けて奇襲まで慣行していたあの獅子だけは、どこかで標的を向こうに変えたのだ。

 九十九獅子という種の狡猾さ、そして知恵を、どこかで失念していた。

 その可能性など、幾らもあった筈だ。


「なんと、あの雪女さんまで同道しておるのか? それは一大事! 疾く居場所を教えろ!」


 漢那の目がギラリと光る。

 紗雪の名前を聞いて、いてもたってもいられなくなった——早い話が、漢那は紗雪に気があるのだ。

 もっとも、当の本人にはその気がなく、軽く往なされ、これまで幾度となく玉砕してきたわけだが。

 修行の身であったユウが監視所を訪れた折、妖とは違う気配にいち早く気付いた漢那が、勝負だ手合わせだと何度も挑んで来た。

 空と出会ったのも、丁度その時だ。

 漢那は空にとって、性格と武力共々、もっとも敬愛する妖なのだ。

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