STAGE4-4

 eS部の部室で栄太はその時を待っていた。

 セッティングはすでに済ませてある、後はこの場に零がやってくればいつでも対戦を始めることが出来る。


 ただ待っているというのも落ち着かず、復習もかねて手元にあるアケコンをガチャガチャといじってみる。

 心持ちだけなら巌流島で宮本武蔵の事を待つ佐々木小次郎の気分だ。


「なに? あんたいっちょ前に緊張してんの」


 近くの椅子を引き寄せて栄太の横に座ると、美海はそんな煽る様な事を口にする、その言葉を聞いて初めて自分が緊張しているということを自覚する。


「そりゃあ俺だって緊張くらいするっつうの。一か月この日のために準備してきたんだから」


 以前零と対戦した時はこれほど緊張なんてしていなかった。美海と対戦した時も緊張はしていたが今ほどではなかった気がする。


 たかが一か月、されど一か月。

 この日のために費やした日々がそのままプレッシャーとなってのしかかってきているような気がした。


「あんた指のそれはがれかけてるじゃない」


 美海に指摘されて、以前指のマメがつぶれた際に巻いてもらった絆創膏がはがれかけていることに気が付く。

 日々の練習で擦り切れボロボロになっていたそれは、一部が破け中のガーゼが少しはみ出してしまっている。


「しょうがないわね、ほら手出しなさいよ巻きなおしてあげる」

「いやいいって、汚ねぇしそんくらい自分でやるよ」

「いいからつべこべ言わず出しなさいよ! あんたどうせ自分の絆創膏なんて持ってないんでしょうが」


 押しの強さに負けて栄太が渋々手を差し出すと、美海はカバンから新しい絆創膏を取り出していつかのように巻きなおし始めた。


 いったい何をそこまで向きになる必要があるのかと思いながらその様子を眺めていたが、ふと美海の指が自分のものと比べて細く綺麗な女の子のものであるということに気が付く。


 気が付いたらそんな女の子の手が今、自身の手に触れているということに今更ながら照れくさくなって、栄太はふいっと視線を逸らした。


「まったくしっかりしなさいよね。こんなんじゃ勝てる勝負も勝てないわよ」

「えっ?」


 美海が何気なく口にしたその一言が栄太には予想外で思わず驚きの声を上げる。

 美海は美海でその反応の意味が分からないのか「なによ?」と怪訝な視線を栄太に向ける。


「お前、俺に勝ってほしいと思ってるんだなって」

「? だからどういう意味よ」

「いや、川池は俺と零さんが付き合う事反対してると思ってたからよ」


 栄太が零に交際を申し込み部室に押し掛けたあの日。

 美海は栄太が零と付き合うことに拒絶と言ってもいいほど激しく反対していた。

 そんな彼女がまるで栄太の勝利を期待しているともとれるようなことを言うとは思ってもいなかった。


「まぁ確かにあんたが部長の恋人になろうだなんて分不相応も甚だしいし、すっぽんが月にさかってんじゃないわよウマシカ男とは思うけど」


 美海が栄太の指にまかれた古い絆創膏を外し、新しいものを巻き付ける。


「でも、自分の生徒が負ければいいだなんてそんなことを思う先生がいるわけないでしょう……はいっできた」

「……ありがとう」


 美海の思わぬ言葉にに少し驚きながら栄太は差し出していた手を引っ込めようとするが、それを美海の両手がそっと捕まえる。

 どうしたのかと美海の方へ視線を向けると、彼女は下を向いていて顔を見ることが出来なかった。


「……ねぇ、あんた部長との勝負が終わったら、その後どうするの?」

「その後って、特に考えてないけど」


 美海の質問の意図がいまいち分からないまま答えると、栄太の手を捕まえた美海の両手がほんのりと赤く染まる。


「もし……もしあんたさえ良かったらeS部うちに――」


 何かを言い掛けるが美海の言葉はそこで止まる。

 言うべきか言わないべきか逡巡する素振りを見せ、そうして。


「……や、やっぱりなんでもない!」


 そう言って美海は捕まえていた手を栄太に突き返した。


「なんでもないってなんだよ、言いたいことあんならはっきり言えって」

「なんでも、ないったらなんでもないの! と、とにかくこの私が色々教えて上げたんだから、腑抜けた対戦なんてするんじゃないわよ、やるからには勝ちなさい、いいわね!」


 なんだかものすごく強引にはぐらかされたような気がするが、栄太が美海を問い詰めるよりも早く部室のドアがガラリと開かれる。


「やあ、遅くなって済まない委員会の仕事が思ったよりも掛かってしまってね」


 言いながら零は手短な椅子を引き寄せ栄太の隣に座り、すでにセッティングを済ませてあるアケコンを自身の膝の上へ乗せる。


「初めて会ったあの日以来だな、この場所でこうして君と対戦をするのは」


 感慨深げなその一言に、栄太の意識が一月前へと遡行する。

 まだ桜が舞っていたあの日、学校の道場で零をみかけたあの時、一目見ただけで彼女に惹かれ、憧れて、勢いのままに彼女へ交際を持ち掛けた。

 あの時はまさかこんなことになるなんて考えてもいなかった。


「今回は俺が勝ちます」


 分不相応な発言だということは分かっている。それくらい栄太と零のゲームに対する練度と実力には大きな差がある。

 ただそれでも、栄太ははっきりと自身が勝つと断言して見せる。

 すると零は初めて対戦したあの時のように不敵な笑みを浮かべた。


「そうか、なら私も全力で相手をさせてもらおう」


 零の視線がゲーム画面が映されたモニターへと移り、栄太もそれに習う。

 

 いよいよ零との再選が始まるというその刹那、栄太は人差し指にまかれた絆創膏を親指でそっと撫でる。


 ……負けたくないな。


 文字通り手も足も出ずに大敗したあの時から。たった一ヶ月とは言え、この日の為に特訓を重ねてきた。


 自分に勝てと言ってくれる人がいる。

 自分に全力で向かってきてくれる人がいる。

 そしてこの一か月ゲームに向き合ってきたこれまでの自分自身。


 その期待に応えたい、だから全力で勝ちに行く。


 緊張はしていたが、不思議と不安はなかった。

 負けるかどうかよりも、今まで積み上げてきた物が、零に通用するのか、自分は何処まで強くなったのか。それを試す楽しみの方が勝ってるからだろう。


 栄太は一人静かに覚悟を新たにしてアケコンのスティックを強く握りなおす。

 そうしていよいよ、零との格ゲー対決が再び幕を開けた。



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