第15話 『九十九獅子』
小さい山を幾つか越えた先でようやく、遠くの方に第一監視所を見つけた。
空のことはユウがどこかの時点で説得したらしく、桃だ宝だと言うことなく大人しく山道を歩いていた。
何度か妖魔と接敵しながらも、全員被害はなく、もう少しで無事に辿り着けるだろうという具合だ。
「あと少しで——しっ。皆、止まって」
先頭を歩くユウの言葉に皆足を止め、次いで『腰を屈めろ』との合図にしゃがみ込む。
「ユウ、どうしました?」
最後尾を任されている紗雪が尋ねる。
「
ユウの言葉に、紗雪、そして空が顔色を変える。
何のことだか分からないミツキには、その後ろを歩く紗雪から情報を共有された。
二
硬く鬱蒼とした毛皮は刃を通し辛く、簡単に反撃に転じることも出来ない。
それだけ厄介な特性を単体で兼ね備えていながら、最も面倒なのは、その獅子が群れで行動する習性があるということ。知能も高く、仲間と連携するように対象を狩る。
十頭以上の群れでしか確認されたことがなく、過去その獅子の群れを討伐する為に派遣された部隊の生き残りに言わせれば、『ただの十頭でも、まるで百に迫ろうかという程に面倒だった』と。
九十九獅子と呼ばれ始めたのは、その部隊の苦悶に満ちた表情からなされた報告が元だ。
「でもおかしい。獅子の生息域は、もっと北側の寒い地域だ」
「う、うん……ボクだって、姿を見たのは初めてだよ。あんなに大きいんだ……」
第一監視所の更に奥手に見える大きな山。獅子は、それを越えた先から第二監視所までの厳しい環境下で生きている筈なのだ。
「ユウ、如何致しますか?」
紗雪の問いへの答えは簡単だった。
「苦しいけど、何とか迂回しよう。ミツキと空を護りながらだとしんどい相手だ」
ユウの判断に紗雪が頷く。
それは紗雪も考えていたことであった。
二人だけで得物を振り回すならまだしも、後ろに控えさせた二名を護りつつ仕留めていくには、些か厳しい相手。
獅子は知能が高い。仲間と狩りをするように獲物へと近付く習性から、後ろばかりに気を付けていればいいというものでもない。
「まだ獅子の索敵範囲に踏み込んでなかったのが幸いだね。僕は空を、雪姉はミツキをおぶって移動しよう。物音は極力少ない方がいい」
獅子が勘付く前、遠目に見つけられたのは不幸中の幸いだ。
ユウの指示通り、紗雪はミツキをおぶり、ユウも空をおぶってゆっくりと後退し始めた。
一歩、二歩、三歩——確実にその距離を離してゆく。
しかし、もう少しで大丈夫だと思えるところまで迫った辺りで、
「さゆき、ひだりにとんで…!」
ふと響くミツキの声に反射的に跳び退って出来たその空間へ、大きな牙が力強く振られた。
いつからそこに来ていたのか、或いはいつからそこにいたのか、もう一頭の獅子による奇襲だった。
「雪姉…!?」
「大丈夫です。ありがとうございます、ミツキ」
油断していた訳ではない。
ただ、獅子は妖魔と違ってただの獰猛な動物故、妖気でその存在を察知することが出来ない。
物音、肉眼で情報を捉えるしか、警戒する術がないのだ。
獅子の牙が太い木の幹を両断した物音に、遠くの方にいた獅子たちも気が付けば目先へと迫って来ていた。
「まったく、この体躯でどうしてそんなに物音がしないかな」
困り呆れて、ユウは溜息交じりに呟いた。
あっという間に八方塞がり。それぞれの大きさも尋常ではない。目先まで迫っていた獅子は、その全てが四間はあろうかという巨躯だ。
監視所はまだ遠い。
しかし、ここは幸か不幸か森の中。
(……全部で十、か。試してみる価値はあるかな。全滅するよりマシだ)
一つ深呼吸を置いて、ユウはおぶっていた空をおろした。
「うわっ! ゆ、ユウ兄ちゃん?」
きょとんとした顔で見上げる空に、ユウは優しく笑いかけた。
「空。君には悪いけど、少しの間だけミツキと一緒に居てくれないかな?」
「え、あの妖魔と……なんで?」
「うーん。話すと長くなるから、後で雪姉にでも教えてもらって」
と、ユウは紗雪に目配せ一つ。
瞬間、焦った様子で目を見開いた紗雪だったが、その真意をすぐに汲み取ると、空を自身の近くへと抱き寄せた。
「ミツキ、空くん、少し驚くかも分かりませんが、絶対に私の身体を離さないでくださいね」
「う、うん…!」
「わかった!」
何が何やら分からない空は、ただ頷き、紗雪の身体にしがみついた。
ミツキも、背中から回していた手に、今一度力を籠める。
「五」
ユウの声に、取り囲む獅子の身体がピクリと震えた。
「四」
数えに合わせるようにして、獅子が突進の姿勢を取る。
紗雪は、ユウの作戦に備えるべく、妖気を練る。
「三、二」
そして、
「一!」
堰を切ったよう、獅子の大群がユウ目掛けて飛びかかる。
それを丁度避けるようにして、紗雪は足元から氷柱を創り出し、一気に遥か上空へと跳びあがった。
「ご武運を」
「うん、すぐに追いかける」
獅子の大量の牙をしゃがみ込んで避けていたユウが力強く頷くのを見届けると、紗雪はそこから横方向にもう一本氷柱を創り出して自身を含める三名を弾き出し、遠くの方へと滑空していった。
「よし——」
ユウが見やる方向に早くも何かを感じた一頭の獅子が踵を返そうとする。
その隙を殺すことこそ、ユウがここに単身残った理由だった。
九十九獅子は、一度獲物と見定めた相手は、殺し、その肉を喰らうまで追い続ける。嗅覚も視覚も良く、見失うことも滅多にない。
何とかしてバラバラにでも逃げたところで、いずれ追いつかれてしまうのが関の山。
誰かが残り、それを倒しきる他、逃げ切る方法はないに等しい。
ユウは覚悟を決めると、その一頭に小石を投げつけて注意を引き付けた後で、構えていた大太刀を鞘ごと力任せに振り回し、そこにいた全ての獅子の足を殴りつけた。
鈍い痛みを覚えたその表情は一変し、確かな敵意の籠った目でユウの方へと視線が注がれる。
「鬼さんこちら、ってね。ほら、獲物はか弱い人間一人だけだよ」
一つ、また一つと襲い来る牙を何とか避けて囲いの中心から抜け出すと、ユウはそのまま紗雪たちの逃げた反対方向へと走り出した。
目の色を変えた獅子も、その後を追って走り出す。
(よし、それでいい。問題は——僕が一人でどれだけ対応出来るか、だ)
どこかで逃げ切れている皆の無事を祈って。
幾重にも重なる背後の足音を確認しつつ、それらとの距離を一定に保ちながら、ユウは走り続ける。
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