父の呪術本で死者の復活を行使したら、見知らぬ女の子が召喚され懐かれました

春野 安芸

001.死者の・・・復活?

「いやだ……いやだ!父さん!母さん!しっかりして!!」


 辺りに意識のある者は誰も居ない、暗い世界で少年は一人声を張り続ける。

 人なんて来るはずもない遠い森の中。人どころか熊や猪が出てもおかしくない最奥にも関わらず、少年はグチャグチャになった地面に手をついて呼びかけていた。

 眼下には地面に横たわっている二人の男女。"父さん"として"母さん"と呼ばれた二人は呼びかけに答えることなく瞼を閉じており、それがかえって少年の焦燥感を募らせていく。


 二人の頭からはドロっとした赤いものが流れていて巻かれた布が何の意味をなしていない。無常にも突きつけられる現実に、少年は一人恐怖に襲われた。

 このまま目覚めなかったらどうしよう――――、なにか自分にできることは――――。そう考えて辺りを見渡したが草木しかない。更に周囲は漆黒に包まれていてライトに照らされた一帯から少しでも外に出たら何も出来ないことがわかり切っていた。だからただ声を張り続ける。

 何も出来ない自分へのやるせなさと一人きりという孤独感、そして容易に想像できる最悪の未来に目の前の世界がぼやけていく。

 曇天の空からは世界の嘆きと思えるほど絶え間なく水滴が降り注いでいて、手の甲に落ちる粒が自分が出したものかどうかも区別がつかない。


「おねがい……おねがいだから……」


 張り続けていた声も段々と力を失い、横たわる二人の手を握るだけになってしまう。

 なんでこうなってしまったのだろう。そう思って後方に目を向けると、光源……ライトより更に上へ目を向けると、カーブ付近に設置された街灯がひしゃげてしまったガードレールをこれでもかというほど明るく照らしていた。

 高さにしておよそ15メートル。そして少し目を落とすと少年たちを照らす光の発生源……原型を留めないほどグチャグチャになった車がジッとこちらを見つめていた。


 あぁ、なんでこんなことになったのだろう。と少年は嘆く。

 事故だ。家族旅行途中での事故。せっかくの旅行がこんな悲劇を引き起こしてしまうとは。朝幼馴染と喧嘩したから神様が怒りの鉄槌を下したのだろうか。

 いくら考えても原因なんて判明するわけもない。心の叫びを抑えつつ車から少し視線を横に逸らす。


 …………闇だ。

 もはや誰かに頼ることなんて考えられない。

 暗い森の最奥部。他に人が通る気配なんて微塵もなく、無常にも今は月が主役の時間。誰が見ても絶望的な状況。

 何も出来ない自身に腹が立ちつつギュッと地面に放られていた手を握ると、不意に呼応するような形で握られた指が一瞬だけ少年の手に触れた。


「っ……! 父さん!?」


 たった一瞬だけの、幻覚かもしれない感覚。

 けれど藁を掴むようにもう一度呼びかけると閉じられた瞼が僅かながらに動くのが見て取れた。


千晶ちあき……か……?」

「うん……!そうだよ!そうだよ父さん……!!」


 絶望の中で一筋の光を見つけた。思わず少年の表情が笑顔になる。

 よかった。まだ最悪の最悪までは落ちていなかったようだ。目を覚ましたのならきっとどうにかなる。

 そんな希望を持って返事が合った父へ目を向けたのだが…………。


「父……さん……?」

「千晶……。どこだ?……一体何……そうか、森に落ちたのか。ライトは……千晶、どこだ?」」


 底をついたと思われた絶望は、まだ奥深かったようだ。

 少年が見た景色。目を開けた父はただただ虚空を映していた。その目に生気は無く光を受け入れていない。

 もしかして目が…………そう思うと同時に父は突然咳き込みだしたのを見て少年は慌てて力強く手を握りしめる。


「父さん!?」

「ゴホッ……!ゴホッ!!…………これは……」

「無理、無理しないで!今助けを……!」


 咳き込んだ父の口から出てきたのは血。

 よく漫画とかで気軽に吐血するシーンがあるが、実際は危険な状態だという知識はあった。

 しかしだからといってなにかできるわけでもない。自らの服を引っ張って口周りについた血を必死に拭う。


 どうするどうするどうする。

 少年は必死に頭を回転させる。


 助けを呼ぼうにも周りに人はいない。母は起きる気配がない。スマホは何処かに落としたのか今手元にない。

 事態は一刻を争う状況。しかし役立ちそうなものなんて一つもない。

 ハイカード役なしだ。万策尽きた。そんな思いが頭をよぎるも決して諦めてはいけないと握っていた手を解いておもむろに立ち上がる。


「ちょ……ちょっとまってて!すぐに人を呼んでくるから!」


 辺りに人は居ない。ならばせめて失くしたスマホを見つけ出して警察か消防に連絡を。


 そう思って二人に背を向け踵を返そうとしたものの、動かし始めた足が何かにとられて思わず前のめりに止まってしまう。


「いいんだ……千晶」

「……えっ」

「いいんだ……」


 一体何に足を取られたのか。

 そう考えるまでもなく、振り向いた瞬間理由を察することが出来た。

 少年の足元には父の手が伸びている。目線は先程と変わらず天高くを見上げているが瞳に光はない。それなのに、見えていないはずなのにたしかに俺の足を取ったのだった。


 いい。

 いいとは何のことか。

 その答えを導き出せない……導き出すことを拒否しながらもう一度その手を握ると、父はふっと笑って少年に目を向ける。


「怪我は……ないか?痛いところ、は?」

「ない……ないよ!でも父さんはっ!」

「父さんのことは、いい。千晶が無事で、よかった」

「そんなっ……!!」


 頭から血が出て片腕両足は動く気配がない。更に口から血を吐いていて想像を絶する痛みが襲っていることだろう。

 なのに全くそんな様子を悟られまいとしているのか、おくびにも出すこと無く、ただ笑顔を見せる父を見て少年の瞳から今一度涙がこぼれ落ちる。


 フッと力が抜けて握った手が滑りそうになったところを父がグッと力を込めてそれを阻止した。

 まるで最後の繋がりを現すかのように。蜘蛛の糸よりもか細くて弱い、残された全ての力を込めるように。


「千晶、聞いてくれ」

「いやだ……」

「いいから聞くんだ」


 父の言葉を拒否するように少年は大きく首を振る。

 その言葉を聞けば終わってしまう予感がしたから。

 事実、これが最後の猶予である。父と子、二人ともわかっているからこそ伝えたく、聞きたくない。

 それでもなお力強く手を握る父。そんな言葉にしない父の力強さに負けた少年はボロボロと涙をこぼしたまま受け止める父を見下ろす。


「これから先寂しい思いさせるだろうけど、ゴメンな」

「ううん……」

「それでも、今は辛くても……きっと千晶にも良いことが絶対やってくるから、諦めちゃ、駄目だ」


 段々と父の言葉に力強さがなくなっていく。

 タイムリミットが近い。少年は一言も漏らさないよう意識を集中させていく。


 ザァザァと豪雨となった雨粒が容赦なく少年たちを打ち付ける。

 遠くではゴロゴロと雷までもが鳴っている。それでも、雨風に打たれても少年は父の手を離すことなくギュッと次の言葉を待つ。


「俺と母さんは……最後まで千晶のことを――――ゴホッ!ゴホッ!」

「父さん!?」


 最後まで言い切る前に父は何かが決壊したように咳き込み、その口から先程とは比ではないほどの血を吐き出す。

 吐き出した血は少年の服や顔にふりかかるも、拭うこともなくただ父の手を両手で握りしめた。


「ははっ。それと喧嘩した瑠夏るかちゃんとも仲直り……するんだ、ぞ。ちゃんとご飯を食べるんだぞ……」

「うん……うん……」

「いいか、ずっと言いたくて言えなかったことだが、俺も母さんもお前のことを―――――」


 ドカァァン!!!


 少年たちの近くで突然、そんなけたましい轟音が辺りの空気を震わせた。

 まるで何かが爆発したかのようなそんな音。辺りは一瞬にして白い閃光に覆われ少年も思わず目を瞑ってしまう。

 しかしそれも一瞬のこと。すぐに光と音は収まり、どうしたのかと顔を上げればひしゃげたガードレール近くの木がバキバキと音を立てて崩れ落ちるところだった。雷だ。きっと雷があそこに落ちたのだろう。轟音の正体が判明したところで少年は今一度視線を下へ送る。


「父さん……?」


 聞き取ることの出来なかった最後の言葉は何だったのか。

 そう思ってもう一度聞こうと父に顔を向けるも、その表情は穏やかなまま横たわっている。

 いつの間にか力強かった手の力は完全に抜けており、少年が力を緩めると同時に手から滑り落ちて地面へ落下する。


「父さん……ねぇ、起きてよ……ねぇってば……」


 現実から逃げるように横になる父を揺さぶるもその目はもう二度と開くことはない。

 それでも信じたくない少年はただひたすらに横たわる二人の手を握って呼びかける。


「さっきなんて言ったの……もう一度、お願い……」


 悲痛な少年の声はいくら語ろうとも2人に届くことはない。今度こそ目を覚ますことはないのだ。それでもなお、少年は力尽きるまでひたすらに二人へと呼びかけていった。




 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――




「………………」


 ゆっくりと目を開ける。

 知っている天井。見慣れた世界。


 ゆっくりと身体を起こせば見慣れた家具が見慣れた配置で目に飛び込んできた。

 もう使わなくなって久しい学校の制服や机に並べられた教科書やノートたち。隅にはゲーム機がホコリをかぶってしまっている。

 閉められたカーテンから漏れる光が部屋の中を薄暗く照らす。辛うじて見えた時計は7時を示していた。


「夢……か…………」


 誰も居ない部屋で一人呟く。

 時期は梅雨の終わり。まだ夏に入り切る前の、朝方の涼しさがまだ辛うじて感じられる季節にも関わらず、背中にはビッショリと汗が嫌なくらい背中に張り付いていた。

 脱ぎ去る気力もない。ただベッドの上で膝を曲げて身体を丸めた俺はグッと肘を掴む腕に力を込める。


「父さん……母さん……」


 見たのは夢。けれど夢ではない。

 机の上には"さいごに"撮られた家族写真。笑う二人の大人に少し不機嫌そうに顔を背ける子供。

 父さんと、母さんと、俺の3人の写真。もう二度と撮ることのできない写真が今も机の上に飾られていた。


 脚が酷く痛む。

 ズキズキとまるで今見たものを忘れるなと身体が叫んでいるかのように。

 チラリと見えた左のふくらはぎには今も鮮明とした深い傷跡が残っていた。あの時は気づかず、助け出されてから判明したもの。縦にパックリとした裂け目の痕が今も呪いのように俺の体へ刻み込まれていた。


「……………」


 しばらく丸まっていると次第に痛みも引いていき、少しだけ顔を上げて写真を見る。

 一日の始まりのルーティン。これを見て2人への愛を忘れないよう心に刻みつけて、ベッドから降りる。決意をしたあの日から変わらぬ行動。


「今日こそは……今日こそ……」


 ベッドから降りた俺は一人呟きながら部屋を出る。

 今日こそは絶対…………。そんな思いを抱きつつ、力強い足取りで一歩を踏み出す。


「今度こそきっと会えるから、待っててね。父さん、母さん」


 写真に語りかけた俺は服を脱ぎ捨て今日の分の服を手に取る。

平日の朝。夏の入り口ということもあってまだ長休みシーズンからは程遠い。中学3年生の俺に待っているのは当然のことながら学校だ。

けれどその手は壁に掛けられた制服を手に取ることはなく、その横に設置された洋服タンスをおもむろに開け放った。

眼下に広がるのはこれまで揃えてきた服たち。幾つかサイズが合わなくなってしまったのもあるが、捨てるのもできなくて下の方に埋もれている。

そんな中からいくつかをピックアップ。服なんてよっぽど突飛なものではなく着られればそれでいい。適当に無地の白と紺の上下を引っ張り出して身に包んだ。



学校なんてもう何か月も行っていない。それどころか家から出ることすらしていない。

 ただ暗い家に籠ってご飯を食べて寝るだけの退廃とした日々。


 そんな俺でもやるべきことは確かに存在している。

 眠りから覚め、服を着替えて真っ先に向かうは廊下の最奥。ここは父さんと母さんが愛用していた書斎だ。

 2人は同じ趣味……推理小説好きという共通の趣味から出会ったことを聞いたことがある。


 母さんは優しくて時に厳しい、理想の母親だった。料理好きが高じて考えた創作料理を夕飯に出すことが日課だった。

 父さんは厳しく、そして仕事人間と呼ばれる人だった。結婚前は仕事で海外を飛び回っていたという。さらにそんな海外経験の影響か、少しだけ不思議な趣味がある。


「……改めて見ても不気味だな」


 書斎の扉を開け放つと同時に飛び込んできた景色を見て一人自嘲する。

 生前の二人が使っていた書斎。壁一面には天井に届くほどの本棚に所狭しと様々な書物が並べられ、上のものを取るためにスライドする梯子までもが用意されていた。

 部屋の一番奥には2人分の机が置かれていてインクの痕なんかが残されている。これらも大事な2人が生きていた証だ。

 問題は部屋の中央部である。普段置かれていたはずのソファーは端へ移動させられていて、今は大きな黒い布が敷かれていた。黒い布には白い塗料で丸い円が描かれており、俺およそ言語とは思えない文字や記号が並べられている。さらに円の周りには蝋燭やカラフルな石が設置され、中央には大きなタライと内側に塩や白蛇の死骸などナマモノが。


 父さんの趣味……それは世界に存在する呪術の収集だった。

 俺の目が届きにくい本棚の一番上にひっそりと並べられた呪術関連の書物の数々。そして父さん自ら書いたであろう本までもがそこにはあった。

 隠された父さんの趣味に気が付いたのは事件が起こった後である。茫然自失と二人の痕跡を求めてこの部屋に入ったとき、偶然にも見つけてしまったのだ。

 たまたま開いたページ。そこに書かれていた文字はほとんど読めなかったが、頑張って調べたであろう父の注釈にはこう書かれていた。


 "死者の復活"、と――――


 そのページを見つけてから俺はまるで憑りつかれてしまったかのように本の解読へ没頭した。

 わかるのは読めない文字の隣に書かれた父さんの筆跡のみ。幾つもの本を漁って似たような文字を並べたて、何とか読めるようになる頃には半年が経過しようとしていた。

 今の時代は便利だ。ネットが使えれば多くのものが手に入る。珍品貴重品を取り寄せ、月の砂とか龍の鱗とかいうどうしても無理なものは何とか別の物を代用してなんとか集めきり、本に書かれていた円……魔法陣を描き切って昨日ようやく全ての準備が完了した。


 そして今日。今。実行の時である。

 死者の復活は禁忌だとかよく言われるがそんな事知ったことではない。一目会えればそれで良いのだ。

 暗く締め切った部屋。魔法陣周りの蝋燭に火をつけぼんやりと自身の輪郭が浮かんでくる。

 近くの本棚から事前に置いておいたナイフを手に取り、迷うことなく自らの手のひらへと刃をスライドさせた。

 プシュッと裂けた傷口から血がどんどん出てくるのを確認してから手をひっくり返し、血をタライの中へと垂らし込む。


 段々と身体に寒気が走り鳥肌が立ってくる。

 血を失ったからだろうか。それとも呪術の効果が実際に表れているのだろうか。

 確かめることはできない。ただこの呪術の本が本物で、実際に望んだ効果が出ることを祈るのみだ。


 しかし寒気が発生してもそれ以上進む気配が見えない。

 どこからか吹く風によって蝋燭の火が揺れるものの肝心の効果が出ない。段々と苛立ちが募っていき、もう片方の手をナイフで裂いて更に血を投入していく。


「いけっ……、いけっ……!」


 失敗……?

 もしかしたらという焦燥感とともにドクドクと血が流れ出る。

 寒気も強くなってくる。意識も朦朧としてきた。足に力が入らない。それでも何とか成功させようと気力のみで両の足に力を籠めていく。


 倒れたらどうしよう……出血多量で俺も死んだらどうしよう……

 ……それもいいかもしれない。元々なにも成していない人生。志半ばで生き残るくらいなら、父さんと母さん、2人と一緒を呼ぶのではなくこちらから行くのもアリだな。

 不安な心とともに諦めが強くなっていく。そうだな。無理なら無理で、2人のところに俺も行こうか――――


「えっ――――」


 断念の気持ちとともに生への執着が薄れたところで手を引っ込めようとした瞬間、ついに魔法陣に動きがあった。

 突然、ずっと血を投入してきたタライが小刻みに震えだしたのだ。目を凝らさなければわからないほどの僅かな振動。しかし段々と震えが大きくなる。もしかしたら地震が起こったのかもしれない。そう思って顔を上げようとした瞬間、魔法陣の中心にあるそれはありえない動きをした。


 バァン!!!


「っ――――――――!?」



 俺が顔を上げた瞬間、タライの中にあるものが強烈な音を立てて爆ぜた。

 まるで目の前で雷が落ちたかのような轟音だった。それはあの時の焼き回しのよう。爆ぜた衝撃により一気に本棚へと叩きつけられ、背中に鈍い痛みを感じながらも何事かと部屋の中央へ顔を向ける。


「父さん……母さん……?」


 顔を上げても部屋の中央はうかがい知れない。

 爆ぜた衝撃によりタライに入れていた小麦粉が舞い、まるで煙のように視界をさえぎっていた。部屋を埋め尽くすほど量を用意した覚えはない。そんなことを思いながらも何が起こったのか。まさか本当に呪術は成功したのか。そんな一縷の希望とともに中央へと語りかける。


「ケホッ!ケホッ!」

「……!!」


 せき込む音の主は俺のではない。その声は女性のものだった。


 成功した…………?成功した!!

 ほとんどの事象が科学として解明された現代、呪術なんて非科学的なものは実在しないと思っていたけど本当に効果があったんだ!!

 キィィンとした耳鳴りや背中の痛みを感じつつも、それらを振りほどいて立ち上がって中央に向かって手を伸ばす。手のひらに感じる痛みも忘れたまま。


「父さん!母さん!!俺だ!千晶だっ!!」

「ケホッ……ここ、どこ……?」

「……母さん……?」


 ようやく聞こえてきた女性の言葉。しかしその声を耳にした瞬間、掲げた手をそのままにサッと血の気が引いた気がした。

 この声は母さんのものではない。生まれてきて相当数の時間一緒にいたのだから聞き間違うことなんてない。大好きな家族の声ではない。

 なんなら知っている人の声ですらなかった。ならば誰の声なのか。俺は固唾を呑んで煙が晴れるのを見守る。


「誰か……誰かいらっしゃいませんか……?」


 ようやく煙が晴れてくる頃にはようやく全体像が俺の目にも入ってきた。

 そこにいたのはたった一人の人影。少なくとも異形の類ではない。座っているらしく腰までしか高さがない人物から、しきりに腕らしきものが動いているのが見て取れる。


「誰か…………」


 再び不安げな声が聞こえる。突然こんなところへ来て驚いているのだろう。

 しかし気が動転しているのは俺も同じだ。聞こえる声にまともに反応することができない。

 余裕がない精神から声の主を慮るよりも先に警戒の色が表に出てしまう。


「アンタ…………誰だ?」


 ようやく煙が完全に晴れてその姿が露わになったとき、訝しげな眼を向け腰を下ろす人物へと声をかけた。


 座っていたのは間違いなく女性。腰以上に長い白髪を持ち、白い肌を持つ少女。

 特筆すべきはその格好だ。彼女の身を包むものは見覚えのあるような気もする真っ白な服。更にどこかで泳いできたのか服を含めて全身びしょ濡れだった。

 ポタリ、ポタリと髪から床に水滴を落とす、足元から頭の先まで真っ白な少女。俺の声が彼女の耳にも届いたようで、「えっ」という小さな声とともに碧い瞳をこちらに向ける。


「貴方は……神様?もしかしてここは……あの世、ですか?」

「……はっ?」


 正座を崩して横座りをしながら床に手をついてこちらを見上げる。

 あの世から人を呼ぼうとしたのに、あろうことかここを"あの世"かと問いかける少女。

 

 これはあるはずのなかった運命の出会い。

 俺たちは決して交わるはずのない。しかし出会った以上決して切れることのない運命が、今日この場で交わされたのであった。

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