第40話 あなたにとっての神の実在を問うてみよう

 その部屋では時間の止まったようにゆったりとした空気が流れていた。


 部屋には2人、コルバンとジェーン・ドゥ。


 その空気の形成はジェーンがノンビリと紅茶を味わっていたからであり、むしろ部屋の主であるコルバンは心穏やかではない。


 彼は部屋の中で眉間に皺を寄せている。


「どうされましたの?」


 その露骨な態度にジェーンはすまし顔で聞いた。

 手持ち無沙汰に手元のティーカップを口に運びながら。そして紅茶を一口含む。


 状況の推移は逐一コルバンから聞かされており、首尾は予想の範疇。


 いや、予想通りある程度の犠牲は出している。

 それが、この男には気に食わないということか。

 それが、彼女にしてみればこの男の面白いところだと評価しているが。


「いえ、少しね」


 そうやって落ち着きはらいコルバンは答えた。

 しかし目下、彼を悩ますのは2つの出来事。


 まず、ウィンター・ミュートの記憶の封印が解かれた。


 あれだけ厳重に封印したはずが……ドンピシャで彼女の記憶を刺激する要素でもあったのか——と考えつつ、それについては——まあ、良い——と結論付ける。

 どの道こうなることは覚悟の上でウィンターを運用していた。

 仮にどう動いたところで戦況への影響は小さい。

 後々の対処が大変かもしれないが。


 それよりも、マリアナの死んだこと。


——あいつ……結局離脱しなかったのか


 という思い。


 そう思うものの漠然とそうなる気はしていた。

 そもそもそうするだろう想定の元、作戦を組み立てた節はある。

 彼女が本気になればなるほど本筋の作戦へ注意が向きにくくなるからだ。


 とはいえ、死なないならその方が良かった。


 誰か死ぬ前提で作戦を立てる馬鹿な真似を彼はしない。

 極めて死ぬ可能性は高くなってしまうが。


 なんにせよ、長い付き合いではあった。


 そう思いつつ、コルバンはタバコを一本取り出し口に咥え火を付けて


——死体も残らないのは少し、堪えるこたえる


 そう思いながら煙を吐き、天井の空調にそれはフワリと吸われていく。


◆◆◆◆


 アリーシャ・ドロステは長い階段を降り続けていた。

 事前に手に入れた情報通り、マンションの間取り図に描かれていない秘密めいた隠し階段を発見。


 その階段が思いの外、長いので降りるのに苦労していた。

 いや、長いだけなら彼女の脚力をもって瞬く間に踏破しただろう。

 問題は断続的に続く周囲からの無人兵器の応酬。

 大量の爆弾を抱え特攻をかますドローン。

 踊り場に設置された自動迎撃タレット。

 いやらしく設置されたワイヤー式クレイモアにプラスチック爆弾。


 切り抜けた先で既に罠が作動し、一歩進むたびその次が待ち構えている状況。


 ただ、それらをハイペースに無言の流れ作業で切り抜け、汗一つ流さないそのタフネスと技巧ははなはだ人外じみてはいた。


 その愛剣が爆発物の信管を正確に裂き、銃器の解体を助ける。


 その折にやや下の方、階段の手すりに腰掛けてソレは現れる。

 黒髪の長く伸びた女。

 それまでいなかったのに突如出現したその姿。

 着崩したスーツ姿で


「やあ」


 とやけに耳に入り込む声での挨拶——反射的に距離を詰めその首へ聖剣の刃を据えた。


 その姿はまさしく事前に聞いた『外道者アウトサイダー』の首魁の姿、『棺姫』そのもの。


 その時、周囲の攻撃が唐突に止む。

 己を巻き込むから、というわけではないだろう。何やら自身の姿をあちこちに創り出せると聞いている。

 であれば目前の存在は幻のような物。


「あなたが棺姫……いや、正確にはその分身……」


「そうだね——」


 と言った瞬間スイと力を込めその首を削ぎ落とす。

 少しの間、その落ちた首と胴を幻視して、次の瞬間霞のように消え振り終えた聖剣の上につま先立ちの姿で現れた。

 重さはない。

 先ほど切った感触も無かった。


「いきなり物騒じゃないか」


「あなたの言えたことですか?」


「……それもそうだ」


 そう言って薄気味悪く笑っている。

 妙に他人の心を落ち着かせる、心に入り込んでくるような嫌な笑みだった。

 その一方で人間の形成することは叶わない作り物めいたアルカイックスマイル。

 まったくもって気に食わない。


「何をしにここへ?まさか、この先にあなたの本体は存在しないと言いに来たので?」


 これは薄々アリーシャの感じていた懸念。

 というよりは合理的な思考だ。

 居場所がバレているなら、それを別の場所に移すのは当たり前のこと。

 例えばここから最も離れた最上階に。


 それでも確認しないわけにいかず、この階段を降り続けているわけだが。


「いや、この先に私はいるよ。正確には私の存在が収められた棺がポツンと。他には誰もいない」


 聖剣の上の彼女を振り上げざま縦に裂こうとして、それは剣の上昇と共にふわりと浮いて、上段へ着地。


「君の相手は他のメンツじゃ務まらない。だからこの下で仕留めるとする……」


「できるとでも?」


「まぁ……無理だろうね」


 間髪入れずに否定。

 勝てないと言っている割に随分落ち着いた様子。


「ああ、あくまで私1人では無理という話だ。もうすぐ彼が来てくれる……」


「彼?」


「うん。彼が現れるのを私はずっと待ちつづけていたんだ。この気持ちは愛と言ってもいい……時に、君は親と子の繋がりを信じるかな?」


 もはや、アリーシャはその話に言葉を返すこともなく。

 意味が分からないというより、この問答に意味は無いだろうという思考。

 後はただ棺姫が話すのみ。


 それでもほんの数十秒の間、その場に彼女をとどまらせ聞き続けさせた棺姫の魔性の為せる技。

 人の心に手を入れるすべ


「例えば親が子の危機を察する。そういう第六感。他に犯罪者の子は犯罪者になる迷信も根強いよね。立派な人の子は立派な人になる期待もそうだ。それらは科学で証明されず、でも多くの人が信仰する。だから、それはうっすらと静的現実に反映されているんだ」


 そしてパッと消えて、次の瞬間にアリーシャの背後で耳元、口を寄せ


「だから、私には分かるんだ。もうすぐ彼がやってくると……始祖の『外道者アウトサイダー』がね——」


 少し距離を取り、


「——しかし君たちの信ずる神はいつまでも静的現実に反映されない。これは随分な皮肉と思わないか?存在しないものを信じさせるためそんな物まで作って……」


 そう言ってすがめる様な、見下すような視線がアリーシャの『聖剣』を眺めた。

 対し視線で返すアリーシャはそれを特に否定しない。


 極論として、彼女が神ではなく神を想像した人間を信奉するからだ。

 その神を再現しようとする人の試みを彼女は尊いと考えるからだ。

 そして正面へと『棺姫』は姿を移し、


「——少し、話しすぎたカナ……それじゃあ下で待っているよ。私の知る限り教会で最も強い人間の君を……」


 そう言って現れた時と同じ唐突さで消え失せ、間髪入れず爆弾を抱えたドローンの襲撃が再開し、アリーシャはそれを振り向きざまに切り伏せた。


 待っているとは言ったが簡単に通す気は無いようだった。


◆◆◆◆


——頭の中が妙に冴えていた


——大切な人が死んだのに妙にクリアで落ち着いている


——それが漠然と、虚しい


 そう思いながら彼は白銀の光をジャケットの内より引き抜いた。

 ショルダーホルスターに収めた半自動拳銃、その大型のデザートイーグルを。


 この距離、圭介とウィンターの間にわざわざ撃つには近過ぎるだけの距離が横たわり——それでも至近へ詰めず撃ち殺しにかかるのは彼女の魔術を警戒してのこと。


 触れた相手を即死させる魔術を。


 抜いて、構え、撃つ、という3アクションの中で構えるという動作を極限まで省略した素早い射撃。


 「構える」とは狙いをつけ反動を抑える役目。

 この距離ならわざわざサイトを覗く必要はなく『外道者アウトサイダー』の筋力は反動はほぼゼロに抑え込める。


 そうして射撃にかかった時間は0.1秒をゆうに切り、彼は至近距離の戦闘に比べ銃の扱いがだったから、たった2射にそれだけの時間がかかった。


 その弾速は音の速さを超えるため、響く頃に着弾を終え、それはウィンターの胸に穴を開けることはなく、手のひらに阻まれチリとなって消えてゆく。


 彼女はその弾を見切ったのでは無い。

 弾道を読んだのだ。

 銃口と圭介の手ブレの無さは、下手な鉄砲よりむしろ読みやすい攻撃となっていた。


 銃という科学の武器が裏社会に蔓延して以降、荒事を担う魔術師達は一般のヒットマンと一線を画すため、その銃弾を凌ぐやり口を模索する必要に駆られた。


 それが可能であるかどうかが一流とそれより下の境界線となったのだ。


 とはいえ、大概の者は9ミリパラベラム——一般的な拳銃弾に対処できるのみで、この時デザートイーグルのマグナム弾の、その威力を完封し、完全に殺した技術はあまりに隔絶している。


 だからやや予想外ではありつつも、圭介はそうであって欲しいと願っていたことを自覚した。


 そうでなければ嬲り殺し甲斐が無い。

 ただ、殺す。

 お前はこの先死ぬだけだ——その純然たる殺意。

 他者の命を顧みない、純粋な『外道者アウトサイダー』の本能。


 それを刃物のように突き付けられて、むしろウィンターは状況の理解に苦しんでいた。


 記憶は大幅に欠落している。

 己が何者かもおぼつかず、そもそも自身の魔術もいくらか劣化しているような……漠然とした認識。


 その状況下、彼女の練り上げた策は


「話をしない?」


 対話。

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