002 まずは土から
部屋をひと通り見て回ったメイプルは、「紙とペンを借りますね」と言って、何かを猛然と書き始める。
さっきまでの天真爛漫さは消え、有能な秘書といった貫禄だ。……とはいえ、そういうものだと聞いた事があるだけで、実際に秘書を見た事はないが。
何事かと覗き込むと、細かな文字や数字がびっしりと書き連ねられていた。
文字ぐらいは読めるが、それが何を意味しているのかが分からない。
手を止めたメイプルは、ふぅ~と大きく深呼吸をすると、ペンを戻す。
「お兄さまの現状を教えて頂いてもいいですか?」
手助けをしてもらうのだから、何も隠すことはない。
召喚術士を目指したものの何も呼び出せずに退学になり、この辺境の田舎で農業を始めたものの、上手くいかずに家計が苦しいと打ち明ける。
「畑の土があれば少し分けて頂けますか?」
「クワや靴に付いたもので良かったら」
「はい、それで十分です」
正直に言えばメイプルが何をしているのかが理解できない。
小皿やコップの裏の盆に水を張り、塩か何かを溶かししたり、そこに土を入れたりして反応を見ている。まるで何かの実験をしているようだ。
「ハルキお兄さま。明日もありますので先に休んでて下さい。私もひと通り調べ終わったら休ませて頂きますので」
「うん、分かったけど、最初から根を詰め過ぎると身体が持たないから、程々にな」
「はい。ありがとうございます」
嬉しそうな笑顔を見ると、今日の疲れが吹き飛ぶようだ。これが癒しというものなのだろうか。
再び机に向かったメイプルをしばらく見つめていたが、内容がさっぱり分からないし、手伝える事もなさそうだ。それどころか、邪魔になるかも知れないと思い、言われた通り先に休むことにする。
木窓の隙間だけでなく、壁の隙間からも明るい光が射している。
ぐっすり眠れたようで、頭はスッキリしている。
だが、左腕が痺れたような感覚で、動かせない。
これにはかなり焦ったが、何の事はない。メイプルが枕にして眠っていたからだった。…………えっ!?
そういえば、ベッドはひとつしかないし、他に眠る場所もない。少し驚いたが、二人で休もうと思えば、こうするしかなかったのだろう。
メイプルを起こさないようにソッと腕を抜き、代わりに自分の枕を差し入れる。
きれいに毛布を掛け直してやり、二人分の朝食を作り始める。
出来の悪い野菜を炒めたもの。細切れ野菜を煮込んで塩で味を整えたスープ。安くて硬くて日持ちのするパンを薄くスライスして軽く火で炙ったものが揃えば、我が家定番の
「おはようございます……お兄さま……」
「おはよう、メイプル。顔を洗ったら朝食にしよう」
「ふゎあ~い」
あの後、どれだけ遅くまで起きてたのか分からないが、随分と眠そうだ。
片方の肩が露わになっているのを見て、あの服のまま寝たのかと気付き、「さすがにあれでは寝苦しいだろう。やはりちゃんした服を買ってあげなければ」と、貯金を取り崩す決心をする。
大変な作業は、まだ日が昇り切らない涼しい間に終わらせるよう心掛けている。
昨日の続きで、次に植える野菜の為の下準備を進めていくのだが、今日の……いや、これからの作業内容は、全てメイプルに任せることにした。
「お兄さま、畝にする部分の土を深く掘り返して石や根っこを取り除きましょう。あと、どこかから枯葉が積もるような場所の土を頂けたらいいのですけど……」
幸い、ウィル爺さんに相談したら、すぐに教えてもらえ、なんとかメイプルが納得するような土が手に入った。
その際、当然ながらウィル爺さんには、メイプルのことで質問攻めにされたのだが、まさか召喚したとも言えず……
「不甲斐ない兄を心配して、わざわざ訪ねてきてくれたんです」
「いやぁ、ハルキさんに、こんなぁめんけー
「しばらく農作業を手伝ってくれるそうなんで、師匠からもいろいろと教えてやって下さい。好奇心の塊みたいな子なので大変でしょうけど、どうかよろしくお願いします」
「そりゃ、構わんけども、なんねその服は……」
「あー、汚れてもいい服が無かったから、自分のを貸してやったんですよ」
などと言って、適当に誤魔化した。
すでに指南書は役に立たない。
一旦、その内容を忘れることにして、メイプルの指示通りに作業を進める。
「それでは、さっきの土に、もらってきた土と、この白い粉末を混ぜて戻しましょう。今日はそれでおしまいです」
「それで、おしまい?」
「はい。少し土を寝かせてあげるのです」
量まで細かく指示してもらえるので、こちらとしては助かるのだが、正直なところ何をさせられているのか、あまりよく分かっていない。
そんな微妙な量の違いで、何か変わったりするのかと不思議に思いながら、言われた通りの作業を終える。
メイプルは、いろんな場所から少量ずつ土を小袋に詰めていた。
また今夜も実験をするのだろうか。
そろそろ収穫時期の長豆は、やはり散々たる有様だった。
「申し訳ありません。この豆はもう……。良さそうなものだけ収穫して、抜いてしまいましょう……」
「このまま置いておいてもダメか?」
「はい。少しぐらい大きくなっても商品にはならないと思いますし、早めに抜いて、次のために土を作ったほうがいいと思います」
たぶん、ここまで育てたのに勿体ない……という心が、失敗の連鎖を生むのだろう。そう理解して、切ない気持ちを抱えながら処分していく。
野菜を育てるには、まずは土から……とかメイプルは言っているが、その意味が理解できない間は、指示に従ったほうがよさそうだ。
それにしても、いつもは、やれるところまでやろうと日没ギリギリまで作業をしていたのに、今日はまだ昼前なのにすることが無くなってしまった。
「じゃあ、約束通り、ちゃんとした服を買いに行こうか」
「はい、お兄さま」
「でも、その前に、家の戻って着替えないとな。さすがにこのまま店に入るのは気が引ける。ついでに、昼食も済ませておこう」
「籠、私が持ちますね」
水汲み用の皮袋を腰に吊るし、クワを担ぐと、楽しそうなメイプルと一緒に家へと向かった。
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