第7話
「ほらよ、焼きそば」
「……え、焼きそばの材料なんて冷蔵庫に入ってたの?」
一応自分の家だろうに、把握すらしてないのか。
俺が脳内で突っ込みながら配膳をしていると、どこか懐かしむような目で小早川さんは呟いた。
「それにしても随分と久しぶりだなぁ、焼きそば」
「美原は作ってくれないのか?」
「うん。彼女が家で作ってくれる時は、大体すごく手の込んだ料理だったり、高級感のあるものを作ってくれるからね。だから冷蔵庫に焼きそばの麺があったことに驚いてたんだけど……彼女が自分用に買ってきたのかな」
「嫌いなのか? 焼きそば」
「まさか、こういうのも全然大好きだよ」
「ふーん……いただきます」
「いただきまーす」
俺はそんな風に返しながら、焼きそばを口に運んだ。うん、普通に美味い。
そういえば昨日も美原が作った料理は、簡単ながらも料理の腕が如実に表れる、ペペロンチーノだったことを思い出した。レストランで出されるようなクオリティのものが出たことに驚いたものだ。
美原と小早川さんは勝手に仲がいいものだと思っていたが、もしかしてどこか距離のある関係なんだろうか。或いは、美原が小早川さんに勝手に距離感を作っているだけかもしれない。小早川さんとしては、別に手の込んだ料理じゃなくてもいいのだろうが、美原はそれを知らないのか……それともどこか警戒してるのかもしれない。
なんにせよ、この二人の関係はまだ客観的に見るべきところがありそうだ。
「この焼きそば、美原が自分で買ってきたとしたらさ」
「ん?」
「意外とあいつ、庶民的なんだな。というかお前もなんかお高く見られがちだけど、焼きそばに抵抗ない辺り庶民的なのも平気なのか?」
「うん、むしろ堅苦しいのよりこういうのの方が私は好きだなぁ、肩凝っちゃう」
そう言った小早川さんの胸は、平坦と山岳の中間くらい。ちょうど手に収まるサイズだろうか。そのサイズなら、胸が重くて肩が凝るなんてことはなさそうだ……なんてどうでもいいことを考えていると、小早川さんにジッと睨まれた。
「……何か?」
「また失礼なことを考えているね、君。感情に乏しいから、モラルもないのかな……まあ、いいけど。気を使わなくていいから楽だし、慣れてるし」
そう言って、小早川さんはコップに口をつけた。
潤った唇が、薄らと照り輝いた。
俺がその唇に見惚れていると、小早川さんは口を開いた。
「で、彼女は──うん、彼女も結構庶民的だと思うよ。私と違って、日本の普通の家出身だし、その方が肌に馴染むんじゃないかな。私よりもよっぽど上手く学校に馴染めてるし」
それは、そんな感じがする。小早川さんはそのルックスも相まってどうしても人目に晒されやすいし、話題に上がる。彼女は彼女なりに学校という小社会に混ざってはいるのだが、言ってみれば芸能人のような、そんな扱いを受ける。高嶺の花のような、水に浮かぶ油のような、そんな本質的に交わることのできない壁がある。
一方で美原はというと、それこそ彼女が人間離れした仕事をしていることに驚くくらいには、一般人として学校に馴染んでいる。今の居場所が美原の居るべきところのような、そんな馴染み方だ。彼女からしても、そこは心底居心地がいいに違いない。どこにでもいる女の子だから話題にも登りづらいのもあって、彼女こそ学校に馴染んでいるという言葉がふさわしい。
小早川さんが高嶺の花なら、彼女はそれを見て喜ぶ大多数のうちの一人。或いはそれを崖下から見上げる数ある雑草のうちの一本だ。
話題になる側。話題を話す側。絶対数がどっちが多いかと言えば、どっちが学校に馴染んでいるかと言えば、言わずもがなだ。
小早川さんは、稼業も相まって、そんな疎外感を感じてきたのだろう。
ああ──けれど、そうか。それはきっと、俺と一緒だ。
だから俺は、彼女に心惹かれるのだ。
彼女らが話題になる側、話題を話す側だとすれば。俺は本来、話題に触れることさえ許されない。外国人のような、ある種の言葉の通じなさがある。水の底に沈む不純物、芽吹くことのない藻類──それが俺だ。
だって俺は、きっと、彼女らが学校で話す言葉の、一ミリだって理解できてはいない。共感できていないのだ。
それが俺──魔力に乏しいものに課された受難というのなら、世界はひどく理不尽だ。
でも、だけど。だからこそ、小早川さんに交われるのだとするならば。
俺は今だけはそれが、好ましいことに感じられた。
「ご馳走様」
「お粗末さまでした」
二人で晩飯を済ませて、食事の後片付けをしていると、小早川さんはジッと外を見つめていた。黒天の中に光を反射して、ただ一つクッキリと輝く、綺麗な月。そしてそれを取り巻く薄い雲からは、雨が降っていた。
「雨の降る月夜……」
「仕事の時間だ、行こうか」
小早川さんは、俺の方を見て不敵な笑顔で微笑みかけて、そう言った。
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