第32話 闘争前 後編

 雨が降りしきる中、近くに停めていたワゴン車へコルバンは戻る。


「おかえりなさい」


 そんな彼へ声をかけるウィンター・ミュート。彼女は助手席に座っていた。


 スーツケースはすでに後部座席へ横たえて後はエンジンをかけ、中身を然るべき場所へ届けるだけ。

 アリーシャ・ドロステの待つ場所へと。


 そして引き取りが無事終わったことで若干落ち着いたコルバンは胸ポケットからタバコを取ろうとして、それをやめた。


 隣にウィンター・ミュートが居たせいだ。

 タバコの匂いは彼女の記憶を刺激するかもしれず、その様子に小首をかしげた彼女を横目に彼は車のエンジンをかけハンドブレーキを外した。


「吸わないんですか?」


「ん……ああ」


「どうして?」


「どうしてって……あー……身体に悪いからだよ」


 適当に答えたのでどうも釈然としない感じになってしまう。


「そうですか……じゃあ、それ、私が吸ってみても良いですか」


「それは……あー……」


 それも嫌だった。

 一体何がトリガーで記憶を取り戻すか分かったものじゃない。だから、いざとなればすぐ取り押さえられるよう最近は連れ歩いている。

 それに、彼のこのタバコはもう新しく製造されていない。

 製造中止の話を聞き、すぐさま買えるだけ買い漁った彼にとっての貴重品。

 決して美味くも不味くもないタバコだが、そこが気に入った一品で……しかし、何を思ったか


「いや、一本やるよ」


 と言い放つ。

 唐突に恵んでやる気になったのは、この自分で拵えたこしらえた剥製ゾンビにビクビクさせられっぱなしだったのが癪だったから。

 それゆえの反骨精神が誘発した行動。


 慎重な彼がストレスを溜めた際、時折見せるほんの少しの反骨精神。


「え、あ、ありがとうございます」


「ああ」


 のみならず、今後運用するなら彼女の記憶の封印がどれほど強固か確認した方が良い——という打算も含まれている。


 そして、見様見真似でタバコを咥えるウィンターと、その先端に火を付けるコルバン。

 使い慣れたジッポはなめらかに着火して


——スーっと煙が彼女の唇へ吸い込まれてゆく


 初めてにしては慣れた手つきでウィンターの艶やかな唇へ。

 傍目に見れば未成年喫煙にも見えただろうが、容姿だけなら大人と子供の狭間の彼女はタバコの吸い方が板につき、この時だけは成人の側に傾いて見えた。


「タバコ……初めて吸います……」


 口から吸い口を離し、ボンヤリした一言。

 煙を吐いた彼女。

 吐かれた煙はメンソールの匂いがした。


「うまいか?」


 初めて吸ったやつに美味いも不味いも分からないだろうに——とは思いつつ。


「わかりません。でも……」


 そう言って再び口をつけた。


「なんだか懐かしい気がします……」


「……そうか」


 それだけ言ってコルバンはしばらくその様子を眺め、車のギアを切り替えペダルを踏んだ。


◆◆◆◆


 夕暮れが曇り空に隠れ、こんな天気は風情が無い。

 そう思いながら車を止めたコルバン。


 やや暗く、薄光がさす工業地帯。

 さびれ切った廃工場の建ち並ぶ中で外を眺めたのは少しだけ。

 周囲には人1人とて見当たらず、それはいつものこと。

 時折子供の遊び場になることはあっても、今、この時に限りそれすらない。

 さらには宙を舞うカラスすらもその周囲へ侵入を避けている……いや、白い、身の大きな鳥がコルバンのちょうど真上で輪を描き飛んでいたが、その程度だ。


 終日降り続く雨の中で傘をさし、工場の敷地へ踏み入ったコルバンとウィンター・ミュート。特に迷うこともなく彼らはトタン板のある家屋へ向かう。

 元はなにかの機材が置かれ、稼働していた巨大な工場の残骸。錆び付いた建物へと。


 資材搬入も兼ねる巨大な扉をコルバンは片手で開ける。例の聖剣を収めたスーツケースをもう一方の手で持っていたから。

 そして傘は器用に片手で閉じウィンターに押し付け、


「ああ、まだやってたのか」


 そうやって中へ居た人物達へ一声かける。

 その数は2人。


 雨粒が屋根を叩く雑音の中、アリーシャ・ドロステはコンクリートの床に立ち、纏っているカソックはチリ1つなく、少し下を眺める。

 その視線の先に白髪の少女、マリアナが床に這いつくばっていた。


「いや、今終わったところですコルバン……それで、いいですよね?マリアナさん」


 少しコルバンに話した後視線を戻し、マリアナに言い放つアリーシャ。

 対しマリアナは苦虫を噛み潰したように


「分かった、分かりましたよ……」


 と不貞腐れて言う。

 彼女は傷こそ身体の性質で完治しているが、衣服が汚れているのをコルバンは見かねる。


「あー……適当に着替えて、シャワーも浴びてこい、ここそういう施設は残してあるから」


「……」


 無言で恨みがましい目を向け、そのやり取りを経て重そうに体を引きずって歩いてゆくマリアナ。その背中を見送った後、


「どうです?あいつ」


 やにわにアリーシャへ聞く。


「だいぶ持ち直したと思いますよ」


「なら、いいですけど……」


 そう言いつつ、さっき吸い損ねたタバコを一本取り出し、彼は吸い始めた。

 とりあえずウィンターの記憶の封印は完璧とみなして。


「あいつが使えないとなると、剥製ゾンビの消耗が激しくなる。そろそろ立ち直ってもらわないとな……」


「私は……別に良いですけども………やり方が過激じゃないですか?」


 少し咎めるような響き。

 前線に復帰したアリーシャへ最初にコルバンが命じたのは貴重な戦力、半吸血鬼ダンピールであるマリアナを説得することだった。

 龍三が死んで、それ以来塞ぎ込んでいた彼女を必要なら暴力を交え復帰させる役割。

 無傷でマリアナをボコボコにできるのはそれこそアリーシャぐらいのもの。


「否定はしませんよ。アイツをぶん殴ってでも発破かけないと動かなさそうでしたし。今回は戦力を温存する余裕があまり無い。総力戦です。あいつが戻ってきたら2階で今後の話をしましょう。全員で……もう何人か2階に来てるんですよね」


◆◆◆◆


——コルバンとウィンター・ミュートが工場へ到着して、30分後


 その部屋は元々工場の管理者が事務作業を行っていた一室。

 隅の階段を登ったすぐ先にある。


 それがこの時はある人物達が密かに策謀をめぐらす中心地へ変じ、この時この場所に集まったのは7人。


 一部「にん」という単位で数えて良いか怪しい者もいたが、それはさておき——


 この部屋へ最後に入ったコルバン・ルガーは簡潔に


「全員揃っているな?」


 そんなふうに声をかけた。

 金属製の事務机と椅子が特に片付けられることもなく、撤去されず放置され見渡した視界で、各々好きなように好きな場所へ全員腰掛けていた。


 そんな面々の顔をコルバンは眺める。


 まずはコルバン・ルガーの手により生み出された剥製ゾンビ

 ウィンター・ミュート。

 部屋の隅で何を考えているのか、適当な事務机に座りボケっと口を開けている。


 2人目。

 コルバンの正面、やや離れた位置で椅子に行儀良く座るアリーシャ・ドロステ。

 その視線はコルバンではなく、彼の持つ厳重な封のスーツケースへ向けられていた。


 3人目。

 半吸血鬼ダンピールのマリアナ。

 先ほどシャワーを浴びたばかりの彼女はその匂いを漂わせつつ不承不承といった表情で適当な椅子に座り——


 4人目。

 その少年は、その機嫌の悪そうなマリアナだけでなく、室内の誰からも距離をとるように部屋の隅でキョドキョドとしながら周囲に目を向ける。

 しかし見るべきはそのいびつ

 その顔が少年のようなのに背丈は180センチを超えて、大人の体に子供の顔を取って付けたようなチグハグさ。

 彼の名はギブリール・ドゥームと言う。


 5人目。

 一際小柄で、顔の右半分がひどい火傷跡のようにケロイド状の赤毛女。

 あらゆるものに苛立ちを向ける目と、先ほどより指を忙しなく動かす彼女。妙にせっかちなのか時間に厳しいのかコルバンへ「遅くないですかぁ?」と不遜にも文句を言う。

 彼女の名はチャミュエル・カーリー。


 6人目。

 面長で狐のように細い目をした優男。

 その顔に表情と呼べるものはなく、幽鬼のような存在感は茫洋として掴みづらく。

 彼の名はただ一言、アンゲルスと言う。


 彼ら6人。

 コルバンを除けば計6人の名を彼は呼ぶ。


「ウィンター・ミュート

アリーシャ・ドロステ

マリアナ

ギブリール・ドゥーム

チャミュエル・カーリー

アンゲルス

——全員揃ったか」


 全員——というのは無論『殲滅部隊』の中で極めつけの才や能力を持つ者全員という意味だ。それがコルバンも含めて7人。

 その他の隊員も多数この街へ潜伏し、命令を待ち続けている。


 その戦力の詳細は細やかな情報に至るまでコルバンの脳にインプットされており、その全てを改めて思い浮かべコルバンは


「ふ」


 少し吹き出した。

 それにこの場にいる各員が目を向ける。

 ある者は苛立ちを、ある者は不可解を、ある者は困惑を感じて。


「いや、普段こういう一団となる作戦は想定こそすれ実際にはやらないから感慨深くてな……」


 本当はそれだけではない。

 だが、その感情を今は語るまい。

 この部隊を取りまとめる者として。


「いや、悪い。とっとと話を進めよう。『外道者アウトサイダー』を壊滅させるための作戦を、な」

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