プレ版『an科』

梶浦ラッと

本編『an科』

 そうして人類は永遠の眠りについた。

 B教授はまだ早い。と批判した。

 A教授は成功したのだ。と涙を流した。

 同時にそれは、世界中の民に永劫の極楽浄土の証明と自分の不安定さを示した。何しろ初めてだったのだ。人類が科学歴史を積み始めてはや3200年、今、人類は眠ることが出来たのだ。それがどれ程すごいことか分かるか? このSNS世論大正義時代に、突拍子もなく、悪夢のように謳われ続けてきたこの説を、多数の反対と不安と呻きを退けて初めて歴史を収束させたのだ。宇宙の観測可能範囲の膨張速度の様な速さで増えるパラレルワールドの一つを収束させたのだ。勿論、全てのパラレルワールドの中で初めてかは分からない。それを考えようとすると、パラレルワールドの時間軸の相互性と相違性に触れることになるから、やめておこう。とにかくこの段落で分かってほしいのは、世紀の大実験は成功したということだ。

 さて、眠った人類はどうなったのか、それについて少し話しておこう。まず簡潔に言えば、無になった。それは大多数が考えている死である。そして人を知る人は一人残らず無になったから、第二の死とされる忘却も同時に発生した。人類は発生元のパラレルワールドの歴史に刻まれているが、人は刻まれていない。よって世紀の大実験は成功し、想定内の副作用によって人々は非業の死を遂げたのだ。耳を澄ましてみてほしい。ほら、聴こえる、かの日が――。


 今日も日が沈む、街の音と共に。無常なる毎日は平穏であった。美しき川のせせらぎは、荒れ狂う大河と悠久を運ぶ街の運河を経験して海に流れ出る。幼児は生まれる。老人は人生を全うする。木々は眠り始めた。テレビによれば明日、私達は楽園に行けるとのことだ。極楽浄土。このホログラム都市、嘘の世界を取り囲むトゥルー・ワールドには本当の自分と最高の環境があるらしい。

「はぁ、また悪魔の種子に感染した人がいるのか。気の毒に」

 テレビには顔写真とフルネームなど、様々な個人情報が写る。だが、侵された種子を放置しておくとトゥルー・ワールドに行けない人が増加してしまうから、こうするほかないのだ。

 あぁ、また私は良いことをしたぞ。


「緊急、緊急! パラレルワールド収束装置が誤起動し始めた! 直ちに原因究明、停止を!」

 友人、妻、他人が皆同じ顔をして通路を左へ走る。僕は目の前の機械へ手を伸ばす。

「えー、これを赤色アダプタに接続して、jjコードを入れれば…よし」

 僕は振り返って通路を左へ走った。サイレンが再び轟き、全体放送が最大音量で音割れしながら鳴る。

「緊急、緊急!SNS、政府、テレビにトゥルー・ワールドへの移行が始まったと伝えろ!研究員は引き続き、原因究明、停止に努めよ!」

 もうこの頃、研究員の大半はしりもちをつき、顔は青白く、床に着いた右手は袋に入った鼠の様に震えていたことだろう。と思った瞬間、目の前を数多の研究員が走り去っていった。その中に混じって進んでみると、真実を論じるマイノリティらが研究所の第一玄関である、分厚く広い硝子戸に顔を吸盤の様にくっつけ、怒鳴っている動きだけが見えた。何しろここは国内有数の大研究所であるから、少し郊外にあるとはいえ防音設備は完備しなければならなかったのだ。

 目を凝らすと、来たは良いものの、最前列の人の怒りのベクトルが違いすぎて引いている者も奥にいるのが見えた。指差しで数えるとここにいるマイノリティらは二十強もいた。この短時間で来たと考えると相当な人数だ。だが研究員にこの騒動を抑えようとする動きは見えなかった。なぜなら、パラレルワールド収束装置はもはや完全停止する猶予など無いと、専門分野の人間だからこそ皆分かりきっていたからだ。またもう一つ、マイノリティ過激派がこんなにも集まったのを見ると、遅かれ早かれマジョリティ過激派も来るであろうと容易に予想できたからだ。それなのに研究員が皆ここを離れないのは、諦めもあるが、一番は両過激派の衝突を、高みの見物したいという人間本能的な欲に従っているからである。だから僕は緊急用の第一玄関から既に両過激派の揉み合いになっている外へ突進した。


 そうして人類は永遠の眠りについた。

 B教授はまだ早い。と批判した。

 A教授は成功したのだ。と涙を流した。

 N教授はこう言った。神は居ると。私が神だと、かつ私は一人のホログラムなのだと。またこうとも言った。神は下界に干渉し万象を操ることが出来る。だが、神は自分より上の世界を知ることは出来ないと。

 その言葉は永劫の極楽浄土を藪の中へ葬る結果となった。A教授はN教授を猛烈に批判した。痛烈に批判した。

「A教授、これからTVでN教授と討論会です。何か準備しておきましょうか?」

「あぁ、そうだな、瓶でも持っていってくれ」

「かしこまりました」

 助手は壁掛けの棚に整列された虫入れ用の瓶を持った。

 A教授はかたわら、虫についても博士号を取り、講義にも何度か呼ばれる昆虫学者をしている。

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