第2話 犬との邂逅

「これ相当な無茶振りじゃない!無茶苦茶!」

渡された書類の文章をかみ砕いて読む限り、私は配信経歴を見込まれて、この万博のプロモーションをやれ、ということらしい。しかし、なぜ私が。

「えーっと、活動についてのガイダンス及び雑務のため、サポーターとなる宇宙人を一人お付けします。えー、時間はないのですぐ来ます...え」

内容をかみ砕きながら自分の言葉に変換して書類を読んでいると、どうやらお付きの宇宙人が来るらしい。そう思うと急にまた、部屋がとっ散らかっているのが恥ずかしく思えてきた。相手は未知の宇宙人だというのに、自分の心の動きが貧相というか、なんというか。

「うーん、片付けよう」

そう思ったまさにその時。またまた、インターホンが鳴った。

「夜中なんだけどぉ!」

今は深夜だ。こんな時間に私の家の呼び鈴が鳴る理由など、今はひとつしか思い付かない。

「はは...まさかね」

まさかね。そんなことあり得るわけがない。いや、あるわけがないと信じたい。私は髪の毛を軽く手でといてその辺にあった上着を羽織ると、おそるおそるドアノブを倒してゆっくりと扉を開けた。

「どうもー....」

降りしきる雨の中、その男は立っていた。地球のそれほどごつごつしていなくてスマートだったが、その服装は宇宙服を連想させる。宇宙人の老人と同じ、頭には透明な金魚鉢みたいな被り物をしていた。

「い、犬...?」

体は人間の骨格のそれだが、その被り物の中の顔は、まさしく犬。犬としか言いようがない。イケメンだし、ちょっとかわいいと思った。

「こんにちは。宇宙連邦から来ました、ワッパと申します。これから一ヶ月間、貴女の職務をサポートします」

淡々と口上を述べるその姿からは、いかにも公務ですといった、よくも悪くも誠実さを感じた。しかし、隠しきれていない見下している感じが気に入らない。身長が小柄な私よりも20センチは高いせいで、物理的にも見下されてるし。

「短い間ではありますが、これからよろしくお願いします」

その彼は、握手を求めているのか、手を私に差し伸べる。

「なによ、夜中にいきなり来て。その手袋、取ったら?」

「この星の空気は私に毒なのです。手袋を含めたこの宇宙服を取ったら、少しずつ死に近づきますので。それに時間がありません」

「はーん。そりゃ悪かったわ。出会ってすぐ握手とは、どうやら地球の文化にある程度精通してるみたいだけど。一つ言うことがあるとすれば、夜中にいきなり個人宅を訪ねるのは地球じゃルール違反...ちょっ、何すんの!」

まだ髪の毛も服も整えていないというのに、その宇宙人は私を抱き抱え、あろうことかお姫様だっこをしてきた。

「言ったでしょう、時間がありません。なにせ地球万博は一ヶ月後なので。これから忙しくなりますよ、星降さん」

「ちょ、なんで私の名前を!っていうか離せ!セクハラ!変態宇宙人!おまわりさーん!」

こいつ、細身のわりに強い!力んで無理に押さえられてるって訳でもないのに、ガッチリホールドされて思うように動けない。

「あれに乗ります。暴れると落ちますよ?」

「え。えええええええええええええ!!?」

これ、UFOじゃん!所謂フィクションに出てくるような私の想像するザ・UFOよりも遥かにシャープでスマートだ。全身白のモノトーンで...って、そんなこと思ってる場合じゃない!暴れると落ちるって、まさか!

「あまり騒ぐと不審です。夜中ですからみなさん起きてしまうかも」

その配慮ができるなら私にもせんかい!などと言う暇も与えず、犬の宇宙人はすたこらさっさと歩みを進め、アパートの三階にある私の部屋の前の廊下近くの空中に漂うUFOに、さも当たり前という顔をしてほいっ、と飛び乗った!

「う、うひゃあ!」

お姫様だっこの状態でアパートの三階から乗り物に飛び乗るというのは、ある意味背筋を凍らせるリアリティがあるのだなと、その時私は痛感した。企画でバンジージャンプを飛ぶなど、極端な恐怖体験よりも遥かに生の感触のする恐怖が、心を凍りつかせる。というかいまの私、指と指をくっつける某有名宇宙映画のワンシーンみたいじゃね?ちょうど今日は満月だし。いやそれ以前にまだ空中?思考のスピードはやくない?ああ、そうか。

「そうか、これが走馬灯か」

人生ではじめて体感した。もし私がここで死んだら、明日の朝刊にはなんて書かれるんだろう。25歳星降みつる(無職)、UFOに飛び乗ろうとさせられ滑落死、とかだろうか。

「今までありがとう、お父さん、お母さん...あいて」

なんてことを思ったが私は死ぬことなく、私をだっこしていた犬宇宙人はしなやかに着地した。最大限の配慮がみられる柔らかな着地ではあったのだが、さすがにちょっと痛い。

「はい、そこに座ってください。早速ですがまずは月に参ります」

「は...は?いやいやいやいやいや、待ってってば。私聞いてないよ!」

「当たり前です。今言いましたから」

「...帰る」

「はい?」

「私帰る!」

なんてことだ!いきなり宇宙に連れていくだって?狂気にも程ってものがあるでしょうよ!先ほど飛び移ってきた時のUFOの入り口がまだ開いている。今脱出する。ここはアパート三階の高度だけど、こんな形でらちられるくらいなら足の一本や二本くらいなんてことない!25歳星降みつる、UFOから落下して怪我...明日の朝刊はこれで決まり!

「帰られては困ります。危ないので扉に近づかないでください。×××××」

犬宇宙人が翻訳機を外して呟くと、彼の手元の操縦幹らしき緑色の空中表示式のディスプレイのはしっこが、赤く光った。待て、まさか!

「やめろぉぉぉぉぉぉお!」

うなぁ~んと妙なおとがして、扉が閉じた。なんとさっきまであった扉が、柔らかい食パンの生地を押し込んだように閉じられ、その後瞬く間に境界線が埋められてしまった。どうやらこの船体は、全体がシリコンのような軟質の素材でできているらしい。

「なるほど、道理で床も白くて、ほどよくもちもちで...、じゃなーい!なに私、冷静に分析してるんだ!なんなのよさっきから、不審宇宙人っ!」

「心外です。ただちょっと突然あらわれて、貴女を乗り物に乗せただけですが」

「それは地球における不審者という人種の必要十分条件なんだ!というかお前、ワンちゃん?顔で警戒心を解こうったってそうはいかん。名を名乗れ、名を!」

「名ならさっき名乗りましたよ?ワッパです。それからもしあなたがご所望なら、『警戒心を解くための私の工夫』、なかったことにしてもいいのですよ」

「へ?それ、あんたの顔じゃない...の...」

犬の顔は、どうやらヘッドパーツに投影されていた映像だったらしい。

「ひぃぃやぁぁぁぁああああああ!!!!!」

私はその時、下手なホラーよりも遥かに恐ろしい体験をした。そして、どうやらそのまま気絶してしまった私は、気がついたときにはいつの間にか牢屋のなか...なんてことはさすがになくまだ同じ船室で眠っていた。白くて柔らかい床に手をついて、体を起こしてみる。窓から見えていた景色は様変わりして、船は月の表面を進んでいた。たったの一日にして感情をぐちゃぐちゃに弄ばれた私はもう自分の感情の舵取りもよくわからなくなっていたが、月の表面を走破する宇宙船から見た景色は実に美しく、連れ去られたことに対する怒りや恐怖を一時的に消し去ってくれた。巨大な地球が空に浮かび、空の星々が一粒一粒はっきりと見える。

「これが月の表面。綺麗だなあ」

私が起きたことを確認したのか、ワッパが声をかけてきた。

「起きましたか?今は地球基準の時刻で言うところの、朝七時です。まもなく部署に到着しますから、これでも食べて腹ごなししてください」

「ひいっ...!」

おそるおそる、ワッパの頭部を見る。今度は、ちゃんと「配慮」がなされていて、白くてシャープな犬の顔だった。あれは悪い夢だった。あれは、悪い夢だった。あれは、悪い、夢だった!そう自分に語りかけなくては正気を失いそうになる、形容しがたいモノだった。ただ単に気持ち悪い、という言葉には当てはまらない。地球で過ごしてきた語彙では、何かに例えることが出来なかった。母親に浦島太郎を読み聞かせてもらったときは、乙姫のことを絵に書けないとかなんとか、嘘だあ!と思いながら聞いていたものだが、どうやら見識を改める必要がある。そう思った。渡された弁当は、何もかも意味不明な未知の食材で作られた宇宙弁当...かとおもいきや、地球のその辺で手にはいるコンビニ弁当だった。

「なんでここは非日常じゃないんだ?」

「食べるという行為は生物にとって重要極まります。あなたが体に馴染まないものを食べて死んだりしたら、貴女のサポーターを任された僕の首が飛んでしまいますからね」

「ああ、そう...」

ワッパと会話を長引かせるとあの顔が浮かんでしまいそうになるので会話は最低限に控え、素直に箸を割った。

「椅子に座って机で食べてください」

「えっ、でも机と椅子なんて」

と言いながらも、昨日の扉の閉じ方から、うっすらと察してはいた。真っ白な床の、私から一メートル離れたところが、もにょぉー、とこれまた形容しがたい間抜けなおとを立てて盛り上がったかと思うと、丸みのあるデザインの机と、背もたれの無い丸椅子になった。子供向けの本で見る、巨大なキノコでできたテーブルと切り株を連想させる形だ。もちろん、色はなくて真っ白だけど。

「ありがとうございます」

もう口から、自分でもわけのわからない感謝が飛び出すようになっている。本来私は彼のことを通報してもよい立場にあるはずなのに。そう思って携帯を取り出してみたが、当然電波は繋がっていない。私は色々とあきらめて、真っ白な円柱状の椅子に座った。その椅子も地面と同じ、適度な柔らかさがあった。連れ去られたあげく宇宙船にのせられて、月面や地球を眺めながら食うコンビニ弁当は、実に奇妙な味がした。普通の唐揚げ弁当。ゴマを振ったご飯と唐揚げに、四角くて甘い、この手の弁当に入っていがちな卵焼き。それらを仕切る、プラスチック製のバラン。その普通さが、ここ十数時間の非日常にむしろ釣り合わない気がして、より非日常を際立てている。

「この感覚、スイカに振りかける塩みたいなもんか」

非日常にあらわれた弁当をそう形容した私に、ワッパがフッ、と笑いながら答える。

「不思議なことを言うんですね。元vtuberなだけはあります」

こいつ、また藪から棒にとんでもないことを!

「えっ、は?あんた、私が身内にすらひた隠しにしていたことをなんで知ってるんだ!」

「貴女と仕事をするにあたって、事前に経歴を軽く調べました。動画のアーカイブも全て閲覧しましたし」

「まさか、ヘッドパーツの映像を犬の頭みたいなかわいいやつにしてるのも...」

「ええ、まあ。貴女は地球の中でも日本と呼ばれる区域の中でよく争われる愛玩動物二大派閥戦争の、猫派というよりは犬派。機会を見つけては犬を撫でていましたがマンションやアパートにはお迎えできず、犬動画を見て癒されているんだと。他にも色々と調べましたよ?どちらかに特別こだわってはいないけれど、きのこたけのこ戦争においてはキノコ派に属していること。好物は天ぷらで、vtuber現役時代は近所の美味しい店によく食べにいっ...」

「す、ストップストップ!!もういい。薄々感じてたけど、あなた人との距離感どうかしてるよ?こんな調子ならどうせ、もっと詳しいことだって知ってるんでしょう!もしかして、私が自分のあり方に疲れてVやめたのも知ってたりする?」

「あ、やっぱりそうだったんですね」

「え...やっぱりって...どゆこと」

「私は、あなたのSNSと動画のアーカイブから得られた情報しか喋っていませんし、それ以上調べていません。あなたの個人宅の情報は宇宙連邦と地球の日本政府経由で取得した、最低限かつ公式的なものだけです」

しまった、かまをかけられた。言われてみれば確かに、犬も天ぷらもキノコの話も、全部配信かTwitterでの話じゃん。私のばか!

「料理にもっと詳しくなりたくて界隈から旅立ったという話は、やはり建前でしたか」

「建前なんかじゃない!!私は!!....」

い、いかんいかん。知らない人...じゃなかった、知らない宇宙人の前でこんなことを口走ってしまうだなんて。しかも、大人げなく大声で。

「私は正直、あなたが自分のキャラに相当無理してるのを感じていましたよ。最後の配信で貴女が夢を語ったとき、私の目には最後までキャラを保ちつつ、思い付かなかった引退のための口実を、過去の自分という引き出しから無理矢理引き出しているようにしか...」

「うっさい。あんたに何がわかるんだよ。一ヶ月一緒にいるだけなんだろ?余計なことまで探ってんじゃねえよ!」

またつい、大声が出てしまう。なんなんだ、まったく腹立たしい。

「そうですか。失礼しました。まもなく月面の緊急会議室に到着しますので、そのお弁当早く食べきってください」

あいつ、がつがつ踏み込んできたと思ったら、急に引きやがった。でも、どうやらこれから会議的な催しがあるらしいから、こんな調子でそんなところに踏み込むわけにも行くまい。いやまて、会議?この快適な船内の環境と感情を振り回されてそれどころじゃなかったけど、私シャツとジャージぞ?しかも、髪の毛もセットしておらんぞ?

「あ、あのぅ...着替えとか、シャワーとかできないんですか?」

「制服の支給なら今日の予定の後半にありますが」

「いや、そう言うことじゃなくて。私にだって世間体というものが」

「なるほど。そういうことでしたら、無理ですね」

「う、嘘でしょ?」

「問題ありません。その程度、宇宙では個性の範疇です。会議には貴女以外の地球人も来ていますが、その人たちにちょっと変だなーと思われるくらいで済むでしょう」

それ、一番問題なんですけど。

「でも、宇宙にだってフォーマルウェアくらいあるでしょ?」

「フォーマルウェア、ですか。それは大変に難しい質問です。宇宙は広いですから一概には言えませんが、あなた方地球人の、特に日本地域の発想に照らして言うならばそんなものは無いというのが答えになるかと」

「なるほど、それなら安心...じゃないわ。他にくる地球人はどのくらいいるの?」

「今日はスタッフが一部集合するだけ。だいたい千人くらいですかね」

せ、千人!もうそれ無理じゃん!

「で、でも個別に行動するとかだよね?」

「いやー、どうでしょう。最初は集団で身体検査ですから、他人と顔を合わせることにはなるかと」

いやー、どうでしょう。じゃねえ!ああもう、心のなかも口に出す言葉にもエクスクラメーションが止まらん!

「つきますよ。準備してください」

ここまで色々あったせいで気付いていなかったが、進行方向を映し出す窓の地平線の上に、ドーム状の白い建物が映っていた。宇宙では白い建造がトレンドなのだろうか?心なしか、色味がこの宇宙船とよく似ている。地平線上なら、ここからおおよそ4キロ?いや、ここは月だから地球よりも地平線は近いのか。じゃあもうわからん。そんな私の心を読み取ったのか、ワッパは前方を見据えたまま答える。

「地球時間で言うところの、あとおおよそ三分で到着ですね」

それを聞いて案外気が利くじゃん、と一瞬思ったが私はすぐに思い直す。いやいや、こいつの今までの狼藉を考えろ、私は今『不良が犬拾ったら優しく見える現象』に騙されている。惑わされるな、私!そんなことを考えているうちにも、その建物はぐんぐん近づいてくる。近づいても、遠くから見たときとまるで印象が変わらないのはなんだか可笑しなものだ。月面に雪見だいふくを置いたかのような、独特のシュールさがある。徐々に減速した宇宙船は建物にどんどん近付いて、視界に全て収まっていた建物も見上げるような形になってくる。

「ねえ、追突しない?このままだと」

「しますよ、ある意味ではね。しかし心配は要りません」

「それってどういう...うわ!」

船は、正面衝突した。微弱な慣性が、私の体をわずかに揺する。地球なら乗り物で建造物に激突など全国ニュースにでもなりそうだが、ワッパは事も無げに手元の操縦幹をクリックする。すると空中に浮いていたそれは消滅し、進行方向を映し出していたスクリーンも消えてあっという間に白い壁になった。続いてむにゅ、もにゃーー、と、これまた何とも言えない音がして、元々ワッパが操縦していたあたりの壁が開いた。その開きかたは、人間に食べられる直前の食材視点と言ったところか...どうにも上手く例えられないが、そんな感じだ。そしてその扉の向こうは、これから会議が行われるのであろう広い空間への入り口だった。

「なるほどね。道理でこの宇宙船と建物の壁がよく似てるわけだ」

これは単なる推測だが、建物への出入りを円滑にするために、この原理不明、変幻自在の素材をあらゆるところに使っているのだろう。境界も自由自在に埋まり、割くのも簡単とあらば確かに便利そうだが、宇宙の街は真っ白でつまらなさそうだ。そんなことを想像したら、なんだか楽しくなってきた。いやまて、これから私は白シャツ黒ジャージパンツを衆目に晒すのだった。前言撤回、まったく楽しくなさそう。

「行きましょう。あと15分程で検査会場が開きます」

「結構タイトじゃん。私を突然連れ去ってそれってさ、あなた夏休みの宿題は直前になってやるタイプでしょ」

「なんの話ですか?行きますよ」

宇宙には夏休みはないのか、それとも彼なりの誤魔化しか。私はちょっと推測をしたが、建物に入るとなるとやはり、帰りたいという気持ちが強まった。ここでうだうだ言ったところで引き返してはくれないのだろし、正直これから起きることにはワクワクしてはいるのだが、こんなことならコイツを引き留めてでもお気に入りの服を着てくればよかった。そうしたら純粋にこの場を楽しめたかもしれないのに。

「ちょ、まって。はやい。まだ心の準備が」

さっさと宇宙船を出ていくワッパに、あわててついていく。私が船を出て後ろを振り返ると、もにょー、と、船の扉が閉じていく。宇宙船と建物は私が想像した通り、べったりくっついていた。そして私は、目線を施設内に移した。

「わあ...とっても綺麗!」

「そうですか。それはよかった」

それが素直な感想だった。どうやらワッパの宇宙船と同じ原理らしく、半球の一部を切り取った空間のエントランスは、全面ガラス張りだった。いや、原理はまるでわからないから全面ガラス張りのように見える、というのが本当は正しいのかもしれないがこの際そんなことはどうでもよい。本の中の世界でしかなかった月面に、そして何より地球の都会地ではお目にかかれないような満点の星空は圧巻としか言いようがなく、私はすっかり心を奪われてしまった。歳をとって鈍った感性でもなお、小さい頃小学校の遠足かなにかで行ったプラネタリウムをはじめて見たときと同じ感動、いや、それ以上かもしれない。一通り壁や天井をぐるりと見渡して地上付近を見ると、様々な色や形の宇宙船が壁面に張り付き、次々と二人組のペアが出てくるのが見えた。どうやら、ワッパの宇宙船が質素なだけらしい。さっきは宇宙の街は面白みが無さそうだと想像したが、どうやらこの男のセンスがつまらないだけなのではないかと思えてきた。などと思っているとワッパが、またさっさと行ってしまっているのに気づいて、慌ててついていく。彼が向かうその先にはスタッフらしき宇宙人が何人か立っていて、彼はそのうちの一人に向かって歩いていた。そのスタッフとワッパは同じような制服の色違いだ。今まで気にとめていなかったが、よく見ると二人の右胸あたりには同じバッジがついている。二人とも同じ職場なのだろうか。ワッパの言葉をゆっくり掘り返すならば、あの人もまた宇宙連邦?とやらの関係者なのだろう。顔を覆っている宇宙服の下の顔は猫のように見えたが、ワッパの素顔を見せられた私にはもう何もかも信じられなくなってきていた。

「お待ちしておりました、星降様。それと、ワッパさん。この先が身体検査の会場となりますので、こちらの識別IDをお持ちください」

入場口のお姉さんらしき宇宙人がそう言うと、私たちの右胸に緑色のホログラムが表示された。どことなく、ワッパが船で操っていた操縦幹と雰囲気が似ている。

「それは、持っているだけで構いません。消したければダブルタップで消え、同じ場所をタップすればまた現れます。」

知らないことだらけでいきなりIDとか言われて覚えるのが必死だった。それに空の綺麗さにすっかり心を奪われていたが、私はここについたら聞きたいことがあったのだったと思いだし、おそるおそる声をかける。

「あ、あのぅ。これから行われる身体検査とは、いったいどのような...?」

私が聴くと、猫宇宙人はやれやれといった顔でワッパを睨んだ。

「ワッパあなた、またお客様に必要な説明をしてないの?よくそれで宇宙連邦にずっといられるね」

ワッパはそれに対して珍しく分かりやすく表情を歪め、睨みかえす。

「余計なお世話だ。これでも一応、成果は挙げてきている」

「職場で顔を合わせるのは57年ぶりだけど、あなたは相変わらずだね。仕方ない、私が説明をする。ごめんなさいね、星降さん」

「あ、いえいえ、とんでもない」

こんな会話に、宇宙に来てまで巻き込まれるとは思っていなかった。私の心の中にあった宇宙像が少しだけ、音をたてて崩れた気がする。

「これから行われる身体検査は、身長体重体格検査、その他にも体液検査や各種パッチテストなど様々あります。これから先宇宙や地球をまわって旅をすることになりますから、万が一のことも考えて念入りに。50種類ほどの検査を一時間で行います。詳細はこちらから」

今度は目の前に、パンフレットが現れた。地球のタブレットよろしく、スワイプやドラッグができる。先ほど言われたことを思いだし、もしかしてと思ってダブルタップをしてみるとパンフレットは消え、ワンタップで再びあらわれた。

「会場入り口はあちらにありますから、並んでお待ち下さい」

指を指された方向を見ると、地球人と宇宙人のペアが五列ほどに並んで待機しているのが見えた。なるほど、事前に言われた通り千人くらいの規模に見える。彼らが並ぶ列の先に地球で言うところのドアはなかったが、今までの経験上、あそこがもにょーーっと開くのは容易に想像できた。

「我々も並びましょう。ここから先の検査は長いですよ」

ワッパがそう言ったが、必要な説明をしていないことも、どうやらいつもそんな感じらしいという情報が出た時点で、コイツへの信頼はだいぶ低下していた。だが、ついていくしかない。

「ほんとに大丈夫なんか?これ」

「問題ありません。ここまで来て全身の血を抜かれるとでもお思いですか?安全は宇宙連邦が保証済みです」

不安だ。宇宙連邦が保証済みという響きも、ワッパの口から出てきているというだけでなんとなく不安になってくる。あのお姉さんに、私のお付きを変わってほしい。でもいまの私には着いていかないという選択肢は無いのだった。もう早くも、地球が恋しい。

「仕方ないなぁ」

そうして私たちも、列にまじることになった。大半の地球人はそわそわしていたが、隣の宇宙人から懇切丁寧な説明を受けたり、慰められたりしている。しかし私のとなりにいるコイツはというと、無言で突っ立って前方を見ていた。最初こそ、この立ち振舞いは宇宙人的コミュニケーションなのかと心の中で譲歩していたが、今確信した。コイツはおかしい。

「ねえ、なんか説明とかないの」

「その場で受ける説明を聞いてください」

「あんた、少なくとも57年勤めでしょうが!気遣いとか無いんか?私は不安なんだよ」

「痛いことも一切ありませんし、検査内容もノリでなんとかなります」

「なんとかなるか!地球に帰った暁にはお前を警察に突きだしてやるからな」

「そうですか。どうぞご自由に」

痛いことがあるとか無いとか、そういうことを気にしてるんじゃない。私は子供か?そう思う間にも時間は過ぎていき、ついには列の先頭で扉がもにょーー、と開いた。

「ついにこの時が来てしまったか...」

のろのろと、しかし確実に前へと進む列の中で、私は様々なことを後悔していた。







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