つる草

鳥尾巻

プラタナス

 夕暮れに染まる川沿いの遊歩道をゆっくり歩く。並木道のプラタナスの葉は色づいて、赤から黄色、黄色から緑、流れるようなグラデーションを作っている。


 高校の帰り、迎えに来てくれたスオウさんが、あたしに肩を寄せて、川向うに見える白い建物を指さす。あまり背の高くないあたしの上にある目が、気遣うように覗き込んでくれる。その瞬間がとても好き。いつも厭世的にんだ黒い瞳は、何か興味を惹くものを見つけた時にだけ輝く。

 着古した黒い綿シャツの袖から絵具と煙草の匂い。ごつごつと骨っぽい指の示す先を辿っても、あたしには何が見えるのか分からない。画家である彼の目には、ふつうの人間には見えない光や色が見えているのかもしれない。


「何が見えるの?」


「つる草がね」


「うん?」


 並木の間から透かし見れば、茜色に染まった建物の壁に、つる草が這っているのが見えた。細く頼りなくうねる線が、上に伸びるにつれて、窓を避けるように双方から丸い弧を描いていた。そうだ、あれは、まるで。


「ハートみたい!」


「だろ?」


 やっと理解したあたしを褒めるように、彼が微笑む。といってもほとんど表情は変わらなくて、薄い唇の端をわずかに引き上げるだけ。それでもあたしの胸に灯った小さな炎は、消えない熾火のように身の内を燻ぶらせる。

 彼は今年でちょうど30歳。出会った時は自意識過剰な少年みたいに陰気ではすに構えていて、子供だったあたしですら内心少し笑ってしまった。それでも意思の強そうな瞳は鬱屈した光を映し、一瞬であたしの心を捉えた。

 それは今も変わらない。溢れ出た気持ちのままに口を開く。


「好き」


「知ってる」


 唐突なあたしの言葉を素っ気なく聞き流し、前を向いてまた歩き始める。出会ってから何度も言ったけど、同じ答えを返してもらったことはない。自分とそれ以外の存在をさりげなく拒んで、それでも時々ささやかな仕草の中に優しさを滲ませる。

 無言で歩幅を合わせてくれるのがただ嬉しくて、あたしはさっき見たつる草のように彼の腕に絡みついた。地面に落ちて端の枯れた茶色のプラタナスの葉を、わざと踏んで歩く。柔らかく音がしないものはハズレ。パリパリと音がしたらアタリ。勝手なルールで小さな幸運を引き当てて一人遊ぶ。


「カサネはいつも楽しそうだね」


「だって楽しいもん」


 10歳以上離れているから、子供っぽいと思われるのも今さら。背伸びして自分を隠しても、きっと見抜かれてしまう。どうせ子供の頃から知っているし、秘密なんてない。むしろ全部知ってほしい。差し出せるものは全部差し出して、好きでいるだけで幸せ。

 スオウさんは自分のことをあまり話さないけど、彼があたしの隣にいてくれるだけで充分。


 絵さえ描ければいい。誰も愛さなくていい、なんてうそぶく彼の瞳はどこか寂しそうで、あたしはそんな彼の分まで愛していたい。押し付けかもしれないけれど、自己陶酔にも似たこの気持ちが、愛であればいいと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る