彼方の地平
宮田秩早
第1話 むかしばなし
お客人、よくいらした。この家が客を迎えるのはいつ以来だろうか。
従姉のレッキはあまりそういったことに関心がなくてね。いや、人嫌いではないんだが。
私?
私は人と会うのは大好きだよ。だがまあ、いまはこのありさまだからね。みんな驚いてしまってなかなかゆっくり話もできない。
そういうえば君は驚かないのだね?
生首。
これがいまの私のすべてだ。
七つある頸椎のうち、胴に近いふたつ目より上。
これでも昔は近隣を脅かす吸血鬼だったのだよ?
ああ、そういえばそのときも客人はすくなかったな……私は客になる方で、客を迎えることはあまりなかった。もちろん、なにも知らない客人を迎えた時は、心ゆくまで愉しませてもらったよ。まあ、客もまた楽しんでもらえたかどうかは知らないがね。
かつての住処はこの屋敷ではなかった。ほら、ボーデン湖のあたりだ。この黒森の東。
だが五十年ほどまえにね、ほら、あの大戦の。君はまだ生まれてなかったろうが……この国の敗戦も近い……そんな時分だったか。
首を切られたのだ。そしてこの屋敷に尾羽打ち枯らして落ち延びてきた、というわけだ。
どうして首を切られたのかって?
さあ、何故なんだろうね。昼の眠りのときを襲われたから、だれに襲われたのかも、どうして襲われたのかもわからずじまいだ。まあ、敵は多かったよ。
噂ではこちらの吸血鬼は心臓に杭をうたれるか首を切られたら灰になるのじゃなかったかって?
その通りだ。お客人、そんなことをよく知っているね?
ああ、東方でも映画はいろいろやっていたから、と。
あれもどうかと思うね。人の食生活を面白おかしく暴き立てて娯楽にするなど悪趣味な。しかも嘘ばかりだ。
ただ、たしかに首を切られれば我々は滅びるね。そこは嘘ではない。
私の場合、従姉が助けてくれたのだよ。彼女は魔女で、首の切断された部分を自分の皮膚を剥いで縫い付けてくれたのだ。彼女の献身のおかげで、いまの私はある。
まあ、そんなことはともかく、窓辺に無造作に蒼白い首が窓辺に据えられてあるのを見た客人は、これで半分ほど逃げ出す。
なにか悪趣味な置物だろうとそのありさまに驚かなかった者でも「よくいらした」と声を掛ければ、踏みとどまる者はまずいない。
……いや、訂正だ。
踏みとどまる者はいなかった。君はしげしげと私を眺め回して、こうやって会話しているのだからね。
ああ、いろいろ見てきたから、と。特に生首なぞ珍しくもない。
ほう?
若いのに……君はまだ十五、六に見えるのだが……いや、東方の人はこちらよりいくぶん若く見えるというから、もうすこし年嵩はあるか。でも、二十歳は超えていまい?
何故笑うのだね?
……まあ、君もなにかと訳ありなのだろうな。なにせレッキが警戒することなく連れてきたぐらいだ。御伽噺も神話も伝説も、信仰すら遙か彼方に過ぎ去ってしまった『現代』というやつは、我らのような異端の者には生きにくい時代だが。
最近、レッキが客人を連れてこなくなったのも、おおかた「そういうこと」なのだろうよ。人にあらざる者の居場所が、いつのまにかなくなってしまった。
君は……いや、やめておこう。
客人の来し方に興味を持ってしまうのは私の悪癖だが、君のことを問うつもりなら。まずは私が話すのが筋だろう。
どうかね? 今日、この屋敷に泊まって行くというなら私のむかしばなしを聴いていかないか?
なにそんなに長くはない。あらかたの記憶はこの首と胴が死に別れたときに、髄液と一緒に流れ落ちて故郷の土に還ってしまったからね。
はじまりは、三百二十年ほど前、父が私の家に従姉を連れてきたことだった。
私の祖先がこの地に居を定めたとき、祖先がこの血に目覚めたとき、私が生まれたとき……いろんな始め方があるだろうが、「首」のことを話すなら、従姉との出会いで話を始めるのが一番いい。
私はそう思っているよ。
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