【完結】遊郭城の騎士

千鶴

プロローグ

 狐の嫁入りごとく。唸るほどの強風を、満月が雲の隙間から見下ろしていた。細雪さめゆきを払うようにこうべを振ってしなる樹々の中心には、ほうっと明かりのこぼれる小屋がひとつ。

 小屋は六畳一間。丸太を重ねただけの壁は薄く、唯一の窓がガタガタと騒がしい。

 揺らぐ蝋燭の火で映し出される影は、全部で三つ。

 

「おい俊介しゅんすけ

「は、はい」

「どういう状況か説明しろ」

「ええと……」

 

 俺の質問に、俊介はしどろもどろで。

 

「知り合いにですね、その、アルバイトを紹介されまして」

「そうだよな。日給1万2千円。商品が傷つかないように見張るだけの安全で簡単なバイトだって、お前そう言っていたよな」

おっしゃる通り」

「これのどこが商品・・なんだよ」

「うーん、こういうニッチな業界もこの世には存在するわけで」

「ど突くぞこら」

 

 ひぃ、と顔を腕でガードしながらも、俊介はたいして怯えてはいない。呆れた俺はため息をついて、目の前の状況を把握しようと必死に頭を動かす。

 

「もうすぐ日付も変わる夜中に、こんなわけわかんない場所に連れてこられて辺鄙へんぴな小屋にぶち込まれて、外から鍵されて閉じ込められた上に商品を見張る? いやいや。女じゃん。今ここにいるのは俺とお前と、目の前の椅子に座って拘束されている女だけ。これもう犯罪の片棒担いでるよな、両足全部ズブズブに埋もれてるよなあ?」

「そ、それは」

「仕事終わりで疲れてたってのに、お前がどうしてもって頼むからわざわざこうして」

 

 俺が畳み掛ければ友人、寺内俊介てらうちしゅんすけは土下座のポーズで頭を床につけた。俺と俊介は同じガソリンスタンドで働くバイト仲間だった。

 

「マジでごめん! こんなんだと思ってなかったんだよ許してナイト様!」

「……この期に及んでふざけるのかお前」

「違う違う違う!」

 

 弁明のために上げた俊介の顔を見下ろしながら、俺は横目に女を見る。

 室内の真ん中には、パイプ椅子に身体を括りつけられ身動きの取れない女が一人。ただその姿は少々妙で、俺はその項垂うなだれて顔の見えない女の姿をじっと見つめた。

 

 山吹色の艶やかな着物に、緑色と金色の刺繍が映える。肌着のような真っ赤な布から覗く乳白色な細い足、腹のあたりを締める黒い帯は蝶々のように垂れ下がり、胸元のざっくり開いた襟口から覗く鎖骨には色香が纏わり付いていた。

 

「で。なんだよナイト様って」

 

 俺は小屋の戸を背に、地べたに尻をつけ膝を立てた体勢で再び視線を俊介に戻す。

 話を振られた俊介は土下座からひょいと胡座あぐらに座り直すと、金髪の襟足に手櫛を通しながらとぼけた顔で眉を上げた。

 

「あれ。時人ときひと自覚ないの? スタンドのスタッフ、みんなお前をそう呼んでるじゃん」

「知らねえよそんなの」

「かっ、いけすかねー。奥二重に高い鼻、小顔でシャープなその顎! 俺みたいに髪色抜いたりオシャレするわけでもなく、何故だかキマるその黒髪!」

「俊介、声でかい」

「いいや! それでも俺は声を大にして言うぞ! お前は全女性スタッフの注目の的! 男性スタッフの妬みの種! しまいには、つい最近入った新人の女の子までお前をそう呼んでたよ。俺、結構狙ってたのに。このケダモノっ!」

「はあ? 大体どっから来てんだよその呼び名」

岸岡時人きしおかときひと。苗字の岸を騎士って変換して、騎士ナイト様って」

「……しょうもな」

 

 俺は呆れると同時に身震いした。

 流石に気温が低すぎる。蝋燭一本が揺れるだけで暖を取る術のないこの状況で、このまま朝を迎えたら俺も俊介も、たぶん女もみんな死ぬ。ましてや目の前の女は肌の露出も多く、それでいて幾重にも着物を羽織っているためか呼吸しているのかすら確認できていない。

 俊介と俺がこの小屋に来てから約二十分、女はぴくりとも動いていなかった。

 

「それにしてもこの女の人の頭、凄いな。時代劇のカツラみたいな、しかもなんかザクザク棒刺さってるし。あ、あれだ! テレビなんかで見たことある、なんつったっけなあ、ええと」

 

 うーん、と俊介がわざとらしく悩むパフォーマンスをとるの見た俺は、なんだかイライラしてきて核心をつくことにする。

 

「俊介お前さ。この女の人が死んでいたらどうしようってビビってんだろう」

「へっ、え!?」

「さっきからふざけすぎ。お前の悪い癖な、テンパったり焦ったりすると茶化して誤魔化そうとすんの」

「そ、そんなこと」

「それから。お前なんか俺に隠してることあるだろ。こんな怪しいバイトに必死になって俺を誘ったのには理由があるな? 借金か? ついに人でも殺しちまったか」

「違うよ! しかもついにって……それに、殺したのは俺じゃない」

「なんだよそれ」

「この女の人が、その、殺したところを見ちゃったんだ。男の人……を?」

 

 語尾が疑問系なのはさておき、俺は詳しく事情を訊く。

 

「少し前の夜にさ、俺コンビニに行ったんだよ。おでん買いに。あ、買ったのは大根とたまごな。はんぺんも買おうと思ったんだけど、小さいカップに入れるにはちょっと」

 

 無論、俺は俊介を殴った。

 

「わ、わかったよ! 簡潔に、な? だから、その。俺はコンビニから帰る途中に悲鳴を聞いたわけ。だから気になって、声の聞こえた方まで覗きに行ったら、男の人が首から血を流して倒れてたんだよ。そんで、すぐ側に剃刀を持ったこの女の人が立ち尽くしてて」

 

 俊介は項垂れる女性を顎で示す。

 

「これ、殺人事件じゃん? だから俺警察に連絡しようとしたっけ、突然爆速で車が横付けしてきて! 中からぞろぞろスーツの男が出てきたと思ったら、俺が手に持ってたスマホ引ったくられて、死んだ男とこの女の人をあっという間に車に引き摺り込んでさ。俺もうポカンとするしかないじゃん? そんで去り際に助手席の窓が開くわけよ、ウィーンって。そしたらスーツの男がさ」

 

 俊介は目を細めて眉を上げる。おそらく、スーツの男の顔真似をしているつもりなんだろう。

 

「“この連絡先に入っている岸岡時人って男を指定の場所まで連れてこい。出来なきゃ、お前を殺す” とかいって。スマホ渡しながら拳銃片手に俺に言うわけ! そんなんもう従うしかないじゃん? だから仕方なく」

「仕方なく、俺を売ったってわけか」

「うん」

「うん、じゃねえ」

 

 俊介にツッコミつつ、俺は尻を払って立ち上がった。

 

「意味わかんねえけど、ひとまずお前の話が本当だとして」

「いや! まじでこれは嘘じゃないって!」

「わかったよ。で、俺をここへ連れてきてそのあとどうするって? お前には助かる算段があったからこそ俺を売ったんだろう。それがなんで、お前まで小屋に閉じ込められちゃってんの?」

「それは……」

 

 俺は察する。俊介はそういう男だ。人一倍自分が大切なくせに、いざとなると裏切りの決定打を打てない。鼠男みたいな奴だった。

 

「なあ俊介。俺はお前、嫌いじゃないよ」

「時人……!」

「でも今回ばかりは流石に阿保すぎて呆れてる。ったく、そろそろ帰るぞ。限界だ」

 

 俺が言えば、俊介は驚いた様子で顔を上げる。

 

「え、いや、帰るってどうやって? 俺らカーテンの引かれた車に乗ってここまで連れて来られて、スマホも見てなかったから帰り道わかんないし。それに今、夜だし。寒みぃし。風も強いし。外から鍵かかってるし」

「しーしーしーしーうるせえな! 目の前見てみろ。仮にこの人が死んでるとして、このまま見つかったら確実に俺たちは捕まるんだ。逃げるしかない」

 

 ダウンジャケットを脱ぎ、ロンT一枚になった俺は寒さに耐えながら女に近づく。

 

「とにかく。この人が死んでるか生きてるか確認しないことには先に進めない。死んでるなら置いていくし、この場に俺たちがいた痕跡は全て消さなきゃ足がつく。逆に、もし生きているなら一緒にここから出なきゃならない。こんな着物のまま担ぐのは無理だから、脱がしておれのジャケットを着させる」

「え! 脱がせるの?!」

 

 俊介があたふたしている間に俺は女の目の前までくると、しゃがんで肩を揺すった。

 

「おい」

 

 身体は華奢なようだが、着物の重みであまり動きはない。

 

「生きているなら返事をしてくれ。今からロープを解くぞ。着物も脱いでもらう。できればそのでかいズラも、外せるもんなら外してくれた方がありがたい」

 

 椅子の肘掛けに括り付けられていた両手首、それから胸辺りと背もたれとをぐるぐるに巻かれていたロープを解いた、その時。

 女の身体がぴくりと動いた。生きてることがわかった俺は、更に強めに身体を揺する。

 

「起きろ。立てるか? この寒さでここに居続けたら死ぬ。歩けないなら背負ってやるから、顔を上げてくれ」

 

 女は顔を伏せたまま、か細い声を絞り出した。

 

「すけ……助けて、おくんなんし」

「ああ、助ける。俊介、警察と救急に電話しろ。地図アプリを確認して、俺たちが今どこにいるか伝えるんだ」

「う、うん!」

 

 俊介は慌ててポケットからスマホを取り出す。その間、俺は俯いて震える女の肩にダウンジャケットを掛けた。

 女の妙な言葉遣いは気になった。だがそれよりも、今は逃げる方法を考えることが先決だ。

 俊介を脅した奴らは俺を探していた。さっきの俊介の話と今のこの状況を考えれば殺す気だったんだろう。そして同時に、俊介もどっちみち殺すつもりでこの小屋に置き去りにされた。

 

 俺が何をした? 目の前の妙な女と俺に何か関係があるとでもいうのか。

 

 嫌いじゃない——さっきはああ言ったが、よくよく考えて俺はやっぱり俊介を恨んだ。

 最初から事情を話してくれてさえいれば。不審なバイトに口をつぐむなんて事はせず、こんな目にも遭わずに済んだのに。

 

 ……いや違う、逆だ。俊介に声をかけた奴らの狙いは俺だった。つまり、巻き込まれたのは俊介の方。

 

 ちらと目をやれば、俊介はスマホを見つめて眉間に皺を寄せていた。

 

「なにしてんだよ俊介、早く電話」

「時人まずいよ。警察にも救急にも繋がらない」

「は? なんでだよ。ここは圏外じゃないはずだ」

「そうなんだけど、110番も119番もアナウンスが出るんだ。お掛けになった番号は現在使われておりません、って」

 

 俺は舌打ちをすると同時、自分のスマホでも掛けてみる。だが俊介の言う通り、機械の向こうではアナウンスが流れるだけで警察にも救急にも繋がりはしなかった。

 俺は地図アプリを開く。そうして、更なる驚愕の事実に目を見開いた。

 

「……海だ」

「え? 海?」

「アプリにはこの場所が海だって、そう表示されてる」

 

 俺が画面を俊介に向ければ、俊介は信じられないとばかりに自分のスマホを弄った。

 その指は忙しなくスクロールを続けるが、画面はどこまで行ってもまっさらな青色のまま。

 

「陸地がない。日本どころか、世界中どこにも何にも表示されない」

「嘘だろ。このタイミングでスマホがバグるなんて……これじゃ身動きが取れない」

 

 寒さと苛立ちで唇を震わせる俺に対して、俊介は狼狽えながら目を泳がす。


 そんな中、拘束の解けた女は俺が肩にかけたダウンジャケットを落ちないように手で摘むと、突如椅子から立ち上がった。その出立ちを、俺は思わず足元から目で追ってしまう。

 それは派手な着物のせいではなかった。確かに色鮮やかではあった。だが、俺が目を奪われた理由はそれだけじゃない。

 微かに重なり合う両足の親指。幾重にもなった着物から身体の形が透けて見えるかのような滑らかな曲線。腹前に垂れ下がる蝶結びは、まるで女を“商品”と言わんばかりに堂々と前に突き出ている。

 

「あ、いや。悪い。さっきはああ言ったけど、ちょっとタイム。まだ外に出るわけには」

 

 ズイと前に一歩出た女の、薄いグレーの瞳と目が合う。目尻と、それから唇の真ん中にちょこんとのせられた紅が、いつの間にか俺の顔を引き寄せていた。

 その瞳は、水に浮かべた宝石を陽が照らしていると錯覚するほどに優美に揺れ輝く。


 気づけば、女の指が俺の顎をつまんでいた。

 

「なんだよ」

「胸に鈴蘭すずらんの痣がありんしょう? それを見せておくんなんし」

「は? なんだよ急に。見せろったって……あ、おい!」

 

 女は問答無用で俺の襟首を掴むと、強く下に引っ張った。あらわになった俺の左胸上部には、確かに小さな痣が存在する。

 その痣を確認後、女は自身の顎を上げて真顔で俺を見上げるだけで何も言わない。

 俺は女にペースを持っていかれているこの状況がなんだか癪で、大袈裟に咳払いをすると目一杯の虚勢を張った。

 

「ってか、手離せよ。このタコの痣がなんだって?」

「タコ?」

「タコだろ、この痣」

たわけ。その痣は鈴蘭じゃ」

「んなもん、どっちでもいいんだよ。っていうか元気そうじゃねえか。寒くないならジャケット返せ」

「嫌じゃ」

「なんでだよ」

「これはもう、わっちのものじゃ。代わりにこれをやる」

 

 女が袖から出した小さな拳。そのてのひらの上には、墨で塗りつぶしたような真っ黒い玉がひとつ。ころんと転がれば、それはしゃらりと小さく鳴った。

 

「なんだよこれ」

「鈴じゃ」

「見りゃわかるよ。でもそれって」

神楽鈴かぐらすず、ともうしんす。わっちはこの鈴を取り返すためにこちらの世界に来んした。あとは帰るだけ。なれどこの通り、わっちの鈴蘭すずらんは火傷で欠けてしまいんした」

 

 女がはだけた胸元には、俺と同じ赤黒い痣。その痣の上半分が、酷くただれて痛々しく腫れ上がっている。

 

「だから、この鈴をぬしに託しんす」

「……は? いやいや、託すとかじゃなくて。俺たちは今からこの小屋を出なきゃいけないって、さっきから」

「飛べ」

「飛べ?」

「そして助けるのじゃ」

「助ける? 誰を」

「……すけ」

 

 ただただおうむ返ししかできない俺に、女は思考の猶予をくれはしなかった。

 しゃらり。女の手のひらで、鈴が可憐に転がる。

 

「と、時人!」

 

 霞んでいく俺の視界には、俊介が手を伸ばして駆け寄ってくる姿がスローで映った。

 

 今、何が起きた? 鈴の音が聞こえた途端に眩暈がした。やばい。瞼を開けていられない。頭も重くて、まるで手足の関節が自分のものでないようにかくん、と折れていく。

 意識が途切れる直前、俺が最後に聞いたのは、女の声だ。

 

「わっちを、助けておくんなんし」

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