第21話

「……本物」

 学校の正門で、少女は驚くようにポツリと呟いた。

「5年間、待ち侘びたよ雨の魔女──!」

 校庭で雨乞いでもするように舞う女を見て、俺よりも十メートル前に立つ小早川さんはそう言った。彼女は一目でわかるほど、猛烈な怒りを孕んでいた。

 アンプルを胸に打ち込んで無理やり魔力と気力を捻出した小早川さんは、傘の中から両手を突き出す。

 指先が傘に守られる範囲を抜けて、まるで酸に触れたかのように、ジュッと音を立てて焦げた。それはきっと、彼女の肉体が魔力で満ち満ちていることを意味している。

「──死ね」

 その言葉と同時、雨の魔女の周囲に滴り落ちる雨粒が、反魔力の刀に生まれ変わった。それは鋒を魔女に向け一斉に伸びていき──しかし水溜まりが変形、障壁となることで食い止められる。

 小早川さんはさらにアンプルを打ち込む。その目は充血するものの、刀は障壁を貫き通し、雨の魔女に肉薄する──が、新たに降る魔女の雨に触れた瞬間、その刀は途端に腐食し、やがて溶け落ちていった。

 なんとなく、雨の魔女のその力は魔力と反発する魔力、小早川さんの反魔力によく似ているようにも見える。それについて聞きたいが、今彼女の邪魔をすることは許されない。

 けれど明確になるのは、絶対的な力の差だ。雨の下という魔女の領域内では、最強の魔術師の一撃さえも効果を成さない。そもそも魔術師は、この雨に曝されるわけにはいかないのだ。圧倒的な状況の差、覆すものがあるとすれば……!

 ──魔力を持たない俺が魔女になることはないだろう。

 確信はなかった。ただ、密かな予感があるだけだった。

 短剣を握る。軽くジャンプして体の調子を確認、痛みはあるがそれでも全力疾走できる。……否、痛みはなくした。

 薄々勘づいてはいた。

 小早川さんは俺が魔術を使ったら死ぬと言っていたが──すぐに死ぬとは一言も言ってない。

 魔力を使いすぎたもの。即ち、魔術が魂を侵蝕したもの。つまるところそれは、魔力を持たないのと同意義で──俺は、生まれながらにして『魔女』なのだ。

 魔女の原理や現象は何度も見ている。理解しわかっている。

 心の形が肉体に。魔女の力とは、魔術とは──強い願いを現実に変える力だ。

 ならば今、あの魔女を倒せる力を。俺に十全な肉体を。

 短剣を強く握って、俺は一歩を踏み出した。確認せずとも、魔力が体を巡って、青白い光を放っていることは想像に容易い。

 雨によって、体に充満する力を奪われる感覚。肉体の痛みは、雨に当たるほど増していく。──それでいい、それでも俺の肉体は、確かにカタチを保っている。

 それなら、俺が奴を倒せない道理はない。

 小早川さんの魔術を、雨の魔女が溶かしていく。

 水溜まりが障壁となって、小早川さんの放つ反魔力の刀を遮る。

 その光景に、さっき戦ったばかりの魔女の姿が重なった。小早川さんの苦手なもの、それは耐久力のある相手なのだと薄らと理解する。──であれば、彼女によって必殺の一撃を与えられた俺と彼女との相性は、多分バッチリだ。

 考えながらも、我武者羅に走る。雨に当たる。全身の痛みが増す。

 魔力が俺の肉体を補完しているのだから、痛みが増すのは当然だ。

 それでも走る。雨に当たって、痛みが全身に回りきって──その痛みに耐え抜いた頃、俺は魔女の側にいた。小早川さんは何も言わない。けれどきっと、後で怒られてしまうな──。

 そんなことをボヤきながら、俺は反魔力の刀と水溜まりの障壁に飛び込むように突っ込んだ。それぞれを、俺の体はすり抜ける。当然だ、俺の体は魔力をほとんど持たないのだから。

 先の戦いでは、そんな俺に、足場を作って見せていた小早川さん。彼女がどれだけそれに魔力を注ぎ込んだのか、俺がどれだけそれを強いていたのか、気づいて後悔するに余りある。

 そんなことを考える余裕さえ、俺にはあった。

 ──けれど、それでも。

 目前に迫る魔女、その目は驚嘆に見開かれていた。

 感情に揺れる魔女の目というものを、そう言えば初めて見たかもしれない。

 そう思いながら、俺は短剣のスイッチを起動した。──これでスイッチを押したのは三回目。あと七回も残っていると考えるべきか、否か。

 魔女はすぐさま戦線離脱しようと後退するが、それより俺が追いつく方が早かった。

 当然だ、魔力なしでも俺の身体能力は小早川さんを凌駕する。加えるなら、本来なら走る必要がない魔女の肉体は、逃げることには不向きだ。

 魔女は不利を悟り、俺に向かって攻撃を仕掛けて来た。

 魔女の弾丸。それは体を通過して、それによって起こる痛みはない。

 魔女の障壁。これも無視して突破する。

 魔女の雨。一瞬霧のように魔女の姿が隠れるが、それでも捕捉できている。

 魔女の水溜り。トラバサミに変化したが、反魔力のそれが俺を捕まえられるはずもない。

 つまるところ──。

「──相性が最悪だよ、俺とお前は。……さらば、雨の魔女」

 そう別れを告げて、短剣を魔女の胸の中心、心臓の場所に突き立てた。

 魔女の肉体の分厚さゆえか、魔力を展開している状態でも魔女の核には刃が届いていない。

『いや、いやぁぁぁぁあああ! 死にたくない、死にたくないィ!』

 短剣を引き抜こうとしながら、魔女は懇願する。されどそれを聞き入れるものが、あるはずもない。

 短剣のスイッチを、俺はさらにもう一度押した。魔力の刃はより大きく、より濃くなる。そして──短剣から伸びた反魔術の刃が硬いものを切り裂く感触があり、それによって魔女の肉体は光と化して消え始めた。

 魔女の瞳孔が開き、光が失われる。

 硬直したまま、全身が光の粒子となって霧散していく。

 自分の周囲に起こっているその光景は──かつて人であったものを殺したことの証明だ。

 いつの間にか、雨は止んでいた。

 最強と謳われた魔女は、こうしてあっさりと消失した。

 安堵のような、寂寥のような感情に襲われていると、背後でビシャリと音を立てた。

 振り返ると、小早川さんが、倒れていた。

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