第10話
「ただいまー……」
美原と別れて自宅に戻りリビングを覗くと、大層ご立腹の妹がそこにいた。
かなり不機嫌にテレビを見ていたが、俺を見るや否や、すごい剣幕で怒り始めた。
「ちょっと兄さん! 一昨日私、ちゃんと怒ったよね!?」
「ああ、うん、ごめん……」
言われてみれば確かに、突然のことですっかり連絡を忘れていた。昨日はしっかり出来ていたのに、何かあるとすぐに忘れてしまう自分に辟易してしまう。
「怒られたのに、なんでちゃんと出来ないかなー!」
──苛立ち。彼女の収まらない怒声に、ピクリと、俺は自分の眉が動いたのを感じた。
……そこまで怒ることないじゃないか。
そりゃ、連絡を忘れていた俺が悪い。けれど、それはもう一度説教すれば済む話だろう。人間が、そんな簡単に習慣を変えて、新しい習慣に適応できるわけがない。俺は命を賭けた戦いに臨まなきゃいけないんだ。少しくらい大目に見てくれたっていいじゃないか。
そんな不満が、フツフツと腹の底で煮えるのを感じた。
──これが間違った感情なのはわかっている。
グッと拳を握って、そして、息を静かに吐いた。
「……ごめん、次は気をつけるよ」
俺の言葉に、妹はぷいと顔を背けた。
翌日。今日も今日とて美原と小早川さんの家にいる。もう随分ここにいるのも馴染んでしまったな、と独りごちていると、小早川さんも美原もいるのにインターホンが鳴った。初めてこの部屋のインターホンを聞いた、というか美原と小早川さんが住んでいるのだから考えてみれば当たり前なのだが、なんとなくインターホンが鳴るということが新鮮だった。
それにしても、来客──俺がいると迷惑だろうか、とか考えながら小早川さんを見ると、小早川さんは何食わぬ顔をしていた。
「どうしたの?」
「いや、俺がいてもいいのかなって」
「ああ、別に構わないよ」
小早川さんがそんな風に呑気に言っている間にも、インターホンを押した主は随分とせっかちならしい、インターホンの音の周期が段々と早くなっていき、やがては連打されるようになった。
ピピピピピピピピ、と喧しい音が鳴る。流石に鬱陶しさを覚えていると、小早川さんは美原の方を向いた。
「出てくれる?」
美原は眉を顰め、露骨に嫌そうな顔をしながらも、渋々と立ち上がった。
立ってからも彼女の歩は遅々として進まない。心底嫌なのが伝わってくる。
それでも数秒後、美原が玄関の扉を開ける──。
「……奏さんじゃねェのかよお前だとしたらおっせェどんだけ待たすンだよ!!」
──瞬間、一呼吸遅れて、いきなり怒号が鳴り響いた。どうやら小早川さんにご執心みたいだが、それがなくても現状既に評価最悪だ。事実、小早川さんは耳を塞いで声が届かないようにしている。
「"蝙蝠"風情が! 奏さんとバディを組むに飽き足らず! "狼"の俺を馬鹿にするのか!? 雑魚の野良の癖に!」
一瞬、あまりの酷さに止めようかと立ち上がりかけた。それを小早川さんは、ふるふると顔を振って制止する。
動くに動けないでいると、さらに罵倒は続いていく。
「しかもお前! この家、魔女の匂いがするぞ! ちゃんと風呂入ってンのか!? ……魔女の秘匿は重罪だ、分かってるな」
最後の一言だけ、ドスのかかった低い声でその男はそう言った。小早川さんは無視を貫いている。そんな状況では、何も知らない俺が首を突っ込むべきでもないだろう。そう思って耐えていると、美原のポツリと呟くような声が聞こえた。
「……分かってます。私が一番、私が小早川さんに相応しくないことなんて、分不相応だって、わかってるんです……」
「……これだから野良上がりの平民は……」
あのうるさい男が、どこか呆れるようにそう言ったのが聞こえた。
俺も美原の言葉に呆気に取られていると、段ボールを手渡すような擦れた音と、金属扉の閉まる音がして、それから美原は戻ってきた。表情は明らかに良くない。……当然だ、あんなに罵られてて、二人も味方がいるはずなのに誰も助けてくれないんだから。
「……美原」
「近江くん、大丈夫だから」
なんて言えばいいか分からず、ついこぼしてしまう。
しかし彼女は、俺を見て、強がりで気丈に振る舞うのだ。
そんな中で、小早川さんはそれでも黙っていた。
「──大丈夫かい、美原」
「……奏ちゃん……ごめんね、恥ずかしいところ見せちゃった」
小早川さんの言葉に、美原は赤面しながら、笑ってそう言った。
「……さて。それにしても、ようやく届いたね」
小早川さんはそう切り替えると、美原からダンボールを受け取った。
と同時に、待ちかねたと言わんばかりに、勢いよくバリバリとダンボールを開封し始めた。彼女にしては優雅さに欠けるというか、その行動は酷く子供じみていた。
「……なんだこれ、アイスピック?」
俺も覗き込んで小早川さんが開封していくのを見ていたが、中に入っていたのはアイスピックや錐にも似た道具だった。
特徴的なのは本体を囲うように配置されている細長い管のようなランプで、ほの赤い光を湛えている。その光は妙に頼りなく、しかしかえって神聖ささえあるようだった。
それが10本もくっついた柄であろう筒に、金属製の円錐の刀身がついている。何かの起動スイッチまで付属していて、デザインでなんとかシンプル且つ前時代的に仕上げようとしているのだが、それでも見た目はかなりメカメカしい。普段は魔術とか魔女とか、現代とは思えない世界観の会話をしているのに、ここだけSFが混ざっていた。
それにしても、なんと呼ぶべきだろうか。武器なのは間違いないが、レイピア……いや、アイスピック……?
"ソレ"をどう呼ぶべきか悩んでいると、小早川さんは口を開いた。
「この短剣型魔道具は、君のためのものだよ、近江くん」
「……俺?」
確かに、武器がないと戦えないとは言った。
けれど、それをこんなにすぐに解決されるとは思わなかった。
それに、この武器の譲渡先が俺というのは──いや、まあ、なんとなく理由は察してる。
「その魔道具の側面の10本の管。それは使い切りの魔力電池だ。私の魔力が込められた電池、それをスイッチを押して起動する。効力はもう分かっているね? 魔力を持つもの全てを殺す──」
「反魔力、だな」
「そう」
小早川さんが言いかけたのを引き継いで放った俺の言葉に、小早川さんは満足げにコクリと頷いた。
「なあ、これ、どうやって使えばいいかな」
「短剣の突き方の話かい? いいよ、後で教えてあげる。美原も一緒にね」
小早川さんに話を振られた美原は、短剣を羨望するように見つめていた。いきなり自分の名前を呼ばれて、ビクリと肩を揺らしている。
彼女の戦闘力の足りなさというコンプレックス、それを補いうる至高の魔道具。彼女が喉から手が出るほど欲しいだろうそれが、俺よりも古い付き合いの彼女ではなく、新しく協力者となったばかりの俺の手元にある。……それで思わず、聞いてしまった。
「これ、俺以外が使うことは?」
「……うん、リスクヘッジは大事だね。魔力を持つものが使おうとすれば、私の反魔力との融合に拒絶反応を起こして、神経が焼き切れるほどの激痛を伴う。ま、要約すると不可能だ。君にのみ使用可能な、10回限りの必殺技だと思うといい。刀身にもうっすらとだけど魔力が込められているよ」
俺の質問に彼女は細目で推し測るように俺をしばし見た後、何を勘違いしたのか、俺が想定していたのとは違う言葉を伴って返した。
ヤバい、美原の目が潤んできた。
「……泣くなよ美原。君には君の役割があって、私はそれを頼りにしてるんだ。いつも言っているだろう。それにちょうど、そろそろ君の力が必要になりそうだよ」
小早川さんはそう言って、泣きっ面の美原にウィンクをした。
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