第16話:陽毬とジェラピケ②

上原うえはらさん、」


 ジェラピケのパジャマを買ってからしばらく後、『タマにはゆルリと!』の映画館でのイベントの直後にあった『さよならは指切りのあとで』のアフレコの時、


「先日のイベント、ありがとうございました」

 

 玉川たまがわさんが俺に声をかけてきた。なぜか神妙な顔をしている。


「ああ、こちらこそ。楽しかったです」


「御礼は観に来てくれたことだけじゃないんですけど……。カラオケコーナー以降倒れてたって聞きました」


「ああ、まあ……」


 事実なので頬をかく。


「すみません、フルで観られなくて……」


「そんなこと、どうでもいいんです」


 真顔で俺を見据える玉川さん。


「もう、あんな危ないことしないでください。すっごく助かりましたけど、でも……マイクの電池切れなんて、上原さんが倒れてまでカバーすることじゃありません」


「そう、ですかね……」


 イベントというものに足を運んだことがないから、本当に分からないのだ。


 と思っている間も玉川さんはじっと俺を見ている。


「そんなにするのは、やっぱり……陽毬ひまりちゃんのため、ですか?」


北沢きたざわさんのためっていうか、単純にイベントの成功のためですよ。マイクの電池が切れそうって思って自分がPA卓の横にいたら、そりゃ口添えくらいはしますって」


「そう、ですか」


 玉川さんは「とにかく、」と続ける。


「本当にありがとうございましたなんですけど、あまり無理しないでくださいね。上原さん、頑張りすぎちゃうところあるみたいだから」


「玉川さんに言われるほどでは」


「え?」


 虚をつかれたように首を傾げる玉川さん。


「え? いや、俺は玉川さんほど頑張り屋さんではないです、という意味で……」


「あたし、頑張ってますか……?」


 期待するような目。


「そりゃ、毎回のアフレコ聞いてたら分かりますよ。どんどん演技の引き出しが増えているし、ニュアンスもどんどん細かくなってるじゃないですか。努力してなかったら、こんなにぐんぐん成長しないですよ。……って、こんな偉そうなこと言いたいわけじゃないんですけど……」


「あ、ありがとうございます……見てくれてて……聞いてくれてて?」


 玉川さんは、ちょっと頬を染めて俯く。


「いえ、仕事なので……」


「仕事、ですか」


「は、はい……」


「へえ、そうですか……」


 ……なんか、しっくり来ていない感じか?


「もしかして玉川さん、自分では自分のこと、『努力してる』って思っていないんですか?」


「いや、そうじゃないですけど……でも、あたしは、努力しないと、特別にはなれないから」


 情けなさそうに、玉川さんは頬をかく。


「生まれた時から特別、じゃないんです」


「それって……」


 その時、入り口から声がする。


「こんにちはー、北沢陽毬です」


「……ほら、制作進行さん! お仕事お仕事!」


 ニコッと笑った玉川さんは俺の背中を押す。


 促されて振り返ると。


「…………おい、なんだ……ですかその格好は」


「へ? じぇらぴけだよ?」


 ……なんでパジャマで仕事に来たんだよ?





 とは思ったものの、それは今日のアフレコ内容が理由だったらしい。


 陽毬演じる山津やまづユリハが、不意の台風で玉川さん演じる天川あまがわイチカの家にお泊まりする回。イチカにジェラピケ(とおぼしきパジャマ)を借りる。


 ユリハはイチカの隠れファンであるということと、その肌触りに興奮し、イチカがお手洗いに立った瞬間、


『ふにゃあああああああああ!!!!』


 とそのパジャマに顔を埋めて奇声を上げるのだ。


『……えっと、ユリハちゃん、どうしたのかな?』


『はっ……! ……なんでもないわよ!?』





 Aパートを録り終えて、声優さんたちに休憩してもらいながら、ミキサー室で今のシーンを聞いていた。


「あ、大蔵おおくらさん」


 その時、監督が俺の師匠の名前を呼び、思いついたように思いつきを言う。


「ここのシーン、ジェラピケの感触を音にしてユリハを包んでほしいんです」


「はい?」


 職人気質の師匠が素っ頓狂な声をあげた。


「感触を音にして……? どんな音を入れりゃいいんだ……?」


「いやあ、しゃわふわふにゃぁー……みたいな?」


「……監督、その手の擬音はあっちの瑠璃ちゃんとか陽毬ちゃんとかが言うなら可愛いんだけど、監督が言っても寒気がするだけだ」


「分かってますよ! ぷんぷん!」


 監督、それ以上は傷を拡げるっすよ……。


「うーん、音ねえ……まあ、なんかぼわわーみたいな音入れとくか? さらさらなタオルを撫でる音入れても仕方ないし……」


「いや、そういうんじゃなくて」


「じゃあ、どういうんだよ……」


 困ったように腕組みする。


陽毬ちゃんユリハに『ぽわわーん』みたいなこと言ってもらうか?」


「はい?」


 ドアのわきから陽毬がひょっこりはんする。


「お、そこにいたのか」


「聞こえてました」


 換気のためにドアを開けていたから、外で聞いていたらしい。


「あ、でもボク的には声とかじゃなくて、SEで入れて欲しいんですよねえ」


「だったらもうちょっと具体的なアイデアもらえるか!?」


「だから言ってるじゃないですか、しゃわふわふにゃぁーって」


「それのどこが具体的なんだよ!」


「んー……」


 俺は監督と音響監督の小競り合いを聞き流しながら、先日陽毬と一緒にジェラピケのお店に行った時に触った感触を思い出していた。……うーん、難しい。


「あの……れい……上原さん?」


「ん? ……はい?」


「これ、もしよかったら……」


「ああ、はいどうも……っていやいや」


 と、そこで陽毬が脱いだジェラピケを差し出してくる。中には一応Tシャツを着ていたらしい。


「……着てください、北沢さん」


 と断ると、


「あ、そっか。わかっ……りましたあ」


 そう言って陽毬は着直して、そして、


「じゃあ、はい、どうぞ……」


 と腕を出してくる。いや、別に着た状態で触らせろって意味じゃないんだけどね?


「いや、あの……」


「? どうぞ」


 と言いながら、陽毬がジェラピケの袖口で俺の手のひらを撫でる。


 と、そこで。


「…………!!!」


 閃いた!


「師匠……! あわじゃないですかね!」


「泡ぁ?」


「よーく練られた泡……あの、スパークリングワインの泡じゃなくて、洗顔料の泡。あれを作っていただいて、それの音を録るって言うか……」


 いつの間にか立ち上がった俺の横で陽毬が全肯定マシーンのようにこくこく頷いている。


「……やってみるかあ」





 後日、整音の日。


 その泡が極々ごくごく細かく弾ける音を録ったものを挿入すると。


「……驚いた。こりゃ、この手触りの音だ」


 師匠が資料用に買ってきたらしいジェラピケを撫でながら、感心してくれる。


 俺は小さくガッツポーズをした。







 そしてまた別の日の『タマにはゆルリと!』にて。



「今日のゲストも、北沢陽毬ちゃんですー……って、あれ、なんでジェラピケ着てるの!?」


「え、玉川さん、覚えてないんです? この間のアフレコの時も来て行ったじゃないですか」


「それは、そういうシーンがあったからじゃないの……?」


「それもですけど、わたし、これが勝負着なんです。知らないんですか? 仕事する時にジェラピケ着る方もいるんです」

 

「……まさかとは思うけど、ジェラピケの店員さんの話してないよね?」


「……………………してないんですよ?」


「もう! 陽毬ちゃんも陽毬ちゃんだけど、スタッフさん誰か止めてあげてくださいよ!?」


 番組の最後に、『スタッフの悪ノリでした☆(・ω<) テヘペロ』と明らかに反省していないコメントが流れていた。

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