第二話 山の中で笑う影
隠居老人
その課題も日々の暮らしに関わるもの、例えば江戸周辺の地名、町名や商売でやり取りする手紙の例文などを学ぶものであって、難解な
通ってくる子供は長屋に住む庶民の子がほとんどで、多くの場合は一通りの読み書き算盤を三~五年で身に付け、親の仕事を手伝ったり商家に奉公に出たりするのが常であるので、学問などしているゆとりはなかった。
その日も清司郎は昼を挟んで
「これはこれは大家さん、今日はどうしました?」
清司郎がたずねると、馬兵衛は「ふむ」と答えた。
「来客ですよ。どこぞのご隠居が
馬兵衛はぶっきらぼうにそう言うと、外の通りに向けて「こちらです」と声をかけた。
とたんに、すっと一人の
地味ながら上品な着物に杖をついていて、おまけに
「お久しぶりでございますな、赤城さま」
「あなたはたしか、両国で会った……」
讃岐屋の一件を引き受けるにあたって、
「覚えていてくださりましたか。それでは、あの時言ったことも覚えておりましょうか?」
「ええ。
清司郎は隅の方に積んである来客用の座布団を二つ出して来た。その座布団の一方を老爺、もう一方を童女にすすめると、馬兵衛が口を尖らせた。
「あたしには座布団は出さないつもりですか?」
「あっ、いえ……いま出します」
清司郎はもう一枚、座布団を並べた。馬兵衛がそこにどっかりと座る。
「失礼しました。それで、お二方は……?」
「ああ、申し遅れましたな。私は
「菊だよ。よろしくね、赤城さま」
お菊はにっこりと笑って見せた。大きなえくぼができて、かなり愛らしい。
「どうもご丁寧に。それで、善兵衛さんは勿怪祓いを頼みに来たのですね?」
清司郎がたずねると、善兵衛は
「さよう……実は、上方から届く予定の荷が、途中で勿怪に襲われてしまったのです。荷を奪われただけではありません。居合わせた店の者が数人、深手を負わされまして明日をも知れぬとのこと。どうか、かの勿怪を祓う……いや、討伐してほしいのです」
「そうですね……ことは一人では決められません。一度仲間と話してからでも良いでしょうか?」
「ええ、構いませぬ。もし引き受けて頂けるのであれば、両国の鶴やという水茶屋までお越しください。私はこのくらいの刻限、いつも鶴やにいるようにいたしましょう」
「両国の鶴や、ですね。わかりました、必ずうかがいます」
「お頼みもうしますぞ」
善兵衛はすっと立ち上がると、そのまま外へ出て行った。
それから数瞬がすぎて、ようやく清司郎は我に返る。
「播磨屋……さん……?」
あわてて外に出てみるが、すでに善兵衛もお菊も姿を消していた。
「赤城さま、まーた勿怪祓いですか? 勿怪祓いもいいですが、築兵衛さんとの約定は忘れないでくださいよ」
馬兵衛が言う約定というのは、清司郎が地主の築兵衛と交わしたもので、家を借りるなら手習い塾にして、月の半分以上きちんと子供たちの面倒を見ること、というものだった。
「ええ、忘れてはいませんから、安心してください」
清司郎は言いながら、さっさと出かける支度を始めた。
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