ミレと魔女の森 番外編

片崎温乃

俺の妖精

※先に私の命の速さ#8まで読んでおくことをお勧めします。






朝の仕事を抜け出し妖精の森に駆け出すのはこれで三回目だ。療養中には気づけなかった…夜の森とは違った朝の煌めきと溶け合う様な森の空気は、今まで訪れたどの森でも出会ったことが無かった。

俺は子どもが読み飽きた絵本を持ってウィリアンの家を訪れた。

「おはよう!ウィリアン…。今日は忙しかったりするか?」

「ベート…!いえ、そんなことはないわ。でも、頻繁にここに来てるけど、仕事は大丈夫なの?」

朗らかなウィリアンの笑顔とは対照的な冷たい視線達が後ろの方から飛んでくる。

「友達にアリバイ作りは頼んでる。心配しなくても大丈夫さ。」

「そう…ならいいけど…」

「今日は君の友人に森の生活を向上させる為の提案書を作るんだろ?中身を考えないと。」

お茶の用意をしているウィリアンの顏が俺から逸らされて、影が差す。

「そうね、でも、何から伝えれば良いかよく分からなくて…」

「ウィリアンー外へ行っていい?虫を見たい!」

「あ、君、これうちの子がもう読み飽きたって言っていたから持ってきたんだ。どうぞ…」

「いらない!」

濃い茶色の髪の子どもが差し出した本を蹴飛ばして外へ出ていった。

言いようの無い胸の悪さを感じる。舌打ちしかけたのを噛み殺したところを紫の目の子と視線が合うが、何も言わず背を向けて何か手遊びに戻っていた。

「ごめんなさいね、ベート……お茶を飲んだらまた散歩に行かない?歩きながら内容の相談もしたいし…」

本当は俺が来ることに寄って生まれるこの空気の悪さに気を使っての事なんだろうけど、お互い口には出さない。まあ俺はウィリアンと二人きりになれるなら何だって良いんだけど…

「もちろん。みんな、少しウィリアンと出てくる。戻ってきたらまた話そうな。」

残った二人からの返事は来ることなく、俺達は気まずいお茶会を済ませるといつまでも慣れない奇妙な扉から外へ出た。


――「この森の空気…やっと慣れてきた?」

「ああ…これはこれで気持ち良いと思えるようになったよ。」

手が触れるか触れないかの距離で、ウィリアンは身体を揺らせながら少し前を行っている…転びそうな仕草を見せても、子供の頃みたいに手を掴む事が出来ないのはやっぱり俺が大人になってしまった証拠なんだろうか。

「最初は子ども達もこの森がこわいって泣いたり怯えてたりしたんだけど‥今はなるべく部屋の中にいるせいもあってかかなり落ち着いたのよ」

あれは‥落ち着いている、という表現が正しいのか?うちの上の子は他の子に比べれば溌剌とした性格じゃないが、ここの子供達はそういうものとはまた違う印象を受けた…でもその事を言えばきっとウィリアンは俺を嫌いになるだろう。

「ウィリアンは…ここでの暮らしをどうしたいんだ?」

「どう…か‥そうね、もっと子ども達の笑顔を見たいな‥どうやったらもっと笑ってくれるのかな。」

笑顔…そうか、笑わないからここの子供達は何か気味が悪いのか。笑顔にするには…そうだな…

「やっぱり美味しい食事じゃないかな。うちの子達は新鮮な牛乳が手に入った時シチューを作ってやればとても喜んでる。」

「牛乳かぁ…お金がないと手に入らないね。」

「そうだ、ウィリアンはお金はどうしてる?ここの友人はお金を渡してくれないのか?」

ウィリアンの昏い笑顔にさらに影が差す‥

「お金…はもらう為にはあの人達の研究を手伝わないといけないの。でも子ども達の面倒も見ないといけないし、その、まだあまり持っていなくて‥」

「俺がいくらか、」

「いいの!そんなの!本当はね…お金があってもこの森の外へ出るのが恐いだけなの!」

ウィリアンが俺を振り返って腕を握った。その目には、湖のゆらぎによく似た涙が立っている。

思いきり抱き締めたい衝動をおさえながらウィリアンの肩に手を回した。

「俺はあの時・・・仕事でいなかったけど…とても辛い目にあったんだろう?人づてできいただけでも胸が破れそうだった。」

「っ…。」

次から次へと溢れる涙を服の袖で拭うべきか迷っている時

「ベート。貴方が私達に情報や資料を渡してくれる用意があるなら金銭の提供に応じます。」

一瞬でもウィリアンの声だと思った自分が憎い。 いつの間にか側に近づいていた白いからくり仕掛けのカートが俺に話し掛けていた。

「前も言ってたが具体的に何を渡せばいいんだ?抽象的に言われてもわからない。」

「今日貴方が子供に渡した本をここへ持ってきて下さい。そしてそれを私達に見せながら内容の解説をして下さい。」

「ここでか?さっきの部屋でしないのか。」

「子供達は私の声を聞くと心が不安定になる、とウィリアンからの報告があります。」

「ああ…」

気持ちは解る、と言いそうになるのを堪えてウィリアンに目配せをしてあの部屋への道を戻る。

部屋に入ると誰にも手をつけられずに転がったままの絵本…子供達を睨んで外へ出て、ウィリアンの為だ…と自分に言い聞かせながら道を行く。

「待たせた。これで良いか?」

「はい。私に絵を見せながら、ゆっくりと読み上げて下さい。」

ながくなりそうだ…と思い地面に座ろうとしたところで、ウィリアンが切り倒した後の中型の木を転がしながら運んできて、俺の後ろで微笑んでいた。

「このぐらい自分でやったのに…ウィリアン、本当に、有難う。」

「たいしたことないよ。ほら、座ろ?」

どこか幼い笑顔で笑いながら丸太の上に座ったウィリアンは自分の隣を勧めてくる。

実は幼なじみと言ってもこんな風にウィリアンの隣にいた事は無かった。

あの頃の俺は、要領の悪いくせに力だけはある気の利かない子どもで…今も、大して変わらないんだ。

「準備は整いましたか?」

俺は返事をかえして、隣のウィリアンに聴かせる様に読む。

何度も『友人』に止められて、言葉の比喩や、その場面の登場人物の心境について求められる。

その様子は傍目にみれば白いカートの側で本を見ながら楽しく語り合っている恋人同士に見えないかと…淡い気持ちになった。

 その後の日も隙を見ては森へ出向いて、『友人』やウィリアンが求める品を持ってきた。

ウィリアンと似た声で喋るカートと子供達は相変わらず何を考えているのか分からず気味が悪かったが、ウィリアンは俺に笑顔を何度も見せてくれるようになった。

いつもみたいに息苦しい白だらけの小屋から出て、二人きりで歩く。

「ベートが作ってくれたおもちゃ…子ども達は気にいったみたい。あなたがいる時は照れて触らないけど、いない時は取り合いしてるのよ。」

ぎこちない、新しい笑顔だ…でもその事は嘘だろうしそんなのどうでもいい。

逢う度に思いが強まっている。今では…祈りの時間でさえウィリアンのことを考えている。

「私…気付いたんだ、今の生活、これからの生きていくのに大切なもの…」

かつてない、真っすぐな眼差しが俺をつらぬく。もしかして、期待していいのか、ウィリアンは、俺を、

「暖かい家よ…白くない、普通の家。…暖炉があって、ちゃんとした料理を作れて、味のするご飯を子ども達に食べさせることが出来て、ひなたぼっこをしながら窓辺で眠れる、そんな家よ!」

「……そうだな。」

「ねぇ、そんな家をあの‥『友人』はくれると思う?ていあんしょ、ていうのにそれを書けば良いのかしら!?」

潤んだ瞳は初めて俺に向かって掲げられて、見たことも無いほど森の光を映して輝き始めていた…。

その幻想の中に俺は加わっているよな。そうだよ。ほら、この表情。ウィリアンは俺のことを好きなんだ。

「書くのを手伝うよ。仕事で覚えたから…きっとウィリアンよりは字を書くのは得意だよ。」


「はあ?行かねーって今度の出張のことか!?」

「俺にはそれぐらいしかない。そのことで、お前に相談がある。」

「何だよ…お前今日はいつにも増して無表情で気持ち悪いんだよ‥」

昼休憩に仲間達と離れた木陰にヴィアを呼び出した俺は、分り易いように銀貨が詰まった革袋を口を開いて差し出した。

「俺は今度の出張は断る。協会には父親の仕事を手伝わないといけないからという名目にするつもりだ。父には協会の出張に行くと伝える。俺は元からどっちの仕事も行ったりきたりしているから多少前後していてもばれにくいだろう。お前には‥人から訊かれた時に口裏合わせを頼みたい。」

目を見開くヴィアが口を開く前に俺は捲したてた。ヴィアは、ぎぎっと音がなりそうに口を無理矢理動かすと

「俺、お前に協力するとは言ったけどさあ‥しょーじきお前にそんな度胸ないだろうなと思ってたよ…うえぇー驚いた‥!」

手は素早く動いて革袋をポケットへ仕舞った。代わりのように自分の弁当を俺に勧めてくる。

「で?そろそろどんな女なのか教えてくれよ?出張は~三週間はあるだろ?そのあいだずっといちゃつけるなんて最ー高ーだな!あ~俺も出先でどんな子とデートしようかなー今から楽しみで頭がくらくらする!!」

元からウィリアンの事を言うつもりはなかったが、人にきいておいてすぐ自分の世界に入れるこいつは凄いな…羨ましくもない…

ウィリアンの家での味の薄い料理に慣れてきていた俺は自分の弁当に不味さを感じて、ヴィアに差し出した。


俺の仕事は木こりだが、自分の将来も見据えて石造りの家の建築にも時々携わっていた。

何とか覚えた建築の為の言葉のいくつか。友人を通じて手に入れた建築家の為の本を暇があれば読んでいる。

 俺とウィリアンは何度も言葉を重ねて、粗末な紙に『友人』と交渉したいものを描いた。

言葉や絵を尽くして書き綴ったことを一言で言い表すのは難しい。

でもウィリアンの願いは痛いほど伝わる。それは

『暖かな家庭が欲しい』 ……。

その為の第一歩は家造り。白くない、一般の人達が住む家。

この白い小屋を建てる技術がある『友人』なら難しくないはずだと踏んで、ウィリアンと俺は白いカートに向けて必死で紙を見せ説得した。特にウィリアンは、子供達には今の場所とは違う、暖かい雰囲気を持つ家が必要不可欠だということ、それが実現するなら自分達は『友人』の為に出来る限りを尽くすと。白いカートは十秒ほど黙った後、協力すると返事をした。

そして一週間経ち…今に至る。

「もうほとんど外側は出来ていそうね…あの白いからくり達、本当にすごいわ…」

「そうだな。一体どこの何者なのか‥」

「さぐっちゃだめ。」

「解ってるよ。」

ウィリアンは嬉しそうにしている。


 扉はこれから取りつける為まだないが、その穴をくぐり抜けて中に入った。

ひたすら煉瓦を積むことによって作られた部屋。まだこれから主に自分達の手で改装しなければいけない所だが、ウィリアンは嬉しそうに子供顔負けに部屋の真ん中で踊っていて…

「女神だ。」

「神様はいないってウィリアン様は言ってたよ。」

眼鏡の子供がいつの間にか俺の隣に立っていて余計な事を言ってきた。だが、それは当たっている…。

何度か言葉を交わすうちに気付いてしまったことがある。

 敬虔な精霊助師の両親の元に育ち、将来彼女もそうなるであろうと誰もが信じていた少女は…事件を経て信仰を失ってしまった。

村ではその正体は実は魔女の一族だったと囁かれ、俺はその噂を耳にする度否定したが、逆にお前も魔女の仲間だと疑われかねないと脅された。

それでも否定し続けたが、今ではその話題すら村の禁忌となっている。

その事はウィリアンに言うことは決してしないが、何となく分かっているんだろう。つい村の話をしてしまった際辛そうな顔をする。

俺が…俺しか、ウィリアンを幸せにする事は出来ない。これからもずっと、俺はウィリアンを、この微笑みを守り続ける。

 俺は死に物狂いで家具を作り続けた。各部屋に置く為のもので、一つ作るとほぼそれに近いものを模倣して『友人』が用意してくる。

ウィリアンと子供達は壁に漆喰を塗り、床の煉瓦に木の板を組みながら敷いていった。

水回りは『友人』によって小屋と同じ仕様になった。きっとこれらも大金持ちしか持っていない造りなんだろう。

とりあえずある程度台所を完成させ、俺は身を隠し闇市で食糧を買いなるべく皆で食事を摂ることにした。

最初は簡単なサンドウィッチ作り。それでもウィリアンはとても嬉しそうで、子供達もうっすら微笑んでいるように見える。

さらに怯えるウィリアンを説得して、もっと森の奥へ行ってみると花畑や湖を見つけた。

あの事件から十年以上経っているのに碌に外にも出ていなかったらしい…

湖の端に座り込み、靴を脱いで脚の先を浸すウィリアンは湖の女神のごとく輝いていた。

「こんなところがあるなら子ども達を連れてもっと外へ出れば良かった。‥ここへ来てからは、拾った子ども達を生かすことに精一杯で何も見えてなかったから。」

「どうやってここへ辿り着いたんだ?」

ウィリアンは一瞬だけ鋭い目つきで俺を見た。

「言いたくないならいいよ。」

「いえ‥そう‥事件のこと、は知ってるわよね?」

「ああ…」

思わず目を逸らしたが、ウィリアンは気にせず続ける。

「あの後…足が痛くて動かなくなるまで私はこの森の奥へ進んだの。もう駄目だって意識を失って、目覚めたらたき火の側に寝かされていて…色んな獣の気配もあって怖くてもう進めなかった…あと簡単な日用品とか食料も置かれていて、でも誰もいなかった…気味が悪かったけど、数日炎を見ながら泣いて過ごした。食料も尽きて、涙も枯れて出なくなった頃、『友人』が現われて、『私達の家へ来ませんか。』って言ってきてね‥生きたいならそれしか選択肢は無かったのよ。」

俺はウィリアンのすぐ隣へ座り直した。長い金の髪越しに彼女の肩へ触れる。

「ウィリアンが生きていて本当に良かった。」

触れる肩の温度が一気に上がったのは気のせいじゃない。

「もう言わなくて良い。つらいことを言わせてしまったな。」

「いいえ、だって私が逆の立場なら気になるもの!当たり前よね…。でも!ベートの心づかい、とても嬉しい」

ウィリアンの唇がすぐ近くにある。少し乱れた息遣いも聴こえる。

今目の前にある唇を塞げば、五月蠅うるさい森の音はすべて消えるんだろうか。

試そうかともっと顏を近づけた時、視界を横切る虹のような光が自分達を横切ったのに気づいて…思わず顔を上げて周りを見回す。

真っ黒過ぎる烏が、羽の艶で森の光をはね返しながら距離を置いて俺達を見ていた。思わず睨みつける。

「あ、あの子はね…ノアって言って私の使いなの。『友人』が私の相棒にすれば良いってくれたの。呼べばすぐ来てくれるし、賢いのよ。」

「今は呼んでないだろう。」

「…あの子のこと、気に入らない?」

ウィリアンの沈んだ声色にはっとして顔を向け直す。その眼差しは、まるで私の子供達のことも?と問いかけている様で、いつもとは違う風に心臓がどきどきする。

「別に、そうじゃないけど‥そうだ!使いなら何か手伝ってくれるんだろう?何が出来るんだ?」

「えーとね、人の言葉が解るから、手紙を届けてくれたり、意外と力持ちだからちょっとしたものなら運んでくれるのよ。手鏡とか…分厚い本とか…」

気まずそうに顔を烏に向けて、手招きして呼び寄せた。手にとまって、ウィリアンと額を擦り合わせている。

何も知らない奴なら微笑ましいと思うだろうが、俺にとってはひたすら汚らわしくて憎たらしい場面だった…。


今屋敷の中である程度部屋の内装が終わってくつろげそうなのは、一階の台所、二階の二部屋が‥ウィリアンの部屋と子供達の部屋だ。

ベッドの枠だけ作り、中のマットは今度知り合いに訊いて作るとして…とりあえず今はクッションをあるだけ敷き上へシーツを被せ、上に寝ころがれるようにした。その上で子供達とはしゃぐウィリアンは…この先の言葉はもう何度心の中で呟いたか忘れるぐらいだった。

俺はどちらにも遠慮して台所の床にクッションをいくつか、部屋の中央に置いて雑に寝ることにした。

寝心地だけなら『友人』が用意したベッドの方が良いのは俺達も分かっている。けどウィリアンが求めているものは『友人』には出来ない事を彼女も解ってきたはずだ。

「ウィリアン。これから暮らすにつけて…もっと色んな雑貨が必要になるだろ。ティーカップもこんな簡素なものじゃなく」

薄暗い森の中を走りまわる子供達を台所の窓から眺めながら俺はウィリアンに伝える。

「どういう…こと。」

ウィリアンは怯えている。俺の次の言葉に…

「一緒に闇市に行かないか。あそこは誰もお前が何者かなんて訊いてこないしローブの着用義務がある。歩いて半日も」

「嫌よ!私が…どんな目にあったか知ってるでしょう。」

そっぽを向いて逃げようとするウィリアンの腕を掴む。持っていたティーポットのお茶が新しい床に零れた。

「知っている。でももっと母親らしく成りたいんなら、闇市で買い物出来るぐらいには克服しないと、この先が無いだろう。」

「母…親…」

またウィリアンが、母性に執着する時に見せる目つきになった。

「母親に成りたいんだろう?」

俺は知っていて言いながら背中を押す。

「もう成ってる。けど…ベート‥ベートは奥さんいるもんね。ベートが、言うんだから……」

俺は変な笑い方をしない様に気をつけながら、安心させる為に笑顔を作った。


子供達も連れて行きたいと駄々をこねるウィリアンをなだめて闇市まで連れ立った。

顔を誰にも見られたくないウィリアンは黒いローブの中でさらに顔に布を巻いている。それが逆にウィリアンの美しい瞳の色を引き立てて目立っていることは本人以外は気づいている。

「ねぇ…さっきから視線を感じない?私、気づかれてない?」

ウィリアンと手を繋ぐ。一瞬大きく震えたけれど、振り払われることは無かった。

「大丈夫だ。俺が守る。」

そのまま手を引っ張って市場を巡る。調味料、食器、服を作る為の材料、子供達のおやつ。

顔を青くしてうつむいていたウィリアンが、それらを買う度に顔を赤くして子供を抱くように袋を抱える。

「ありがとう。ここへ来るまでは恐くて吐きそうだったけど…ベートが側にいてくれたからどうにか前みたいに買い物が出来て…嬉しくて、…」

陽も暮れかかった頃市場を出た俺達は、子供の頃みたいにお互いの影を踏み合いながら帰りの道を往く。しかし館への道は半日はかかるので今夜は野宿をするつもりだった。

「…泣いてるのか?‥あんまり見ない方がいいな。」

「何で?」

「女性の涙をじっと見るのは礼儀に反するって、教えにもあっただろ…」

しまった、と思った頃にはウィリアンは顔の布を取って涙を流しながら俺を見つめていた。

「私はもう教えは守らない。見てくれてもいいよ…。」

唖然として佇むうちに陽は暮れていって、ウィリアンの表情さえも見えなくなった頃我に返る。

「どこか…泊まろう。あの木の辺りとか、道から見えづらそうだ。」

 俺達は木の枝をあるだけ拾って薪を集めた。簡単な野宿用品を持ってきていた、そのうちの薄い毛布を取り出して半分づつ膝にかけ炎の揺らめきを絶やさない様しばらく見守る。

「寒くない?」

俺を少し斜め下から見上げたウィリアンは心持ち俺に脚を寄せて訊いてきた。

「…寒くない‥ウィリアンは、寒いか?」

「寒い、かもね。子供達も寒くしてないか心配。一応暖炉も作ったけど子供達だけで使わないように言ってるし…」

また子供か。ウィリアンは口を開けば子供のことばかりだ。自分の子供でもないのに‥どうしてそんなに可愛いがれるのか俺には全く理解出来ない。

「大丈夫だよ。あの子達は大人びてて、何でもやれる子達だから。」

でも口を吐いて出るのは反対の言葉ばかりだ。その度にウィリアンの目に輝きが宿るのが苦しくて動悸がする。

「でもね、そうはいってもまだ子どもなのよ…ベートが部屋やおもちゃを作ってくれる様になってから笑顔が増えたの。ここまで来れたのはベートのおかげ…。」

ウィリアンは荷物を漁ってクッキーを取り出した。市場で買った物ではなくて、キッチンで作った味の薄いクッキー。…いつもより砂糖が多いのか、キラキラしているような気がする。

「これからも‥私と、子ども達を、助けてくれる?良ければ……」

父親に、と言葉に成らない口の動きをした後、両手でクッキーをすくって俺に捧げる。

目の中を覗くと、子供の頃俺に悪戯がばれてそれを誤魔化したのと同じ視線がたき火の明かりをものともせずに届いて来た。

…俺は唇をぐっと嚙み締めた後、口でクッキーを掴んで半分を食べた。もう半分をウィリアンを真似て差し出す。ウィリアンも俺を真似て食べた。疲れを思い出して、おやすみを唱え合い背中にウィリアンの鼓動を感じながら眠りにつく。

すべて子供の頃の遊びみたいだった。俺は夢の中でも、大人の自分と子供の自分を行き来している。本当の俺は、もっと違う自分になって、ウィリアンと…。


別れの時が近づいて来る。数日に一度家族へアリバイ作りの為に手紙にありもしない物語りを書いてノアに郵便に出すよう託す。

家に帰る前にヴィバリアスに会って口裏を合わす為に手紙の中の話をしないと、そう考えると仕事よりも疲れる気がした。

子供達も少しだけ俺に慣れてきて、遊びはしないがかまって欲しそうに背中にボールをぶつけてきたり、作業をしているとお菓子を近くに置いて逃げていったりすることが増えた。

その様子を見ているウィリアンが、俺に期待を込めて視線を送ってくる事が増えた。

―『父親』。俺がいつも演じている日常の役。ここでも、演じるのか?

俺は俺に問い続けているうちに帰る日まであと二日になった。

「ね、みんなで花畑にピクニックへ行かない?ジャムサンドぐらいならすぐ作れるし、本でも持って気晴らしに!」

子供達はピクニックは好きではなさそうだが、ウィリアンに急かされるままにバゲットにお菓子とおもちゃを詰めている。

湖まで行く道程の途中、眼鏡の子が俺と手を繋ごうとして来たが、ウィリアンの荷物を代わりに持つことにしてさりげなく逃げた。

悪いが俺は、ウィリアン以外と手を繋ぎたくないんだ…。


 花畑には初めて来た。

「前々から天気の良い日はどこかから良い匂いがするなと思っていたけどここからだったのか…」

「そうだよ。魔女の森名物でもあるの。ここの花を使った押し花で絵葉書でも作って売る、っていうの考えてるんだけど、どう思う…?」

「良いと思う。なるべく綺麗な花を摘もうか。」

「やった!みんなー!今日は綺麗なお花摘み放題だよ!どれにするー?」

またウィリアンが…俺を置いて遠くで遊んでいた子供達のところへ行ってしまった。

花畑の中で子供達と戯れているウィリアンは花の妖精そのもので、とても魔女なんかとは言えない。

俺は…ウィリアンを魔女として縛り付けているこの森の全てが憎くて堪らない。

――声が聞こえた気がした。ひそひそと話す、女と子供の高い声‥花畑の方では無く、反対側の薄暗い森の奥から…。

なぜかすごく気になって、俺は花畑から抜け出して、その方角へ向かった。

…―花畑の暖かさなぞ微塵も無い冷えた森の空気の中をなるべく足音を消して歩くと、声も大きくなっていく。

これはもしかすると、例の『友人』の声なのではないか。こんな気味の悪い森の中へわざわざ入る人間は俺しかいないだろうし、疑問を確信に変えて進み続けると―

石板の群れがあった。 一番近くの物を見てみると日付が彫られている。―また声が聞こえて、その方向を見ると白い人影が舞ってさらに奥へ逃げていったように見えた…

追いかけたが人影は消えていて、その近くの墓には掘り返された様な跡が…

「おーい!ベート何してるのー?」

ウィリアンが俺を追い駆けてきた。小走りで俺の元へ着いて、大きく息を吐く。額には大粒の汗と、目は泳いでいる。

「変な声が聞こえてきたんだ。子供と、女の声みたいな。逃げていったみたいだが…他にこの辺りに人間が住んでるのか?」

「住んでない…どうしよう、ノアから連絡は無かったけど、霧の壁を通って村の人達が…もしかして、ベートの家族が会いに来たんなら…」

「そんなはずない。そんな事より、ここは何なんだ?どうみても墓地だろう?なんで…誰の墓なんだ!?」

ウィリアンの目が左右に泳ぎだす。まさか…まさか…ウィリアンの…子供…俺はウィリアンが後退りし続けても近付いていく。逃がさない…!手を掴んだ時、ウィリアンが叫ぶように言った。

「赤ちゃんの…ここが魔女の森だと分かっていて捨てられた子供達の墓よ!!助けたかった…けど、この森の夜は急激に温度が下がるから助けられない!助かっても、子供のほとんどはやがてこの森の結晶に耐えられずに…!」

ウィリアンとは関係無い赤子の墓だと聞いて俺はほっとしながら、ウィリアンの涙も髪も一緒くたにして抱き締めていた。

「そうか…だから、お前は子供に執着するのか。」

「執着なんてしてない!!私はただ、今残った子達だけでも助けたいだけよ!!!」

顔を上げたウィリアンは俺をにらみつけて突き飛ばし逃げようとした。絶対逃がさない。腕を強く掴んでもう一度抱き締める。

「自分の子供でもないのに助けてどうする!これからも子供はここに捨てられるんだろ!?死なずに増え続けたらどうやって食べさせるんだ!今でさえやっとなのに!」

「あなたが父親になってくれれば、続けられる‥!」

ウィリアンはついにずっと目で訴えていたことを口に出した。憎らしい言葉を唇で塞いでやりたい。

首を傾げて顔を近づけた、さっと避けられて俺の鎖骨にウィリアンの顔が埋まり、唇があたり、動く。

「子どもは私の宝物よ。一緒に守って、お願い…」

抱き潰したい衝動を抑えて、ウィリアンの髪を指で梳きながら俺は言った。

「俺と一緒に森を出よう‥子どもが宝だっていうなら、俺とのあいだに作ろう。ここの森はあの子達も含めて呪われてる。置いていかないと…これ以上ここにいればお前は魔女のままだ!」

首元に痛みがはしって、反射的にウィリアンを押してしまった。乱れた髪の隙間から鋭い目が俺を見る。

「解かりあえないのね…私達。」

ウィリアンが見たこともないぐらい泣いている。どうしてなんだ?俺は何か間違ったことを言ったのか?ウィリアンをまた抱きしめたいけど、身体が動かない。

「そうね、あなたは森の外では別の子の父親だもの。私の望みは…可笑しいのよね」

「俺はウィリアンさえいればいい!!他の、今の妻と子は捨てる!俺は、ウィリアンだけをずっと想っていたんだ!!」

ウィリアンがしっかり顔を上げて俺を見つめた。見せたことの無い、冷たい視線だった。

「私は母親よ。‥父親になれない男は要らない。」

「あの子達は友人に面倒を見てもらえば良い!ウィリアンは本当の自分の子を育てるべきだ!それが本当の母親だろう!?」

「お願い、この森から出ていって。今すぐ…二度と来ないで。」

「俺が何をした?俺は!!何か間違ってるのか!?」

「間違ってない。間違ってないから、つらいの‥無理なの…」

目の前が少しづつ昏くなる…俺はっ……!!

「あ゛っ…かは、っ…!」

誰かの手がウィリアンの首にかかっている。誰が…‥

「え゛、い゛っ…は…」

ウィリアンが、首を絞められながら微笑っていた。優しい、あの頃の笑顔…!

「げほっ!!がっ、はあっ!!はあ…はあ…‥」

顔色の悪いウィリアンが膝から崩れ落ちた。ウィリアンの首が抜けたこの手は、俺なのか?

このままここにいたら、初恋の人を…この手で…‥

「……俺は帰るよ。帰って、×××と××の父親に、戻る…」

口ではそう伝えても、足が未練がましく動かない。ウィリアンがゆっくり立ち上がった。

「今までありがとう。私も、子供達も、楽しかった。貴方との想い出、忘れない…わ、」

ウィリアンが俺にハグして、柔らかい胸の鼓動が伝わってくる。妻とは感じなかった、暖かさ。首筋とうなじの境目に唇を押し当てて、思い切り跡をつけてやった。

「…さようなら。ずっと元気でいてくれ。」

抵抗しなかったウィリアンの潤んだ目をしばらく見つめた後、俺は森の出口‥霧の匂いが強い方を目指して歩いた。

時々追い駆けてくるのを期待している自分を木にぶつけながら霧の中へ入って、外へ出た。

一心不乱で歩いて、気づいたらヴィアがいつもいるバーへ転がり込んでいた。

阿保の様に泣き叫ぶ俺をいつの間にか端に座り込んでいたヴィアが甘い酒を呑ませて面倒を見てくれた。

その頃はまだ良い方で、気がつくと妻も子供達も自分から避ける日々を続けた。

家の外へ小さい小屋を建てて最低限の時以外はそこへ籠るようになった…

子供達の相手は時々した。笑顔が前より減ったと妻に言われたが、俺は返事をしなかった。

独り言をどうにか形にしたくて、仕事が休みの日はウィリアンに似た女が登場する小説ともいえないものを書き続けた。

小説の中で、俺とウィリアンはあの日の続きを始めて、どこか別の町で暮らし一生を終える。

そしてまた転生して出会い、また結ばれる。俺はその中で自分だけの幸せを見つけていた…。

もう一つの俺の物語は勝手に進み、あまりの周りへの関心のなさに病気だと言われたが気にしなかった。

子供達は大きくなり、結婚して孫もできたようだ。名前はよく分からないが。

身体は昔のようには動かなくなり、木こりの仕事を引退した。妻に支えてもらいながら生活をし、どこかから俺の小説の話を聞きつけた都会の人間が本を出版しないかと持ち掛けてきた。

断ったはずだが知らない間に出版されていて、それなりに売れたのかファンと名乗る人間が家に押しかけてくる様になり、俺は妻と共にそこそこ都会の方へ引っ越した。

前の村よりも都会とはいえ閑静な住宅街に建つ小さな屋敷はウィリアンとの日々を思い出させ、俺の中のウィリアンは色んな小説の舞台で踊り続けた。

妻は屋敷の別室に入れ替わりに男を連れ込んだり、酷い場合は台所で交わっていたが俺は無視した。

若い頃はろくに俺とはしなかったくせにいい歳をして盛りがついた姿は気色悪かったが小説の人物としては参考になった。

―ウィリアン。俺に近づいてくる人間が汚いほど彼女は妖精になり、美しくなる。

もう一度彼女に逢いたいと霧の壁へ向かったが、霧は俺を惑わせ受け入れてはくれなかった。『友人』も呼びかけに応えない。

でも良い、きっとウィリアンに触れる男は俺が最初で最後だから。

ウィリアンの望む子供達の父親なんて現れる事は永遠にないと俺には解るんだ。だから…ウィリアンはずっと俺のものだ。


身体がほとんど動かなくなって、目も見えなくなって。

とぎれとぎれになった意識のあいまに、見たことのあるような顔達が集まっていた。

別れの様な言葉を並べて、俺の手を握ったり、涙を俺にかけてきて冷たい。

全部鬱陶しくて、はやくこの人生を終わらせたかった。

早く、早く逢いたい。生まれ変わってウィリアンの側へ行きたい。風でも草でも子供でも良い、出来ればまた男として。

ウィリアン…俺が迎えにいくまで、死なないでくれ。

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