第6話

「なあ」

「ん? どしたい」

「俺も魔術、使えないのかな」

「使えないね」

 翌日の放課後、俺はまた小早川さんの家に招待されていた。

 今日は美原がおらず二人きりで、そうなると緊張は昨日よりも大きい。

 とはいえそれも最初のうちだけで「あ、特に何かあるわけでも無いんだな」と分かってからは、二人でダラダラするだけの時間を過ごしていた。美原が用意してくれていたカントリーマアムの大袋に二人で交互に手を突っ込みながら尋ねた俺の質問は、取り付く島もなく撃沈した。というか小早川さん、美原に色々頼りすぎではなかろうか。もしかしてダメな人?

「む……何か失礼なことを考えているね」

「いやそんなことは」

「いいや、君は魔力を持たないから読心は機能しないが、それでも分かるとも」

「……俺が、魔力を持たない?」

「うん? ああ、説明してなかったっけ?」

 そう言えば、昨日チラッと言われた気がする。今の今までスルーしていたが、確かに気になるところでもある。小早川さんを魔力を持たない俺が殺す必然性は──いや、彼女は昨日、魔術師には自分を殺せないと言っていた。

「……それで、俺に?」

「うん、そうだよ」

 どうやら魔術師というのは、どこかぶっ壊れているらしい。常人とは違う精神構造をしていると言えばいいのだろうか。俺のようなモノ──心に欠陥を抱える者ならともかく、普通の人間がいきなり人を殺せなんて言われて、できるはずがない。そういう常識が失念しているのは、彼女にも良くないだろう。

 俺はどうしてか、そんな親切心を彼女に抱いてしまった。

 それは、俺が妹に散々やってもらっていたからかもしれない。

 感謝とは違う何か──支えてくれる人がいなかった場合の同類を見つけた、そんな義務感のようなものに後押しされて、俺は普段なら絶対に言わないようなことを口走っていた。

「……普通の人間ならな、殺せと言われてはいそうですかとはならんのよ」

「でも、君は出来るだろう?」

「……は?」

 その言葉に、俺は思わず呆けてしまった。すぐに怒りが追いついてくる。

 彼女の言葉は、ナイフで胸を開いてそのままグチュグチュとかき混ぜるような、そんな悪趣味さがあった。

 それを認めるわけにはいかず、俺は苛立ち気味に声を荒げる。

 けれどそんな最中でも、自分は彼女といるとこんな風に感情的になれるのか、なんて、そんなどうでもいいことを思っていた。

「魔力を持たないものはね、心が枯れているんだよ」

「──ッ!」

 なんともないように、彼女はそう言った。けれどその言葉は完全に図星で、俺の苛立ちは虚しく溶けていく。ただ耐え忍ぶしかなく俯くと、彼女はそのまま言葉を続けた。

「近江 聡介、2歳で母を亡くし、庇護者だった父親も5年前に死去。現在は妹と二人暮らしで、戸籍上は祖父が面倒をみていることになってる。魔力がない影響で、共感性と情の感情は皆無と言っていい。反面、自分に近い人に怒りを懐きやすい。……知らないとでも?」

 小早川さんの、その言葉にゾッとした。

 感情に惑わされたわけでもなんでもなく、彼女は、最初から計画して俺を勧誘したのだ。まるで知らない誰かに四六時中見られていたかのような、誰かに常に盗撮されているような、そんな恐怖が俺を襲う。

 ──それだけじゃない。

 臓腑の奥底で、煮えたぎるような怒りが声を上げていた。

 まさか、裏切られたと思って怒っているのか?

 ……俺が?

 自覚できていなかった自分自身に悶々としていると、彼女はやがて口を開いた。

「──やっぱり、そっか。覚悟が決まったらいつでも言ってね。とはいえ、すぐとなるとちょっとまずいかな」

「……?」

「まだ、任務がいくつか残っているんだよ。だから、今すぐ殺したいって言われると、それはそれで困ってしまう」

 彼女の言葉に、再び固まってしまう。彼女がどうしたいのか、どうされたいのか、いまいちよく分からなくなってしまった。俺を監視していたことを告白する、不躾な言葉じゃない。俺の心を侮蔑するような言葉じゃない。欠陥だらけの心を慰るような、そんな優しい言葉だ。それに……俺が彼女をまだ殺せないことを信じているような、そんな言葉。

 俺は結局、裏切られたのか? どうして裏切られて怒った? じゃあ、裏切られたと思うということは。そもそも、俺が怒った理由は。──俺は考えるのをやめた。

 けれど、衝動的に、俺はポツリと呟いた。

「俺がお前を殺せるだって? ……バカ言うなよ……」

 呟いて、しまった。

 その言葉は、虚しく空に溶けていく。

 結局、親父やお祖父様と変わらない。俺は自分のために怒るのだと思って、悔しさが滲んだ。

 俺が怒った理由は、多分彼女には、伝わらない。

「まあ、でも。いつかは君に私を殺してもらわなきゃ困るんだけどね」

「……俺が、魔力を持たないからか?」

「うん。私の魔術は覚えているだろう」

 もちろん、覚えている。そしてそれは、彼女にありとあらゆる魔術師が勝てない理由たるものだ。

「魔術殺し……」

「その通り、私の魔術は魔術を殺す。魔力を持つものは私に触れることさえ叶わない。魔女になっても、それは変わらずだろうね」

「だから俺が選ばれて、俺は魔術を使う才能がないのか……」

 俺がようやく飲み込んだ事情に、彼女は頷いた。

「そう。魔力を持たない、とはそういうことさ」

「でも、魂を使えば……」

「死ぬ気かい?」

 小早川の返答に、俺は絶句した。

「君が魔術を使おうものなら、まず間違いなく魂を消耗して死ぬことになる。それに……私、君には魔術を使ってほしくないなぁ」

 彼女の願いは、俺が彼女を殺すこと。

 そのためには、俺が魔術を身につけては困るのだろう。

 ……今死にたくないのは、俺も同じだ。嘆息と共に魔術を操る夢を捨て、現実に目を向けた。──けれどやっぱり、それでも。

 俺が彼女を殺さなきゃいけないなんて、それこそ悪夢のようだった。

「よし、昨日はご馳走してもらったし、今日はお礼に何か作るか」

「え、本当かい? 出前でも取ろうかと思っていたけど……」

「じゃあやめとくか」

 そんな言葉で、小早川さんは少しクスクスと笑う。俺も合わせて笑ったあと、彼女はじゃあ、と口を開いて切り出した。

「じゃあ、お願いしようかな」

「おう。何かリクエストはあるか?」

「うーん……なんでもいいけどなぁ」

「冷蔵庫開けるぞ」

 小早川さんにそう断って、俺は冷蔵庫の中を見る。美原が頻繁に来る影響か、冷蔵庫の中は材料で溢れている。作り置きのものも幾つかあるが、いつ作ったか把握できないものは触れないでおきたい。

 そんな風に冷蔵庫を物色していると、ある程度作る料理の目星がついた。一パック開封済みの三つセットの麺があった上に、人参や玉ねぎ、豚肉など材料もおおよそ揃っていた。これなら焼きそばでいいだろう。

 美原によってだろう、キチンと整えられたキッチンの壁から、俺はフライパンを取り外した。

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