第2話

 帰りのSHRが終わると、教室はすぐさま騒がしくなる。特に出入り口は、先を急ぐ生徒たちで混み合っていた。俺は出入り口が空くのをぼんやりと席で待っていると、女子が集まってキャアキャアと騒いでいる輪の中心から、小早川さんがひょっこりと顔を出して話しかけてきた。女子は自分たちの話に夢中で、小早川さんと俺には興味を示す素振りもない。

「放課後、空いているかな。君を予約したいのだけど」

「……まあ、いいけど」

 迂遠な言い方で、彼女は俺を遊びに誘った。女子たちが聞いていたらとんでもない騒ぎになりそうな発言だ。とはいえ幸い、この後に用事はない。小早川さんの言い方になんとなく嫌な予感を感じながらも、俺は二つ返事で了承した。

 クラスメート達が教室から出て行ききった頃、ようやく小早川さんは立ち上がった。屯していた女子たちはさっき小早川さんが帰していたから、きっと彼女たちが帰るのを小早川さんは待っていたのだろう。

「よし、行こうか」

「ああ、だな」

 そう言って、小早川さんはその手を差し出す。俺はその手の意味が分からず、手を取ることもなく立ち上がった。

「おや、失敬。女の子たちと一緒にいる時の癖が染みついてしまっていてね」

「……そっか」

 小早川さんはそう言って、どこか演技めかして笑ってみせた。

 俺はそれに対して何も言えず、ただ相槌を打つだけだ。……こういう時、気の利いたことが言えた方がいいのだろうか……いいんだろうな。

「……それで、どこに?」

 自己完結しながら、俺は小早川さんに聞いた。実のところ、彼女と出かけるのは初めてだから少しだけ緊張している。けれど、自分がこの人となら、と思える人と出かけるのは、なんだか楽しみでもあった。そんな思いをするのは、初めてに等しいかもしれない。

「今日は夕方に駅前の広場にね」

 駅前の広場──その言葉は、朝に聞いたばかりだ。

「実は占いに興味があったり?」

「あると思うかい?」

「……いや」

「うん、ないよ。」

 藪蛇に蛇足な質問だった。

 少し考えた末の俺の否定に彼女は頷いて、キッパリと言い切った。歯切れ良く言い切った割に、けれど、と彼女は言葉を続ける。

「ただの占いならね」

「それは──」

 どういう意味だ、と聞く前に彼女は支度を済ませてしまったらしい。踊るような足取りで教室の入り口で振り返って手招き。

 ショートが揺れる。白いセーラーが少しだけ透ける。口角は上がり、白い歯だけが眩く見えた。

「ほら、行くよ」

 逆光を受けて華やかに、しかしその姿はぼやけて見える。美しい幻影でも見ているかのように、曖昧模糊で掴みどころがない。

 されど彼女は、どこまでも美しく、そこに在った。


「……これって、デートってことでいいのかな」

「ふむ? まあ、そういう風に取れなくもないね」

 学校から駅までの帰り道。俺の口から唐突に出た疑問に、小早川さんは否定も肯定もしなかった。そういう風に取れなくもない、ということは多分彼女はそういう風に意識していないのだろう。

 なら、どうして俺と一緒に駅前に?

 友達として遊びたいとか、そういう感じなのだろうか。いや、だとしたら彼女はわざわざ異性の友達を呼びつける必要がないだろう。異性を呼んでも変な噂が立つだけ。普通に学校生活を送りたいなら、あまりにリスキーだ。

 他の理由──デートでもなく、遊びでもない。学校を出たのだから、もちろん学業でもないだろう。

 あの話を聞いていきなり呼ばれたんだ、目的は多分占い師だろう。

 けど、だったらなんで俺? 何かのドッキリとか、そういう類だろうか。

 考え込みながら商店街を歩いていると、小早川さんはカフェの前でピタリと足を止めた。

「ねえ、ちょっと休憩していかないかい? 夕方まで時間あるし」

 夕方にならなければならない理由があるんだろうか。俺はいまいちよく分からなかったが、好きな人と一緒に時間を過ごせるなら断る理由もない。

 頷いて、二人で一緒にカフェに入った。


「ん〜〜っ! これ美味しいよ、ねえ!」

「わかった、わかったから……」

 カフェに入り、それぞれオーダーして向かい合う席に着いた。彼女がグイグイと俺に突きつけるように勧めるのは、木苺のチーズケーキ。普段は男っぽくて一緒にいやすいから、今日だって初めて一緒に出かけるってなってもあんまり緊張しなかった。なのに──やっぱり、急に女子を出してくるのは反則だ。俺は今、妹以外の異性と二人でいるのだといやに意識してしまっている。

 さっきまで全く緊張もなかったのに、彼女が女らしさを見せた瞬間緊張するなんて、そんな単純な自分に苦笑いが出る。

 別に、異性と出かけるくらい普通のことだ。そんなこと分かっているが──それでも、経験がないから緊張するのは当然だと思う。

 ──こんな風に思っていることを、彼女は分かっていないのだろうか。

 それとも、俺が特別、人と共感できないだけなのか。考えても答えは出そうにないから、諦めてシナモンロールを口に運んだ。硬いパンをよく噛んでいると、ハチミツと砂糖が脳に滲みる。これぞ栄養補給という満足感、けれど少しだけ焼き付く喉をコーヒーで誤魔化していると、彼女の視線がじっと俺の手元に向いた。そこにあるのはシナモンロールだ。

「……ちょっと食べるか?」

「え、いいの? でも、悪いよ!」

 とは言いつつも、ニコニコと笑いながら俺に手渡されたシナモンロールの切れ端を受け取った。妹がいてよかった、彼女がいなければ、俺はこうして小早川さんにシナモンロールをあげることもしなかっただろう。

 ──そんな、俺の経験則からくる打算も。彼女は多分、知りはしない。

「そういえば近江くん、三者面談どうするの?」

「……なんで?」

 突然の踏み込んだ質問に、俺は困惑しながら返していた。

「近江くん言ってたじゃん、五年前にお父さんが死んだって」

 言っただろうか。……言ったかもしれない。よっぽど話題に困窮していたのだろう。けれど──急にそんなデリケートな話題に踏み込まれて、俺はちょっと困惑してもいた。

「あはは、単純に気になっただけだよ」

 必要以上に警戒している俺の様子に、小早川さんは何かを感じ取ったのだろう。軽く笑って俺を宥める。

 そんな様子に、変に隠し事をしても無駄だと思って、俺は観念しながら口を開いた。

「多分……お祖父様が来るんじゃないかな」

「ああ、なるほど、お祖父様か」

 お祖父様なんて呼ぶのは風変わりだと思うが小早川さんはそれに気づかずにそのまま鸚鵡返しにした。それが面白くて少し笑いそうになっていると、小早川さんも笑顔で聞いてきた。

「お父さん、どんな人だったの?」

「どんな人って──」

 返答に悩む。ロクな人間じゃなかったのは間違いない。

 家に金だけは妙にあったせいか、日中から仕事もせずに酒浸りの日々。夜にフラッと出かけて家にいないなんてのも日常茶飯事だった。挙句の果てに、死体も残らず死亡通知書だけ届いて、そのまま葬式だ。

 ──葬式で、俺は泣けなかった。

 対照的に、妹はそんな男の葬儀でも泣いていたのを思い出す。

 思わず答えに困って黙ってしまうと、小早川さんは何かを察したのか、少しだけ黙って、そのあとすぐに話題を変えた。

 小早川さんの家族の話には少しだけ興味があったから、変えてくれて嬉しい反面、少しだけ惜しい気持ちもした。

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