月明かりの踊り子
水乃 素直
第1話 契約
その夏はとても、暑かった。
商業ビルの一室にて、スーツを着た5人の男がいた。
エアコンは、太陽の熱を和らげた。椅子は木製で、漆塗りの机は、みるからに調度品として高級であった。
上座側には、グレーのスーツを着た大柄の男が座り、二人の付き人が立っていた。
下座には、黒のスーツを着た2名の男が所在なさげに座っていた。部下の男は、汗を流しながら、窓やドアの向こうを何回もちらちらと見ていた。左腕に付いている時計が一度ぶるっと震えた。
「下柳、落ち着け」
「はい、すんません」
「上野さん、よろしいですか」
上座の男、上野義臣《うえのよしおみ》は頷いた。下座の男、衆議院議員
「下柳、書類を」
部下の下柳は自分の命のように、丁寧に書類を置いた。
「では、サインの準備を」
上野と宮下は、それぞれ左腕の時計を見せ合った。時計のコレクションを自慢しているわけではない。同じスマートウォッチ、それぞれ液晶が光る。
《狂気スコア:85》
《狂気スコア:91》
上野が言った。
「私の方が少し低いな」
「5分待てば上がりますから」
下柳はフォローし、宮下が続けた。
「スコアが90超えたら、署名いたしましょう。これで有効な署名になりますから」
科学技術が発展したこの社会において、一番信頼できないのは、機械ではなく、人間だった。
「人間の『意思』というものの脆さと不確かさ、これを担保するために待つとはね」
「時代は変わりましたね」
突然、音がした。数多くの足音がして、ドアから黒い塊のように流れ込んだ。
奥から出てきた捜査員の一人が叫んだ。
「動くな! 審問官だ! 国家転覆の疑いで、今からここを捜索する!」
身体の大きな審問官は、一気に部屋の奥まで入り込み、書類を持って逃げようとする男を押さえ込んだ。別の審問官が、逃げ出すつもりの男から紙切れ1枚を取り上げた。
コンクリートで打ちっぱなしの壁と大きな窓のついた部屋には、5名の容疑者と10名の審問官がいた。加えて、5名が逃走ルートの先に待ち構えていた。
場の制圧は、一瞬だった。
「何か、言い残すことはないか?」
と言ったところ、部下の下柳が声を上げた。
「おい! うおおおおおおお!」
叫ぶと同時に、下柳の左腕が2回震えて、ずっと震え出した。狂気スコアが50を切り、冷静さを失うと、アラームが鳴る。彼の時計から『狂気点に到達しました。周囲の方はご自身の安全を確保してください。まもなく、警察と審問官が参ります』と自動音声が流れた。
「うおおお! なんで! くそっ!」
下柳が必死の形相で、審問官の三宅に掴み掛かった。しかし、その前にして、
青木の左腕の時計が1回振動した。
「英弘42年1月16日11時32分……!」
その時、青木のバディの
「青木、1回アラーム鳴ったろ。僕が言う」
と言い、左腕の時計を操作してから、改めて声を張り上げた。
「英弘42年1月16日11時33分、公務執行妨害により逮捕する!」
青木の時計には《狂気スコア:78》と、佐々木には《狂気スコア:95》と表示されていた。
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