第3話
「……うん、いい時間だ。そろそろ出ようか」
二人とも食べ終わり(シナモンロールは結局半分以上取られた)、コーヒーを飲んでゆっくり時間を過ごしていると、小早川さんは唐突にそう言った。
店に二時間もいてしまったらしい。家族の話以外は会話もなかなか花が咲いたし、会話が少ない時間も苦痛じゃなかったから、時間の経過に気づかなかった。店員に目をつけられていないといいなぁ、なんてどうでもいいことを思いながら、小早川さんに従って席を立ち、二人並んでカフェを後にした。
「君は魔女とは何か知っているかい」
「魔女……?」
カフェから駅前に歩いて行く途中、小早川さんは唐突に俺に聞いてきた。
俺は少し悩んで、ゴミゴミとした商店街の中程に差し掛かったあたりで、ようやく答えを出した。
「……魔術を使う女性とかか」
「ふむ、なるほど。……キリスト教においては、魔女とは悪魔と契約した背教者を指す。まあ、ある意味ではその解釈も間違いではないかもしれないけどね」
「やっぱり、宗教勧誘ですか」
「いいや。私が言う魔女というのは、少し事情が異なっている。まあ、理論は後で話すとして、見れば分かるさ」
警戒しながらの俺の言葉に小早川さんがそう答えると、商店街が段々と活気が溢れてくる。駅が近づいている証拠だ。不意に、斜陽が目に飛び込んできた。眩しくて、思わず目を腕で覆う。少しして商店街の最後に着いた頃、ようやく目が眩しさに慣れてきた。
そのまま、目の前の階段を上がって見れば、高架の駅前広場の一角。以前はストリートライブが行われていたそこに、今は青いテントが立っている。しばらく並ばずに見ていると、5分に1人の割合でテントの中から様々な表情の人が出てきた。その表情は悲喜交々だ。
占い師は誰にでも当てはまるようなことや観察、さらには誘導尋問を通じて、人の心を導く仕事だ、なんて話もあるくらいだが、みんながみんなバラバラの表情をしているのを見ると、とてもそうには思えない。
それは希望を持たされたり、決断を後押しする、というよりは……本当に、未来を見て占っているだけであるかのような光景だ。
「……ふむ、並ぼうか」
「え、マジで?」
興味もないものをどうして試そうと思うのか。しかも値段もバカにならない。
俺は呆れながら隣の彼女を見ていると、一人スタスタと列の最後尾に向かっていた。列には十人くらい並んでいて、少なくとも一時間程度待たされそうだ。こんなことなら、さっきのカフェで持ち帰りのコーヒーでも買っておけばよかった。
後悔しながらお喋りをしつつ待っていると、雨が降り始めた。
雲の向こうに薄らと月が出ている。雲と雨がベールのように月の光を歪ませる。それがなんとなく神秘的だった。
「……ん? 入りたいの? 申し訳ないけど、ダメ」
小早川さんは傘を取り出してその中に入るが、俺はその中に入れてもらえないらしい。相合傘になってしまうからかな、なんて気の抜けたことを考えたりして暫く待っていると、俺たち二人はテントの中に案内された。
テントの中には、一人のローブを纏う女占い師と、机、そして水晶玉。女占い師は20代中頃だろうか、若い女だった。まだ若いにもかかわらず、占いなんてせずとも稼げそうなほど、妖艶で怪しげな魅力に満ちた女性だ。……10代後半と言われればそう見えるし、30代前半と言われればそれもまた頷ける容姿であった。
その年齢不詳さが、かえって魅力を増しているのかもしれない。
テントの中でそんな女の人の目の前に案内されると、小早川さんは俺を座らせた。え、俺?
突然の出来事に、挙動不審になっている俺。それに対して、占い師は明らかに渋い顔をしていた。どうしたのだろう、未来が見えないとか言われるのだろうか。
思わず身構えていると、小早川さんは開口一番、とんでもない要求を目の前の占い師に突きつけた。
「占い師。今すぐ占いをやめたまえ、このまま行くと君は今夜魔女になるぞ。何より……魔術を人目に曝し続けるお前を、我々が許さないのは明白だろう」
「……小早川さん?」
魔術とか、人目に曝すとか、我々とか。いきなりの単語で、分からないことだらけだ。俺が狼狽えていると、占い師は激昂して小早川さんに怒鳴りつけるように叫んだ。
「アンタ、連盟の人間かッ!」
それと同時、占い師はテントの裏から一目散に逃げ出した。その瞬間──。
「ギャアアアアア!」
──占い師は悲鳴をあげた。
雨も厭わずテントの外に出てみると、裏側で占い師の容貌(カタチ)が雨に溶かされていた。
両手で顔を覆って雨から身を守ろうとするも、その手や腕さえ溶けて行く。そうして、人間だったカタチは、歪んで、歪んでいく。
その様に、あの言葉を思い出す。
『月が出ている雨の夜には魔女が出る』
俺にその言葉を言った人は、どうしてそれを知っていた──?
俺が疑問を抱いていると、いつのまにか横にいた小早川さんがポツリと呟く。
「占い師──いや、星見の魔女。今なら楽に死ねるよ」
小早川さんが傘をさしたままそう呼ぶと、占い師の形は完全にドロドロに崩れきった。そして、溶けたナニカが再構成されていく。
まず、水晶のようなものが溶けた中から現れた。クルミのような大きさと形。それを体の核にするように、水晶に液体が肉付けされていく。やがて生まれたのは、抜群のプロポーションを持った、トンガリ帽子の女だった。
……なるほど、これは確かに魔女と呼ぶのに相応しい。
俺が感心しているのも束の間、魔女は油断しきった棒立ちの小早川さんに攻撃を仕掛けた。
右の手のひらを小早川さんに向け、それを引いて振りかぶると同時、その腕は全長10メートルはあろうかという巨大な異形に変形した。それを突き出すようにして、小早川さんを飲み込まんと迫る──が。
それは小早川さんに触れる直前、何か障壁のようなものに防がれた。
傘を持ったまま、退屈そうに小早川さんはあくびをする。
「効かないよ──」
小早川さんが呆れたようにそう言った瞬間、魔女の標的が俺に移った。
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